HV2

第七話

それは金色に光っている。目の焦点が合わなくて、光るシルエットにしか見えない。

人間……?

そのシルエットが何かを振りかざす。

「いてぇ!」

バシンッという音と共に私を抱く彼が叫んだ。腕の力が緩んだ瞬間に私は急いで彼の腕から抜け出し、横にあった教壇の奥へ逃げた。教壇越しに彼と光るシルエットに目を向ける。

彼は何かで殴られたらしい後頭部を、左手で押さえて私に背中を見せていた。その視線の先に──

「なんだよ、てめー。どっから来たんだ」彼が自分を殴った相手に向かって怒鳴る。

その子は教師用の大机の上に、両足を広げて立っていた。ほとんど白に近い金色の髪が窓越しの夕空をバックに柔らかく輝いている。年のころは八~十歳くらいだろうか。

白いTシャツに同じく白の七分丈のズボン、白い靴という出で立ちだ。緑がかった青い瞳に燃えるような怒りをたぎらせている。

両手両足を踏ん張って机の上に立っていて、その右手には美しい細工が掘られた鞘付きの短い剣を握っている。私は軟派くんがなにで殴られたのか分かった。

「お前……まさかセイ──」

頭を押さえた彼が言い掛けた時、その子は何かに呼ばれたように上方を振り仰いだ。天使と見まごう程の、愛らしい顔が横上に向けられる。

ショートカットにされた髪の毛の後ろの部分に、細く編まれた三つ編みがその子の動きに合わせてピョンと跳ねたのが分かった。

子供はもう一度こちらに顔を向けると、ギリッと歯を食いしばって自ら殴った相手を睨んだ。そして次の瞬間──

消えた。

「あっ、こらまて!」

軟派野郎が叫ぶ。私は教壇につかまって自分を支えた。脚がガクガク震える。

なんだったの? なんで子供が学校にいるの? それに……消えた。一瞬でとか、とけるように、とかではなくて、天井に──空に吸い込まれていくみたいフッとに見えなくなった。

それに……それにコイツ、私にキスしようとした!

怖いけど、あの子が来てくれなかったら今頃この名前も知らない男にファーストキスを奪われていたんだ。

多分私はこの先、誰かと……その相手が男であれ、女であれ、キスやそれ以上のことなど出来るわけないと分かっている。

でもまだ自分は女の子だと信じていた頃、夢見ていた初めてのキスへのあこがれが、この強引なチャラ男に汚されるところだった。

どうせなら、夢は夢のままでいい。

キュッと床を踏む音がする。ハッとして顔を上げると彼が一歩私に向かって近づいていた。こいつは外履きのまま教室に上がって来たんだ、と全然関係ないことが頭に浮かんだ。

「お前、さっきの奴知ってんのか?」

彼が私に向かって訊いた。

「知らない。来ないで」

我ながら情けないが、震えが止まらなくて声も全然迫力がない。男なら良かったのに。本当の男だったら、こんな奴に負けないのに──!

彼の表情がフッと緩む。窺うように私を見ると微笑んで見せた。ちょっとドキッとするくらい、優しい綺麗な笑顔だった。

「悪かった。もう怖がらせるような事はしないよ。だから、泣くなって」

びっくりして自分の頬に手を当てた。確かに涙がこぼれてる。無意識に泣くなんて……とことん情けない。

じり……と彼が私の方へまた足を踏み出す。私はまた後ずさる。彼は微笑んだまま、軽く両手を広げた。

「大丈夫。オレは絶対お前を傷つけたりしない」

「……信用できない」

彼は動かなかったけど、私はゆっくり後ろにさがっていたので結局黒板にお尻が当たってしまった。大声を出しても人は来ないだろう。

もう部活の時間も終わりに近付いている。どうしよう。どうやって逃げたらいい? ダッシュしてもこんな素早い相手から逃げることなど不可能だ。

「蘭?」

突然、低くて太い男の声が教室に響いた。私は黒板のチョーク受けの溝に手を掛けて、力が抜けそうになる脚をカバーして軟派男に対峙していたけど、そのまま首だけ教室の出入り口に向けた。

「どうした? 遅いからまたその辺でぶっ倒れてるのかと思って来たが……なんだ、そいつは」

マサは開け放たれた教室のドアをくぐって中に入って来た。制服を着ているということは、もう部活は終わってしまったのだろう。

マサは教室の中の異様な雰囲気を瞬時に感じとって、軽く身体をかまえた。まず、派手な格好の部外者の男をじっと見つめて、次にチラッと私の顔に目を走らせる。

きっと涙の後を見てとったのだろう。いつもは眠そうに見える細い目と、モサモサ生えた太い眉がグッとつりあがる。

「知り合いか?」

「とんでもない」

私は即座に答えた。マサが来てくれたら百人力だ。急に脚と身体に力が戻った。

「蘭に何をした」短く、マサは訊いた。

「何もしてねぇよ」

さっきまでの余裕が消え失せて、軟派男も身体を固くしている。動きではこいつの速さに勝てないにしても、ウエイトと力はマサの方が断然勝っていそう。

「校内は部外者立ち入り禁止だ。もう部活も終わって門も閉まる。出て行け」

ふぅん、と言って彼は目を細めてマサを見返した。そしてまた余裕を取り戻したように片側の口端だけ上げてニヤリと笑う。でも身体の緊張が解かれた様には見えない。

「ざんねーん。オレは今度このクラスに転入してくるんだ。だから部外者じゃない」

「まだ転入してないなら部外者だ」

彼の言葉をスパッと切り捨てて、マサは言った。即座に軟派の顔が不満げな無表情になる。でも今度は満面の笑みを浮かべて私に視線を寄こした。

「蘭っていうんだ。可愛い名前。ピッタリだよ君に。ほんと、オレの彼女にもピッタリ」

「ぼくは男だ。いい加減、しつこいんだよ」

「お前はオレの運命の女だ。外見なんかどうだっていい。お前はオレのものになる。これはもう決まった事だ。おっと」

しゃべりながらかなり私に接近してきていた軟派野郎は、横から伸びてきたマサの手をひらりと身をよじって避けた。マサの手から飛び退りながらあり得ない速さで教室の出入り口にたどり着きドアに手を掛ける。

「オレの名前はキョウ。桔梗の梗。花の名前っていうのも同じで運命感じるよ。今日はもう退散するけど、近々クラスメイトになる。それまで首をながーくして待っててよ、蘭ちゃん」

シャラリと鎖を鳴らし、最後に出入り口から手だけを出してバイバイしてから、やっと彼は去った。