第四話

るいの車が遠ざかっていく音を聞きながら、クリスマスを楽しく過ごす為には唯ちゃんのことをなんとかしなくちゃ、と思う。効果があるかどうか分からないけど、メールを送ってみよう。唯ちゃんは今夜も出掛けていて家にはいないとるいは言っていた。

あたしは早速自分の部屋で唯ちゃんに送るメールを打つ。内容は……あまり重くなりすぎないように気をつけなきゃ。



唯ちゃん。

こんばんは。遅い時間にメールしてごめんね。凄くお久しぶりになっちゃったね。ずっと連絡しないでごめんなさい。

今日お兄さんと食事して、唯ちゃんの事聞きました。るいは心配してたけど、あたしはそうでもないんだ。だって好きな人が出来ると、一緒にいたくてたまらないもの。

あたしは唯ちゃんのお兄さんとずぅっと一緒にいたい。だから唯ちゃんの気持ち、凄く良くわかる。ただ、一言だけ言わせてね。唯ちゃんが大好きだから、これだけは言っておきたいの。

唯ちゃんが好きな人は、唯ちゃんを一番に大事にしてくれてますか? もちろん、プレゼントを送られるのは嬉しいよね。行ったことない場所に連れて行ってもらえるのも楽しいと思う。

でもその人は見返りを求めませんか?思ったより強引に、体に触ってきたりしない? そして思うようにさせないと、不機嫌になって怒ったりしないかな?

あたしたちは若いし、男の子にも興味あるよね。特に自分が好きな人で、自分を好きになってくれた人には、全部あげちゃいたいって思う気持ちもわかる。

でももし唯ちゃんが、最初はいいと思って彼を受け入れていても、途中で怖くなったりして、やめて欲しいとお願いしてるのに、無理に体に触ろうとするようなら、きっぱり断らなきゃダメよ。

そういう人は体が目当てなだけなの。絶対本当の愛じゃない。だから唯ちゃんがどうしても嫌だな、と思ったときは、ある対処をして欲しいんだ。

でも……でもね。

本当にその人を好きで、全て捧げてもいいと思ったら、抱かれてもいいと思う。だって好きなのは止められないもの。好きな人との体のつながりだけは、決していやらしくないのよ。

こんなこと突然言われても、何か分からないかもしれないけど、どうか頭の片隅に置いといて下さい。

……では、嫌なのに無理に迫られた時の対処法を教えるね。以下がそれです。



あたしは続きを書いて唯ちゃんにメールを送った。読んでくれるかどうか分からないし、心に響くかどうかの自信もない。でもあたしは神様に祈った。巫女として祈った。

どうか唯ちゃんが、合意もなく処女を喪失したりしませんように。学のスケベ根性の為だけに、一度しかない初めて≠汚されたりしませんように。

祈ってからあたしは携帯を机に置いた。そして心の中から湧き上がってくる、既に手遅れかもしれない、という自分の声に耳を塞いで、お風呂に入る準備をした。



翌日は大学の講義が午後からだったので、午前中は小太刀の練習をして、少し早めに家を出た。

大学の学食でるいとランチをとる約束をしていたから、まっすぐ食堂に向かう。昨日のメールには唯ちゃんから返事はなかった。あたしは気になったけど、これで改善しないようなら、直接会うのもアリかな、と思い始めた。

食堂に入ってザッと見渡したけど、るいの姿は見えない。まだ来てないのかな、と思って空いてる座席に座ろうと歩き出したら、いきなり後ろから突き飛ばされた。

思わず息が止まるくらい強い力で背中を押され、あたしは近くのテーブルにぶつかって乗り上げた。たまたまテーブルには何も乗ってなかったから良かったものの、これでアツアツのラーメンでも乗ってたら火傷したわよ。

あたしは痛みとショックで混乱しそうになったけど、そこは朱雀家の娘。素早く体制を立て直し、後ろを振り向く。食堂に集っていた学生たちが一斉にこっちに注目するのが分かった。

「このクソアマ。唯に何を吹き込んだ? お前のせいで俺は飛んでもない目にあったんだぞ」

あたしの目の前で大声を出しているのは、他でもない学だった。顔を真っ赤にしてものすごく怒っている。食堂のテーブルとテーブルの間の狭い通路で、仁王立ちになってあたしを睨みつけていた。

