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第六話

校庭の隅に男子がパラパラ集まっている。ひと際背が高いのが、流だ。姿が見えてホッとした。

普通に立ってるだけなのに、流の醸し出す雰囲気は貴族を思わせる優雅さがある。貴族なんて知らないけど、〝高貴〟というのはこういう感じなんじゃないかなと思う。

みんなと同じ学校指定の体操服が、流の身体に沿って理想の形を取っている。ほっそりして見えるのに綺麗な筋肉の線が分かる。

これほどのスタイルを保つのにはかなりのトレーニングと、食事の管理が必要じゃないかな。高跳びをやるために身体をつくってきた私は、身体は管理しないとすぐ崩れてしまうことを身に沁みて知っている。

「よぉし、背の順に並べ!」

立川先生の声がした。見た目通り、体育の教師だった。背の順ということは、私は前の方のはず。流とは離れてしまうな……とぼんやり思っていた時、「楠本、大泉と背比べしてくれ」と先生に言われた。

「はい」と言って先生が示した相手を見る。はっとして頬が引きつりそうになった。この顔は朝、職員室に案内してくれたニキビ君だ。大泉と呼ばれた彼は何も言わずにこちらをじっと見て、にたりと笑いかけてきた。

「じゃあ、お互い背中を向けて」

先生に言われ大泉に背を向ける。

「もっとピッと姿勢を正せ」と先生に肩を掴まれた。大泉とお互いの背中がくっつく形になる。

その時、先生からもみんなからも、死角になっている私の左太ももに、ぬらりと汗ばんだ、ひょろりとした手が当てられたのが分かった。ジャージ越しでも汗に濡れているのがわかる。ごつそうな見た目に似合わず、大泉の手はふにゃふにゃした赤ちゃんみたいな感触がした。

ぞっとして身体を離そうとした瞬間、「楠本の方が大きいな」と先生が言って、肩から手を離してくれた。身体が震えないようにゆっくり前を向いた。左太ももがべっとりと熱い。水で洗いたい衝動に駆られる。

先生が前に行って今日はサッカーの試合をする、と話しているのが変に遠くに聞こえた。自分が貧血を起こしかけてるんじゃないかと不安になる。

「……ごめん、偶然手が当たっちゃったよ」

大泉が振り返りながらみんなに聞こえないように言った。偶然にしては撫でさするような動きをしていた気がするけど……。とりあえず「いや……いいよ」と返事を返す。

「やっぱり同じクラスになれたね。実は俺、運命みたいなもの感じてたんだ。これからも仲良くしてくれよな。俺、友達少ないし楠本が仲良くしてくれたらすごく助かるよ」

大泉はまた勝手にベラベラ喋っている。仲良くなる? 人と仲良くなるのは宣言してからなるもんじゃないだろ?

私も元々友達は少ないし、増してこの学校では来たばかりでみんなとはお互いまだ探り合いの状態だ。でもこいつと親交を深めるのはごめん被りたい、と言うのが本心だった。

なんと答えてたものか返事に窮していると、「背の番号順で偶数と奇数に分かれよう」と先生が言った。私は前から五番目。大泉とは別のチームだ。

「残念だな。楠本のパスを受けたかったよ」

言いながら大泉がこちらを見る。引きつりながらもなんとか表情を取りつくろって、軽く手を上げてから急いで離れた。「奇数はこっちだぞ」と言う先生の声に従って、下を向いて歩いて行く。トイレで黒い影を見た時と同じくらい全身が鳥肌立っているのが分かった。

「何番?」上から声が降ってきた。さっきとは全く別の意味でゾクッとくる。それなのに身体に暖かさがもどり、ものすごく安心してしまう。流の声は、すでに私の精神安定剤になってしまっている。「ご」とだけ言って見上げた。

「ぼくは三十九」

言ってから微笑んで、流がグーパンチするように左手を出した。意味がわかったので「よろしく」と言いながら私も左手を握って流の手にコツンと合わせる。

初めて、流と……触れ合った。その瞬間──

ふわっと二人の足元から暖かく心地いい風が湧き上がってくるのを感じた。信じられないけど確かに、二人が一緒に発光したようにも思えた。ほわりとした光が私達を包む。

流の漆黒の髪と、私の薄茶色の髪が下から煽られるようになびいた。ビックリして流を見る。流は愛おしむように私を見ていた。何もかも見透かすような瞳……。

「各チーム、番号の若い順から十一人ずつ出てくれ。残りは順番に交代するからな」

立川先生の声が私を現実に引き戻した。みんなは気付いてないだろうか、と周りを見渡したがこちらを見ている人は誰もいなかった。

「残念。見学になっちゃった」と流が言う。体育は二クラス合同なので知らない顔がたくさんある。一気に心細くなってきた。ため息をついてすがるように流を見上げたら、大きな手で私の髪をくしゃっと撫でた。

「怪我しないように気をつけて」

口元には微笑が浮かんでいたけど、目は真剣だった。それだけ言うと流は私から離れて、出場を待つためにコートの外にすわった。

「春日が見学なんて、サイテー」と言いながら遠藤が私の肩に手をかけてきた。こいつはボディータッチの天才だ。さりげないし、嫌味がない。

「カレ、上手いの?」と聞く。まだみんなの前で〝流〟と呼ぶ根性はない。大体本人にさえ言ったことがない。ほんとに呼び捨てでいいのかな……。

「そりゃもう、俺達サッカー部もコテンパンですがな」と遠藤が言った。

「達ってことは近藤くんも?」

「そ。一年ながら二人でレギュラー候補なんだぜ」

ちょっと自慢げに言う。やっぱりサッカー部なんだ、と思った。いかにもって感じで笑いが出る。

「春日をどうにか部に入れたいんだけど、家の都合とかでダメだって言うんだ。どこの運動部も欲しがってるけどみんな断られてる」

遠藤が続ける。心底残念そう。流のあのスタイルは、部活によるものではないらしい。自主トレであそこまで綺麗な筋肉なのはすごい。私は誰かを意識しないとすぐ怠けるから尊敬に値する。

「楠本はサッカーどう?」と遠藤が聞いてくる。チビだし期待してないって表情。「ぜんぜん。ぼくは高跳び専門なんだ。でもそれも故障してからやらなくなったけど」と半分嘘をつく。

そこで、ああ、と思う。これも故障かもしれない。
怪我ではなく、身体の中の故障……。

「そっか……故障なんて残念だな。サッカーなんてやって大丈夫か?」と遠藤が言った。彼も優しい性格らしい。「だいじょぶ。適当に避けるから」と答えた。サッカーなんて小学校の時以来だ。無難にかわすに限る。