第十三話

下駄箱の奥の廊下に視線を向けると大泉が立っている。手には青いラインの上靴……。その靴を見て息を飲んだ。赤黒く染まっている。まるで……泥に汚れた血のような色。

「焼却炉の近くに落ちてたんだ。ほら、うちの部室は体育館の裏手にあるから。部活動が終わって部屋から出たら、落ちてるのに気がついた」

大泉が血の染みた私の上靴を大切そうに持ったまま言った。

「マン研が朝練かよ」近藤が馬鹿にしたように大泉に向かっていう。その時ふと、違和感に気付いた。今の会話にはおかしなところがある。

「まあ、見つかって良かったな。たいして汚れてないし」と遠藤が言った。汚れてない? 何を言ってるんだろう。あんなに──血が付いてるのに……。

「ちょっと貸して」流が大泉に言った。大泉はあきらかに不機嫌な顔で「俺が渡すよ」とかみつく。「靴の中を見たいんだ」流は大泉にさらに言う。

言い方は優しかったけど、表情は有無を言わせぬ迫力があった。大泉はビクッとすると、しぶしぶ流に靴を渡した。

流の手に靴が渡る。靴を一つずつ丹念に調べている。もしかして画鋲とか剃刀とか仕組まれてるのを疑ってるのかな。

そう思って流を見ていると、その手元から靴全体の空間がぽおっと光るのが分かった。私は驚いてまた息を飲んだが、みんなは何の反応も示さない。流のチェック終了をただ待っているだけだった。

「なんともなさそうだ」と流が言って私に靴を渡してくれた。「ありがとう」私は答えて靴を見た。

──汚れて、ない。

流を見た。相変わらず、優しく私を見下ろしてくる。窺うようにその瞳を見つめたら、そっと視線を外して横を向いた。

「とにかく良かったな。さ、教室行こうぜ」と遠藤がみんなをうながす。そして廊下を先に立って歩きながら、「お前早いな。もしかして自主朝練? それならおれにメールしてくれよ」と近藤に言っている。

「大泉くん」私は教室に向かいながら声を掛けた。「あの、ありがとう。靴を拾ってくれて。ほんとに助かった」とお礼を言った。

大泉はかわいそうなくらい赤黒く顔を染めて「いいよ。ただの偶然だよ」と言って笑った。そしてちょっと普通ではないくらい近寄ってきて、私に密着しながら歩いた。

うっ、と思ったとたん、流が私と大泉の間に割って入る。大泉は明らかに不機嫌そうに、流を見上げて睨みつけた。流は真っ直ぐ前を向いたまま憮然としている。大泉の視線など意に介さない。

割って入ったことで、流は大泉よりさらに私に密着して来る形になった。背の高い流が間にいるので、私から大泉の姿はチラっとしか見えない。でも私は大泉に訊きたいことがあった。そこで思わず自分の腕を流の右腕に絡めて、大泉に向かって顔を傾けて話しかけた。

「大泉くん、ぼくの上履きを見つけてくれたのは、いつ?」

「さっきだよ」

まだ不機嫌そうだけど、私には笑顔で大泉が答えた。「……そっか、ありがとう」私は答えて、ふうん……と思って思案した。

流は少し歩調を緩め、みんなから離れて歩くようにする。前方では遠近コンビがじゃれあっている。河野はもっと前を歩き、大泉はちょっとこちらを見てムッとした顔をすると、そのまま歩調を速めて先に行った。

「……何?」と流が私に訊いてきた。私が考え事してるのが分かったみたい。私は前方の近藤を見て、また少し速度を落としながらそっと流に話しかけた。

「──なんで、近藤くんは大泉くんが朝≠レくの上靴を拾ったことを分かったのかな、と思って」

私の疑問を理解して、流は少し目を見張った。大泉は「部活の後」と言ったはず。その言葉に何故すぐ「朝練」と近藤は返したのだろう。あの時点では大泉が上靴を拾ったのは、昨日の放課後の、部活の後の可能性もあったはずだ。

「靴を隠した犯人は近藤で、それも朝早く、いつも行動を共にする遠藤に声もかけずに学校に来て犯行に及んだ」

推理ドラマの刑事みたいに流が言った。

「あ、でも」と私は焦った。

「大泉くんが昨日拾ったのなら、そのままぼくの靴箱に入れるよね。あんな風に靴を持って来たんで、拾ったばかりだって分かったから、近藤くんは朝練って言ったんだ」

考えてみたらその方が自然だ。近藤を疑って、申し訳なくなってきた。うーん、といった感じで流はまだ思案している。どちらにしても納得するのは難しい。

「要するにぼくは、転校初日目にして誰かに恨まれてるってことだよね……」

私はつぶやいた。流は眉根を寄せたまま黙っている。でもすぐにこちらを向いて優しく甘い微笑を浮かべた。

「蘭のことはぼくが守る」

言葉を失って、流を見つめた。そこでハッと気付いた。私の左腕は流の右腕に絡まったままだった。急いで腕をはずして「ごめんね」と言った。赤面するのが分かって恥ずかしくて顔を上げられない。

「いや……」とひくく流が言ったのを聞いて、上を見上げて、えええっと思った。横を向いた流の頬がうっすらとだけどピンクに染まっているのが見える。

茫然としていると、流はこちらを見て、私の肩に腕をまわした。ふわっといい香りが漂う。そのまま流は額を私のおでこに近付けた。さらさらの流の黒髪がくせ毛の私の髪に少しだけ、触れるのが分かった。

「きっと触り屋遠藤≠フ病気が移ったんだ」と囁くように流が言った。触り屋遠藤! あまりにぴったりで思わずワハハッと笑ってしまった。

「ものすごく感染力が強いんだ」私は照れ隠しに下を向いて言った。「ホント、これ癖になりそう」と流が言う。

私は流の腕の中で、とても、とても、幸せで……哀しかった──。