第三話

あたしは驚いた。唯ちゃんは以前あたしに「私も男の子とお付き合いする事出来るかなぁ」と言ったことはある。でも彼女が通う高校は女子高だし、家から近い場所だから出会い自体があまりないと言っていた。そりゃあ、あのくらい綺麗な子ならその気になれば寄ってくる男はたくさんいるだろうけど……。

「うん……。でも相手の男がちょっと問題でね。唯より年上らしいんだけど、車で迎えに来て夜遅くまで連れまわすんだ。一度目は楽しくて時間を忘れたんだろうって大目に見たんだけど、その後も二回そういうことがあった。うちの親はかなり怒ってるんだ。

付き合うのは止めなさいとまで言ったけど、あのくらいの年の子は親に反対されると余計熱くなるだろう? そのうち学校から帰宅しないまま遊びに行くようになってしまって、たばこくさくなって帰ってくるんだ。それで俺は唯の友達に、学校ではどんな様子か聞いてみようと思ったんだ」

じゃあ、大学にきた女子高生はるいから唯ちゃんのこと聞かれてたんだ。あたしはそれで合点がいったけど、今度は唯ちゃんの事が本格的に心配になってきた。女子高生といえば遊んでいる子も多いだろうけど、唯ちゃんは真面目だし、今まで親に心配かけるような事はしたことないはず。

カレシが出来て浮かれてしまうのは唯ちゃんだけじゃない。あたしだってそうだもの。気持ちは分かる。でも……まだ高校一年生の子供を夜遅くまで連れまわすような彼氏は唯ちゃんに合わない気がする。

「最初は唯の中学の頃からの友達の咲ちゃんって子に話を聞いたんだ。でもその子、ちょっと怒ってるみたいに、今唯と一番仲が良いのは私じゃありませんって言うんだよ。仕方ないから、唯が今仲良くしてるのは誰かと聞いたら、昨日二葉が会った女子高生、相川麻沙美ちゃんのことを教えてくれたんだ」

「そうだったの。それで、あの子は唯ちゃんの様子を知ってるの?」

あたしはるいと夕飯を取りながら、るいが相川麻沙美から聞いた情報を教えてもらった。

情報の内容はこう。
相川麻沙美は唯ちゃんを遊びに誘って、自分の男友達に紹介したこと。その時一緒にいた大学生の男の子と唯ちゃんが急激に親しくなったこと。相川麻沙美は唯ちゃんと大学生の男の子たちと遊びにいくこともあるけど、毎回一緒ではないこと。

唯ちゃんが付き合ってるカレシは割と見た目がイケてる$lで、ご馳走してくれて、アクセサリーは買ってくれるいい人≠ナあること。

唯ちゃんは今、その人にかなり入れ込んでいること。

「俺は何度も唯と話そうとしたけど、今はそっとしといて、と言われてまともに話せた事がないんだ。きっと怒られると思ってるんだろう。それも問題なんだけど……ある意味ここが一番肝心なんだ。実はこのことがあったから、俺は今まで二葉に唯のことを話せなかった」

るいに言われて、あたしはキョトンとした。確かにるいは自分に起こった出来事で、大抵のことはあたしに話してくれる。だから唯ちゃんの事をあたしに言わなかったのは不思議な気がするけど……。でもあたしに話せないほど肝心な理由ってなんだろう。

るいは注文した烏龍茶を一口飲むと、憂鬱そうにその事実を伝えた。

「唯の付き合ってる奴の名前を、麻沙美って子に聞いたんだ。その名前が……山浦学だと言われた」

「はぁ!?」

あたしは呆気に取られてるいを見た。山浦学……ってことはあの学???

「学のやつ、唯ちゃんの処女を狙ってるの!?」

思わず大声で言ってしまったせいか、ほんの一瞬、うるさかった店内がシンとした。予定を変えてレストランではなく、座席が区切ってあって簡易個室になっている居酒屋で食事をしていたから良かったものの、これがオシャレなレストランだったらお店の人に睨まれていたかも。

