HV2
第二話
「あんな可愛い子にどうやって惚れられたわけ?」
「それが全く心当たりがないんだ。喋ったこともないし」
治希は私の肩に回していない左手を顎に当てて上を見た。
「やっぱアレじゃね? おれの魅力が女子の間に浸透してきてるとか」
にぃっと笑って治希は私を見た。私は無表情で見返した。
「──で、なんて言って断ったの?」
治希は一瞬、ギョッとして一歩さがった。私は腕を組んでそんな治希を眺めた。
「他に好きな子がいるから付き合えないってちゃんと伝えた?」
「なっ……なんだよ。その、好きな子って」
治希は私から離した右手を握って口元に当てた。頬は真っ赤に染まっている。
実に──分かりやすい。
でも私がその質問に答える前に「それにおれ、断ってないぜ」と治希は言った。
今度ギョッとするのは私の番だった。断ってない、ということは……。
「付き合うの? 口さんと?」
「ああ……、うーんと、その……一応最初は断ったんだけど、彼女いないなら彼女にしてって言われたんだ。お願い、お願いってさぁ。それにほら、おれ、付き合うってしたことねぇし……」
治希は頭に手をやって髪をかき回した。ボサボサの髪が余計ひどくなる。
そんな治希をみながら、憮然として私は言った。
「クネクネとか、ウルウルとかされたんだ」
「う……された」赤くなったまま目を閉じて、降参って感じで治希は言った。
──治希はいい奴だ。マジでいい奴だと思う。でも欠点がある。
女に対して、アホすぎる。
「好きでもないのに、付き合うってことかよ」
「だからぁ、付き合って、好きになるんだろ」
まぁ確かに、それも一つの手だとは思う。
でも友達から始めるっていう方法もあるはずだ。
江口陽菜も告白した最初から〝彼女にして〟っていうのは、ある意味強引だろう。
その感覚、私がおかしいの?
「それにめちゃ、カワイーし。近くで見たら色白でさ。すげえ睫毛長かったよ」
言ってから、治希は私をじっと見た。視線は私の目のあたりをさまよう。それからおもむろにつぶやいた。「睫毛は……蘭の勝ちだけど」
私の顔の事はどうでもいい。私は眉を寄せて治希を見た。
「好きになる自信、あるわけ?」
治希は私から目を逸らして廊下の床を見つめた。力が抜けた感じ。
「おれは……女心って分かんないから……」
途方にくれたような表情で、治希はつぶやいた。私はちょっと止まって考えた。治希には治希の考えがあるのかもしれない。
「……なんかあったら、相談して。出来ることは力になるから」
私の言葉に治希は上目づかいで見返してくる。私が軽く笑い返すと、安心した様に治希も笑った。
「そう言ってもらって良かったよ。実はちょっと、後悔してた」
「それなら、今から断ってこいよ。中途半端な気持ちじゃ、江口さんにも失礼だろ」
その時、ブブッと音がした。スマホのバイブが鳴動している。治希のジャージのポケットから聞こえた。音からしてLINEの着信だろう。かなり連続で鳴っている。
治希はポケットからスマホをひっぱり出すと、画面を見た。顔認証でロックが解ける。その顔が怪訝そうにくもった。
私は何も言わずに治希を見た。誰から? とも訊かなかった。
LINEの相手など、治希は私から一々訊かれたくないだろうと思うから。
でも治希は画面そのものを私に向けた。
「これ……」
私は画面をじっと見た。画面が汚くて見にくい。さすが治希のスマホ。その画面上には絵がピョコピョコ踊っているスタンプと、細切れにズラリと並ぶ吹き出しが続いていた。
二年に上がってから私もスマホを持っている。菜々美ちゃんの指導でLINEにも慣れてきた。
実家の両親は、勝手に兄と出て行った私を、最初、放っておいた。
放棄していた、と言うより、見た目と違う性を持つ娘の事で元々混乱していたのが、急に出て行かれてどうしたらいいのか分からなかったようだ。
でもさすがにまだ高校生の子供を、息子一人に任せるのも酷だと思ったのだろう。兄の口座に、私の生活費として月八万円入金してくれることになった。
兄からその話を聞いた時は、情けないと思いながらも心からホッとした。結局私は誰かに庇護されなければ、日々の食事をとることや柔らかい布団で眠ることすら出来ない。我ながら情けない。
兄はまずそのお金で、私といつでも連絡がつくように携帯電話を持つことを勧めた。
兄は考古学の研究やら発掘やらで全国を巡るせいか、変な時間に帰ってくることが多かったが、スマホのお陰で帰宅するときは連絡をしてくれるようになった。
固定電話もあるが、夜中に電話が鳴るより携帯のバイブが震える方がまだ気持ち的に楽だ。
「さっきは、オッケーしてくれて、うれしかったよ。夜は通話しよ」
私は短い文字が並ぶ吹き出しを続けて読んだ。画面から目を離し治希に視線を戻す。
「江口さん?」もちろん分かったけど、訊いてみた。
「……うん」途方にくれた声と顔。
「ホントにこの先、大丈夫?」
治希は両方の口端を下げて、ほとんど泣きそうな顔で私を見た。治希は小まめに人と連絡を取るタイプじゃないし、通話なんて私相手でも滅多にしない。
そこでヒュッと新しい吹き出しが増えた。アプリを開いてしまっていたので、即座に既読がつく。
私は携帯から視線をそらして「来たよ」とだけ言った。いつまでもひとのスマホをのぞき見したくない。
治希は声にだしてメッセージを読んだ。
「今、パール、治希の為に、可愛い服、探すね」
次々現れる吹き出しを治希が読み上げる。また情けない顔。
パールは駅に繋がる、この田舎町唯一の大型ショッピングモールだ。
ちょっとしたブランドの服も売っているが、本気でオシャレをしたい子はみんな電車で都内に出る。
またもや吹き出しが増えたのか、治希はある種の恐怖すら感じているような表情で画面を見た。
「やっぱ、パール、×、今度、かいもの、いこ」
ふらっと身体を揺らすと、治希は私の肩を掴んで自分を支えた。
「大丈夫かい? ハルくん」
他に思いつかなかったのでとりあえずそう訊いてみた。治希はゆっくり首だけ振った。
きっと、世の中にはこんな風に事細かに、今している事を伝えてくれる彼女が、可愛くてたまらない男性もいるのだろう。
でもそこに治希が当てはまるとは到底、思えない。