あたしはピンときた。学がここまで怒り心頭状態になっているということは、きっと唯ちゃんはあたしのメールのアドバイスを受け入れてくれたんだ。

「別に何も悪いことは教えてないわ。女の子が身の危険にさらされそうになった時の対処法を伝授しただけ」

あたしが言うと、学は歯を食いしばってこっちに歩いて来た。その歩き方がぎこちない。それを見てあたしは唯ちゃんがしっかり防衛手段を行使したことが分かった。

そう、あたしが教えた対スケベ野郎防衛法。きっと大昔から言われているであろう、究極の秘儀だ。

そのものズバリ、股間に膝蹴り=B

学はあたしの服の襟首を左手で掴むと、持ち上げるように自分に近づけた。「てめぇ……自分が何をしたか分かってんのか?」とすごんでくる。

「その様子だと唯ちゃんの膝はあんたのモノにしっかりヒットしたみたいね。なんか誤解してるみたいだから言っとくけど、あれは正当防衛だからね。自分こそ、それくらいで済んで良かったと思いなさい。唯ちゃんはまだ十六歳よ。もし手を出して通報でもされたら逮捕されるのは確実だわ。そうなったら大学は退学なんじゃない?」

「……んだと……」とつぶやくと、学は右手を振り上げた。あたしは急いで脚に手を伸ばす。今日は朝から小太刀の稽古をしていて、太ももにバンドで小太刀を付けたまま学校に来てしまった。危険物所持かもしれないけど、今は急場だ。言い訳は後で考えよう。

でもあたしが小太刀を引き抜く前に、学は後ろに引っ張られた。バキッという痛々しい音と共に、今度は学が吹っ飛んでテーブルの上に着地した。

おおっ、と食堂の学生達がどよめく。学はさすがにテニスサークルで鍛えているだけあってすぐに起き上った。そして自分を殴った相手を確認する。唇から血が流れてるけど同情は出来ない。

「俺の恋人を罵倒した上、暴力を振るうなど絶対に許さない。しかもお前は妹にまで手を出した。例えそこに事実はなかったにしても、二人の女性を傷つけた罪は重いぞ」

冷徹な瞳を学に向けて語るるいの姿は、死神だった頃のエルを思わせた。最初にあっさり殴られてますます怒りまくり、唸りながらめちゃくちゃに手を振り回して迫ってくる学を、ゆらり、ゆらりと無表情でかわすところも死神エルと重なる。

「二葉ちゃん、大丈夫?」と突然近くで可愛らしい声が聞こえた。るいと学から視線を声の主に向けると、それは唯ちゃんだった。

「唯ちゃん! どうしてここにいるの?」

「お兄ちゃんに連れてきてもらったの」

唯ちゃんは走ってきたみたいで、息を乱してあたしに言った。そのまま言葉を続ける。

「昨日二葉ちゃんのメール読んで、ちょっと冷静に学さんの事見れるようになったんだ。昨日の夜は学さんのお友達のアパートに行ったんだけど、そこで友達が外出すると急に学さんが私を押し倒そうとしたの。

私は嫌だって言ったのにやめてくれなかったから……二葉ちゃんの忠告通り、思いっきり蹴りつけちゃった。その時は急いで外に出て、お兄ちゃんに電話して迎えに来てもらったの。今日はきちんと高校に行ったよ。

でもそこで麻沙美ちゃんに昨日あったこと話して、二葉ちゃんに防衛法を聞いといて良かったって言ったら、急に電話しなきゃって麻沙美ちゃんが言うの。私、おかしいと思って後つけたら、廊下の奥の人のいない場所で麻沙美ちゃんが誰かに電話してるとこ見ちゃって……。

内容をよく聞いてたら、唯に膝蹴りのこと教えたのは二葉ちゃんだとか、あんたの計画は失敗だとか言ってるから、電話の後、麻沙美ちゃんに電話の相手と今までの事情を聞いたの。その内容から、二葉ちゃんが危ないかもしれないと思って、急いでお兄ちゃんと一緒にここに来たの」