「……多分、そういうことだろう。まだ最後までいってはいないと思うけど、なんとも言えないな」

「そんな悠長なこと言ってちゃダメよ。あいつは物凄く手が早いのよ。あたしだって最初のデートの日にキスされて、その次にはパンツに手を……っ」

ゴキン、という鈍い音が狭い個室に響いた。ハッとして見ると、るいの左手のなかで烏龍茶の入ったガラスのジョッキがひび割れている。

「大丈夫っ?」とあたしは焦って言った。ガラスをグシャリと握り締めたわけじゃないけど、手が切れてしまっているかもしれない。

「大丈夫だよ。なんとか途中で止めたから」

るいはそう言うと、ちょうど外を通りかかった店員さんを呼び止めてグラスをぶつけて割ってしまったと謝った。店員さんは快く、代わりのグラスを持ってきます、と言って割れたグラスを引き下げた。

あたしは妙に感心する思いでるいの手を見せてもらった。そこに傷はなかったけど、この手があの厚いジョッキを握って割ったと思うと信じられない。るいは全体的にほっそりして見えるし、手も指が細くて力がありそうに見えないから余計そう思う。脱ぐと結構筋肉質だけど、それでもいわゆるマッチョ≠ニは言い難い体型だもの。

「──とりあえず今まで唯と付き合ってるのがあの学≠ゥどうか確信が持てなくて様子を見てたんだ。同姓同名の男かもしれないからね。でも……今度大学であいつとすれ違ったら、俺は問答無用で殴りかかるかもしれない。あんな奴が二葉に手を出したなんて……虫唾が走る。許せない」

あたしは呆気に取られてるいを見返した。どう見てもるいは本気で言っている。目が真剣だもの。あたしはそんなるいを見て急に涙が湧き上がってきた。

それは嬉し涙だった。るいは過去の学にヤキモチを焼いてるんだ。そう思ったら、自分の胸の中心がポオッと熱くなって、今まで味わったことのない、不思議な喜びに満たされるのが分かった。

でもるいは、あたしの涙を他の意味に受け止めたみたい。急に不安そうな表情であたしを見て、申し訳ないという表情で言い始めた。

「ごめん、野蛮なこと言って。学は一度は二葉が好きになった男だ。きっといい思い出もあるだろう。俺の勝手な嫉妬で大切な過去の思い出まで汚すつもりはないよ。殴るのはなんとか我慢する。だから泣き止んでくれ」

るいは身を乗り出すと、あたしの頬に手を伸ばし指で涙をすくった。あたしはるいの手を自分の手で掴んで「そっちにいっていい?」と聞いた。

るいが頷くと、向かい合わせに座っていた座席からるいの隣に移動した。るいはすかさずあたしの肩を抱き寄せる。あたしは個室なのをいいことに、るいの首にしがみついた。

「違うの。嬉しくて泣いてるのよ。だって学と付き合ったのはとっくに過去の事になってるのに、まさかるいが焼いてくれるなんて思いもよらなかったから」

「……そう言ってくれてよかったよ。本当は二葉の涙があいつの為だなんて思いたくもないんだ。それにしても、嫉妬は嫌な感情だな。俺は過去が過去だし、少し過剰に考えすぎるのかもしれない」

るいはあたしの背中に両手を回して、優しく背筋を撫でながら自重気味な声で答えた。そういえばるいはエドモンドだった頃、付き合っていた女性を他の男に取られて自殺したんだっけ……。

きっとるいは、優しい分、繊細でもろいところがあるんだ。あたしはるいの首から腕を解くと、今度はるいの目が見えるように少し離れた。

「あたしはるいが好き。愛してるの。過去の事は過去の事だし、未来の事なんて分からない。でも、今の自分の気持ちなら良くわかる。自信を持って言えるわ。あたしは学の事なんてもうなんとも思ってないし、あいつとの思い出にいいものなんて残ってない。

あたしが今欲しいのはるいとの思い出だけ。こうしてるいと一緒にいる事が、あたしにとって掛け替えのない思い出になっていくの。他のものが入る余地なんてないわ」

るいは少しの間口を薄く開けてあたしを見つめていた。その後、急に微笑んだ。元死神とは思えない、透き通るような天使を思わせる笑顔だった。

「俺も二葉を心から愛してるよ。自分の過去を教訓にして、今度こそは自分も、愛する人も幸せにしたいんだ。俺の今の命はその為に与えられたと思ってる。そのチャンスをくれたのは二葉なんだ。俺は二葉以上に大切なものはない」

そういうと、るいは顔を傾けてキスをしようとした。あたしはるいの唇を喜んで受け止めるために目を閉じた。唇がもう少しでつこうという瞬間、「おまたせしやしたー!」と言いながら店員さんが烏龍茶を運んできた。

