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第十二話

ほっと息をはく音がした。見上げると流が微笑んでいる。声に負けないくらい、この笑顔が好きだ。

「良かった。で、脚はどう?」

安堵と心配が入り混じっている声と顔。

「うん、大丈夫。カットバンを三連で貼っただけで済んじゃった。痛くないよ」

「なんで三連?」

「だってうち、でっかいカットバンないんだもん。しょうがないから普通サイズのを三つ繋げて貼った」

何がおかしかったのか、流はちょっと笑って、もっとちゃんと治したかったな……と小声で言った。「──何?」と聞き返した。治すって……流が? 聞き間違いだろうか。

「それじゃ動いてたら剥がれちゃうよ。そうなったらまた保健室に連れていくからな」と腕をくんで上から見下ろしながら流が言う。やっぱり聞き違いかな……。

「じゃあ、その時は──だっこして行って!」と言ったら、あははと流が笑った。



「なんでうちの住所を知ってるの?」

学校へ向かって歩きながら訊いた。だらだらと続く長い坂道も、流と一緒なら脚が軽い。

「きのう立川先生に訊いたんだ。傷が心配だからって言ったら教えてくれた。本当は昨日の帰りに寄りたかったけど、個人情報流出の代償だって山ほどコピーさせられて……」

うんざりした顔で流が言う。昨日の不機嫌な生活委員の片割れと一緒だったのならさぞかし苦痛だったろう。「今度頼まれたらぼくも手伝うよ」と言ったら「助かる」と笑って流が返した。

そこで肝心なことを訊き忘れていることに気がついた。昨日の疑問に対する答え。私を見てなぜ驚いたのか訊きたい。口を開いた瞬間に私の身体にドッと人の腕が組みついた。

「うぃーッす! 今日も暑いね、諸君」遠藤が言った。暑いなら抱きつかなきゃいいのに。

「脚、大丈夫か?」とすぐさま遠藤が訊く。なつこくて嫌味がなく、さりげない優しさを見せる遠藤は、流とは違う意味で好感を持たずにいられない。知り合いになれて良かった、と思う。

私が遠藤の質問に答える前に、「今日は朝練ないのか?」と後ろから言われてビクッとした。振り返ると、河野が遠藤を見て言っている。いつの間に現れたんだ?

それにしてもデカイ。流と匹敵する位置から見下ろしてくる。流と違うのは身体の幅だ。ぬりかべみたい。

「今日はラッキーにも先生の都合が悪いって」と遠藤が答えた。「そういう時は自主練だ」河野は言って、「脚は平気か?」と私に視線を向ける。ちゃんと心配してくれたんだ。

「うん、もう大丈夫」遠藤と河野の二人に答える。私はいい奴に囲まれている。こくりと無言で頷くと「春日」と河野が流を見る。

「今度暇があったら、また手合わせしてくれ。もう俺の相手を出来る奴が、空手部にはいないんだ」

流は河野を見て、魅力的な、でも私には一度も見せたことのない笑顔を見せる。

「いつでもいいよ。河野の都合のいい時で」

挑戦的な瞳。戦いに挑む戦士の目だ。急にうらやましくなって、手を挙げて私は言った。

「はい! ぼくも参加しますっ」

「はぁ?」と言ったのは遠藤だった。

「無理だよ。お前三秒で死ぬぞ。てか、空手やったことあんの?」

私は憮然として遠藤を見た。

「小学校までやってたもん。だから十秒は持つ!」とこぶしを握って腕を曲げて見せる。「──自信があるんだかないんだか、わからん答えだな」あきれて遠藤が言った。

「ぼくは……蘭とは手合わせ出来ない」と流が言った。ぷっとふくれて流を見ると、とてつもない難題を突き付けられたクイズの回答者みたいに困った顔をしている。青ざめてさえ見える。

「俺も、無理だ」河野まで言う。「すごいな、お前。戦わずして二人に勝ったぞ」と遠藤が言ったら、私以外の三人が一斉に笑った。

わいわい言いながら玄関に着いた。昨日確認した自分のくつ箱を見つけて、ふたを開ける。バサッと何かが落ちて足に当たった。ぎょっとして下を見ると封筒が二通、足の上に乗っていた。さくら色と薄い水色。

「うおっ。ラブレターじゃん」遠藤に言われて驚いた。ラブレター? 今時こんな古風なことするんだ。

バササッと今度はもっと大きい音がした。見ると流が靴箱を開けたとこだった。足元と、まだ靴箱のなかに合計十通くらいの手紙が見える。「さすが春日!」と遠藤が言った。

手紙を見て何故か苦しくなった。素直に流に好きと言える、真っ直ぐさがうらやましくて……。

自分宛の手紙を拾って改めて靴箱を見る。そこで──凍りついた。「……どうした?」と流が鞄に手紙を仕舞いながら訊いてくる。

「上履きが──ない」私は低い声で答えた。

「え?」と言って、流が険しい顔で私の靴箱を確認する。見てから流の顔がグッと歪む。警戒? ……違う。

〝恐怖〟かも。

その時、「うっす」と言う声が後ろから聞こえた。振り返ると近藤がいた。なんだか落ち着かなくてピリピリしてる表情。ちらちらと色んなところを見ている。両手も忙しなく、握ったり開いたりしていた。

そこでやっと私に視線を合わせ「なあ、楠本、お前サッカー部に入らない?」と訊いてきた。もう、さっきの様な迷いは感じられない。イケてる高校生に戻っている。というか、〝仮面をつけた〟。……私はそう感じた。

「昨日あんまり試合できなかったけど、楠本のことすげえって思ってさ」言いながら近づいてきた。私は頭の中が混乱して、答えようとしても声が出てこない。

「……どした?」と近藤がいった。近藤も私の様子がおかしいことに気が付いた。「楠本の上靴が見当たらない」と私の代わりに遠藤が答える。険しい表情だった。「おれ、その辺探してくる」とすぐ動こうとする。「待てよ」と近藤が止めた。

「学校中探すのか? もうすぐホームルーム始まるぞ」

遠藤に向かって言う近藤の表情は、なんでお前がそんなことしなくちゃならないんだよ、と言いたげに見えた。

「とりあえず、職員室で来客用のスリッパをかりてくるよ」と流が現実的な意見を出す。

「それなら自分で歩いてくから大丈夫。ホームルームに遅れちゃうから、行って」

私は焦って流を止めた。また迷惑をかけてしまう。

「ダメだ」即座に言われる。「すぐに取ってくるから、ここを動かないで。いいね?」と更に念を押された。

フンっという音がした。近藤が気に入らなそうにそっぽを向いているのが見える。遠藤が怪訝な顔で近藤を見た。

「……靴ならここだよ」

いきなりねばっこい声がした。