第十四話

授業は単調に過ぎて行く。

この何とも言えない忙しなさと、どうにもならない退屈さを思い出すのに、一年のブランクがあっても大して時間は掛からなかった。

学校というのは独特の空間だな、と思う。まだ不完全で可能性ばかり大きい子供の集団の場所には、何か特別な魔物でも住んでいるんじゃないかという気がする。油断するといつ、足をすくわれるか分からない。

時間割を確認して、今日もまた体育がある、と思い出した。連日で最悪なのは、一つしかない体操服を、昨日の夜のうちに洗って乾かさなければならなかったことだ。今はまだ暑いからいいけれど、冬になったらどうしよう。乾くかなぁ。

また着替えをしなきゃならないな……と思って憂鬱になったけど、やらなければならない。体操服を出そうとして、朝と同じく凍りついた。鞄とは別の袋に入れておいたはずなのに、体操服だけ──見当たらない。

うそ……また? と思って、鳥肌が立った。昨日洗って乾かして持ってきた記憶はしっかりある。忘れたなんて思えない。──上靴と同じだ。また、誰かが盗ったのだ。

どこかから戻ってきた流が、隣に来るのが分かった。私がじっと動かないで机の上を見つめているのを見ると、私の横に膝をついて、椅子に手をかけた。私を下から覗きこむと「また……何かあった?」と低く訊いた。

「体操服が──」そこまでしか言えなかった。

流は眉根を寄せると、スッと目を閉じた。息をとめて、何も言わない。まるで──全身全霊で何かを感じ取ろうとしてみたい。流の身体の回りだけ、薄青いもやが掛かったように見えて驚いた。そばにいる私はスウッと涼しくなって、不安が軽くなる。

「蘭ちゃん、行こー……って着替えてないじゃん。どしたの?」

菜々美ちゃんが隣のクラスで着替えを終えて迎えに来てくれた。

「蘭は、まだ足が良くなっていないから、今日は見学する」

突然、流に言われてビックリした。菜々美ちゃんは、目をぱちくりさせて流を見ている。

「──と、言うことを前提にしといてほしい。実は、蘭の体操服が見当たらない」

流は真っ直ぐ菜々美ちゃんを見て、さっきの言葉に補足して本当の事を伝えた。菜々美ちゃんは可愛らしい眉間にしわを寄せた。

「それって、朝と同じかな。一樹から聞いたの。蘭ちゃんの上靴が一時なくなって、でもすぐ見つかったって」

菜々美ちゃんは流と私を交互に見た。頭が切れる子だな、と思った。みんなに聞こえないように声を小さくして、話してくれている。

「もう時間がないから、今日は見学と言うことにしよう。体操服は後で探すから」

そう言って流は安心させるように微笑んだ。私は言葉もなく、流を見た。「あたしも、もちろん探すの手伝うよ」菜々美ちゃんも言ってくれる。

「おれもやる」

いきなり近くで声が聞こえて、一瞬飛び上がった。遠藤が私の机のしたに小さくなってしゃがみこんでいる。不意打ちの名人だな、こいつは。と思ったけど心遣いに感謝した。

「とりあえず、まだ先生には黙っておこう。続くようなら、いわないとダメだな」

流はそういって、立ち上がる。不安のために動けない私の頭を、流は軽く握った手でコンと叩いた。見上げた私の視線を捉えて柔らかく笑う。

「授業が終わったら、手分けして探そう。ぼくは着替えたらすぐいくから、先に行っててくれ」

私たちにそれだけ言うと、流は自分の体操服を出した。



「また?」そういって近藤は私を見た。菜々美ちゃんと遠藤が体操服探しで動くなら、他の三人にも言わないとまずいな、と思って自分で話した。河野は真剣な顔で腕を組んでいる。瑠璃ちゃんは心配のあまり、涙ぐんでいる。

「とりあえず、担当区域を決めて、ざっとでもいいから見て行こう。広いから大変だけど、協力してくれよな」

遠藤は言って、励ますように私を見て笑った。

「それにしても、広いぜ。どこか奥の方とかに押し込んであったりしたら、見つからないかもしれない」

近藤が面倒くさい、という本心を滲ませながらため息交じりにつぶやく。

「一樹のネガティブシンキングには、呆れる」

遠藤は言うと、不機嫌そうに足を速めた。私のせいで仲のいい二人の友情にヒビが入って欲しくない。私はあわてて言った。

「近藤くんの言う通りだと思う。教室移動の時とかに、気をつけて周りを見てもらえば充分だよ」

「いいから。一旦、探すだけ探してみる。おれはそうするからな」

遠藤が言うと、河野が無言でうなずいた。菜々美ちゃんと瑠璃ちゃんも、うん、うん、と頷いている。

こういうの、大っ嫌いだ、おれは。と遠藤がつぶやくのが聞こえた。

「ありがと、遠藤くん」

私の声は、少し震えてしまった。遠藤は黙って手を上げた。

流とサッカーが出来なかったのは残念だったけど、見学したお陰でそのしなやかな運動能力を、じっくり観察することが出来た。

流の動きは素早すぎて、誰も追いつくことが出来ない。一瞬、みんなに埋もれて見えなくなっても、シュッとどこからか出てくる。仲間の動きもしっかり把握して、タイミング良くパスを出す。

遠藤は最初遠慮してか、流がシュートを決めても飛びつくことはせず、手を出してパンッと合わせるだけに留めていた。でも三本目のシュートを近藤を抜いて決めた時は、飛び上がって流の肩に組みついた。流はにっこり笑うと、遠藤と曲げた腕と腕をぶつけて喜びを現す。

近藤は下を向いて歯を食いしばっていた。なんだか自分のせいじゃないのに、近藤に申し訳なくなってきた。まぁ、たかが体育の授業に近藤が傷つくことはないと思うけど……。