あたしとるいは急いで居住まいを正した。でも店員さんにはどんな状況だったかバレたみたい。「仲いいっすね」と言ってグラスをテーブルに置くと「オレも彼女欲しいなぁ」と言いながら個室から出て行った。

あたしとるいは目を見交わして、同時に笑いあった。そして今度はちゃんと廊下を確認してから、抱き合ってキスをした。

甘い、甘い、あまーいキス。どうかこのキスが、永遠に続きますように……。



「じゃあ、明日昼に学食で会おう。その時また唯の様子を教えるよ」

家の前まであたしを送ってくれたるいが、車から降りる前にあたしに言った。

「うん、分かった。あのね……余計なことかもしれないけど、唯ちゃんにあたしからメール送ってもいいかな?」

あたしがそう言うと、るいはニッコリ笑って、「もちろんいいよ。家族から何か言われるより、今の唯には心に届くかもしれない。よろしく頼むよ」と言った。

あたしは頷いたけど、唯ちゃんに説教くさいことを言うつもりは微塵もなかった。恋にのぼせ上っている人にとって、正論などうっとおしいだけだろう。思春期の女の子にあたしが何か言って通じる可能性は低いけど、やってみる価値はある。とにかく、学は絶対信用しちゃいけない相手だ。

あたしを玄関まで送るために、神社の駐車場に車を止めてるいが降りてくれる。あたしがるいの腕に自分の腕をからめると、身をかがめてるいがあたしにキスをした。

唇を離した瞬間、ハッとるいが顔を上げて一歩前に出た。背中にあたしをかばう。何事かと思って前方を覗き見ると、暗い駐車場の中で闇がユラユラ揺れていた。

それは不思議な光景だった。駐車場はあたしにとって見慣れた風景なのに、その一部分だけが暗闇ごとゆっくり揺らめいて見える。よく見るとそれは人の形のようだった。

るいがごくん、と唾を飲み込むのが分かった。緊張しているみたい。あたしはバッグを開けて、中から素早くご神水の入った小瓶を取り出した。小太刀は持って歩けないけど、ご神水だけは必ず持ち歩くようにしている。あれがもし魔≠セったら、この水が有効かもしれない。

「──シド?」とるいが言った。あたしはるいが名前らしき言葉をつぶやいたのに驚いた。息を飲んで前方を見ると、揺らめく闇が段々ハッキリした形を現してくる。

ほどなく、その闇はマントを羽織った人の姿に変わった。あたしは変に懐かしい思いにとらわれた。何故ならその人の姿は、初めて出会った時のるいとほとんど同じだったから。

るい──エルと違うのは、髪の色だった。エルは綺麗な銀色だったけど、その人物の髪は完全な白だ。光るような、とても美しい白髪(はくはつ)。

「久しぶりだな、エル。ああすまない。今はその名ではなかったか」

低い男性の声が闇に響いた。あたしはじっと前方の人物を見つめた。その人はあたしが弦≠ナ一緒に旅をしたエルと同じで、長い杖を持っていた。

それでは……このシド≠ニ呼ばれた人は死神なのだ。あたしは一瞬、なんだ、るいの知り合いか、と思って緊張を解いたけど、考えてみれば相手は死神だ。まさか……この近くで死人が出るの?

「今は江藤るいだ。懐かしいな、シド。会えて嬉しい、と言いたいところだが──失礼を承知で聞かせてもらう。ここに何しに来た? 誰かを狩りに来たのか?」

やっぱり……るいもそれを恐れてるんだ。いくら昔馴染みとはいえ、死神は死神だもの。魂を奪いに来たに決まってる。

「その質問には否≠ニ答えよう。私はお前の様子を見に来たんだ。お前は私の一番優秀な弟子で、珍しくも人間に生まれ変わった変わり種だからな。どうしているかと気になっていた」

ほ、とるいが息を吐いた。背中から張りつめていた緊張が解ける。あたしもホッとしたけど、ご神水は手から離さなかった。

「元気そうで何よりだよ、るい。死神だった頃の暗さが取れたな。お前も分かると思うが、生気に満ち溢れた人間に対峙するのは、死神にはつらい。あまり長くはいられないが、お前の宝石≠ノだけは会っておきたかった。その子がそうか?」

──宝石?