唯ちゃんが一生懸命説明する内容を、あたしはどうにか理解しようと必死で耳を傾けた。

その時ドカッ、と何かがぶつかる音が食堂に響いて、誰かが倒れる音とみんながどよめく声が混ざり合った。視線を向けると、学が食堂の床に尻餅をついてお腹を抱えているのが見える。

「あー、最近お兄ちゃん現場で鍛えてるから凄い力」と唯ちゃんがつぶやく。

ん? 現場? とあたしが何のことか唯ちゃんに聞こうとすると「ちょーダサ」という女の子の声が耳に入った。

あたしはまた驚いて混乱しそうになった。その声の主は相川麻沙美だった。「あ……あなた、何でここにいるの?」とあたしは呆然としながら聞いた。相川麻沙美は初対面の時と同じように、ニコリともせずあたしを見た。そして面倒くさそうに答える。

「あのバカと別れに来たのよ。唯があたしの話を聞い後、学校早退したから、あたしもその後早退したの。学の奴電話した時メチャクチャ怒ってたから、きっとるいとやりあうと思ってここに来たのよ。

いつも学は俺は強いぜって言ってたのに、全然ダメじゃん。もういやになった。学とはただのH友達だったけど、それもお仕舞いにするわ。今回もわざわざ唯に引き合わせてチャンス作ってやったのに失敗しちゃってさ。あーあ、絶対るいの方がいいんだけどな。

ねぇ、オネエサン、マジでるいをあたしに譲ってよ。だって見た目絶対、あたしとるいの方がいいカンジじゃん」

あたしはムッとして相川麻沙美を睨んだ。るいを譲るって……なんて馬鹿なこと言うのかしら。

「譲るとか譲らないとか、そういう問題じゃないでしょう。あなたは人の心をなんだと思ってるの? 愛情は誰かに譲ってもらって生まれるものじゃないし、恋愛は見た目で決めるものじゃない。

るいが欲しいなら、自分の力でるいに好きになってもらいなさい。もしそれでるいがあなたを選ぶなら、あたしは潔く身を引くわ。それがるいの為になるなら、喜んでそうする」

今やシンとしてしまった食堂にあたしの声が響き渡る。我ながらクサいセリフだなとは思ったけど、それはあたしの本心だった。

無表情だった相川麻沙美の顔に初めて感情が見えた。それはあたしの期待した納得≠竍感動≠フ感情ではなく、明らかに不愉快そうな顔だった。

「そんなことは生涯有り得ないね。二葉が俺から離れるなんて」

るいの声が横から聞こえて、あたしたちはそっちを見た。るいが学をダウンさせた場所から腕を組んでこっちを見ている。

るいの後ろでは学がヨロヨロと立ち上がって、今やグルリとあたし達を取り囲んでいる学生達をかき分けて食堂から出ていくのが見えた。

「君と山浦の計画は、最初から上手く行くはずなかったんだ。俺たちの愛情は君たちの体だけの繋がりのように薄っぺらじゃない。君は本当に俺の恋人になれると思っていたのかい? 

今更だけど、その可能性は皆無だと答えよう。悪いが俺の名前を気安く呼び捨てにするのもやめてくれ。俺はその辺の男のように、見た目が可愛いだけで女の子を好きになったりしないんだ」

るいが言い終わると、相川麻沙美は今度こそ傷ついた≠ニいう表情を見せた。あたしはそれを見て溜飲が下がると思いきや、何だか可哀想になってしまった。どんな子でも、好きな人から拒絶されるのを見るのはツライものがある。

相川麻沙美は下を向くと、クルリと方向転換して出口に向かおうとした。あたしはたまらず、「気をつけて帰ってね。素敵な恋愛が出来ることを祈ってる」と声を掛けた。

相川麻沙美は立ち止まると、少しだけ顔を後ろに傾けて「説教ババァ」と言ってから食堂を出て行った。

まぁ、なんて可愛げのない。でもあの子はあれでいいのかも。

きっとあの子はあの子のやり方で、強い人生を送っていくんだ。それはあたしとは違う道だし、考え方もかなり違うけど、人間みんな同じじゃない。幸せもひとそれぞれ違う。

だからあたしはもう、相川麻沙美を可哀想だと思わないことにした。