あたしは不思議に思ったけど、るいは大きく頷いた。そしてあたしの背中に手を当てると、シドに引き合わせる為にあたしを前に促した。

「紹介するよ。この人が俺の恋人の朱雀二葉だ」

るいが言うと、シドは物憂げに杖を持っていない右手を上げた。そして深く被っていたフードを取り払う。

あたしは最初、シドはかなりのオジイサンだと思っていた。何といっても白髪だし、エルのお師匠さんならエルよりかなり年上のはずだもの。しかも醸し出す雰囲気は、某世界的人気小説、魔法使い系のアレに出てくるヴォルデモート≠チて感じだし。

でもハラリと肩に落ちたフードから顕になった顔を見て「うわ! ハンサムッ」と言ってしまった。

シドはるいとはまた違う顔立ちの、目の覚めるような美しさを持つ男性だった。少しタレ目の睫毛の長い目が、ホストクラブのお兄さんみたいで色っぽい。エルを初めて見た時もビックリしたけど、ホント、死神って美形しかいないのかしら。

シドはあたしの言葉にはあえて反応せず、ゆるく微笑んだだけだった。そして真夏の太陽に晒されている様に、眩しそうにあたしを見る。

「……なんという命の輝きだ。エルが……いや、るいが人間になれたのも分かる。魂が浄化されただけでなく、もう一度生きる℃魔ノ挑戦させてくれる強い光だ」

そう言ってシドはるいに視線を戻す。そして「お前は生と愛を手に入れた。良い宝石を拾ったな」と言った。

「ありがとう」と答えたるいをあたしは不思議に思って見上げた。でもるいはあたしに視線は寄越さず、シドに向かって「今度会う時は命が尽きる時かな。その時はスッパリやってくれよ」と言って手を差し伸べた。シドは目を閉じると、軽く首を横に振った。

「残念だが握手はやめておこう。魔に触れると災厄が訪れる。機会があればまた会おう。ではさらば」

シドが別れの言葉を言った途端、またその姿がユラユラと揺れ始めた。シドの体は闇に溶けるように透けていき、美しい姿は暗闇に紛れて消えた。

シドが現れてから消えるまでがあまりにも短かったので、あたしは頭が付いていけない状態だった。でも気になるのは宝石≠セ。あたしはシドの消えた空間を見据えているるいの腕をそっと引き寄せた。

「あの人はるいのお師匠様なんでしょう? 宝石って言ってたけど……それはなに?」

あたしが問いかけると、るいはあたしの肩を抱き寄せて見下ろす。駐車場の灯りはお父さんがケチって弱い外灯が点けてあるだけだけど、そのぼんやりした光の中でもるいの顔は照れくさそうに見えた。

「魔の世界では、魔界の住人が塔の案内人に選ばれることを、宝石を拾う≠ニか宝石を見つける≠ニ言うんだ。案内人になる事は魂の浄化に繋がるからそう言われるらしい。

俺は案内人に選ばれた当初迷惑だとしか思わなかったが、今は違う。二葉は俺にとって何より価値のある宝石≠ネんだよ。だからシドは二葉を宝石と呼んだんだ」

あたしはその素敵な呼び名にときめかずにはいられなかった。なんてロマンチックな言い方なんだろう。あたしはるいの宝石なんだと思ったら、自分が価値ある存在に思えてきた。

「会えて嬉しかったけど、死神となるとそうそう会いたい相手ではないね。さあ、もう門限の時間だよ。そうだ、わかってると思うけど、クリスマス・イブはあけておいてくれよ。お父さんを説得して、泊まりの許可をもらうのは大丈夫?」

あたしはうん、と頷いた。クリスマス・イブの夜泊まることはとっくに父に言ってある。お父さんは物凄く不機嫌になったけど、珠玉の真珠を手に入れた話をチラつかせたら渋々OKしてくれた。あの真珠を手に入れたことは凄いことだったと、改めて実感することが出来る。

クリスマス・イブには時間を気にすることなくゆっくりるいと一晩一緒にいられるんだ……。そう思ったら、俄然元気が湧いてきた。あたしはるいに飛びつくと背伸びして唇にキスした。

「お休みなさい!」と言ってから、玄関まで走っていく。そしてあたしがちゃんと家に入るか確認しているるいに手を振ってドアを閉めた。