HV

第七話

でもその言葉を自分で裏切ることになった。

ピーッという試合開始の合図から三十秒後に、最初のシュートを決めたのは私だった。意識とは裏腹に、身体は勝手にボールを追った。スポーツの楽しさを身体の方はしっかり覚えていたらしく、案じていたより脚もすんなり動いてくれた。

遠藤は最初目を丸くしていたけど、すぐに「ナイスシュー!」と言って飛びかかってきた。サッカーをするのが、そして勝つのが本当に好きなんだろう。さわやかで気持ちのいい反応だった。

ゴールキーパーのキックと共に試合が再開する。みんながドッとボールを目指して駆けてくる。最初、気だるげでやる気が今一つだった級友たちが、転校生のいきなりのゴールに闘争心を掻き立てられたらしい。

ごつい男子目がけて突っ込んで行くのは勇気がいるけど、私の身軽さが功を奏した。たくさんの脚がボールを捕らえようと交差する中、右に左に動いてこぼれ球をまた捕まえた。

軽くドリブルしながらゴールを目指す。視線を走らせると遠藤がパスをアピールしてきた。その時チーム分けの為の、オレンジ色のナンバー入りのランニングを着た近藤が立ちふさがった。右足を素早く出してボールを狙う。

私はひょいと一旦後ろにボールを蹴って、また左足でボールをキープした。流石に近藤の動きは素早い。私は隙を見て遠藤にパスする。ボールはスルスルと遠藤の前に移動した。近藤が向きを変えると遠藤がまたパスを返してくる。前が開いた。

私は一気にゴールを目指しドリブルする。焦った近藤が追いついて脚を蹴りつけてくる。軽くジャンプしてかわす。

わあっとギャラリーが騒いでいるのが聞こえた。女の子の声も混ざっている。思わぬ女子の応援に男子達の士気が上がった。後ろに気配を感じて眼だけで振り返ると、そこに大泉の顔が見えた。前方でまた近藤の足が繰り出される。

上手く右にかわした、と思った時、〝目〟が見えた。

近藤の足の下からそれはいきなり這い出した。私の脚目がけてうねる様に近づいてくる。ピッと左足に影が当たった。瞬間鋭い痛みを感じて前かがみに倒れた。すぐ後ろに追ってきていた男の子達の塊が、私を目がけて乗ってくる。腕で顔をカバーしたので、両腕が擦り切れるのが分かった。

でもその痛みより左足首がキリキリ痛む。切り裂かれたような痛み。続いて男子高校生達の身体の重みが、ドッと私に圧し掛かってきた。一瞬呼吸が止まる。

私のすぐ上にいる大泉の手が、どさくさに紛れて私の身体を這いまわるのを感じた。脇の下から胸元、ウエストに降りて行き、腰の脇をまさぐる。最後に臀部をなでながら……、あろうことか脚の間に割り込もうとする。あまりのおぞましさと驚愕で、声を出すこともできなかった。

ドスッ、バタン、という音と共に「痛えっ」とか、「なんだよ」と言う色んな声が聞こえた。重みが楽になってくる。大泉のベタついた手が残り少ない時間を有効に使おうと、ますます私のお尻をなでまわした。ふっといきなり重さがなくなる。

かなりの間があってからズドン! と音がして「ギャーッ」と大泉の声が上がった。誰かが力任せにぶん投げたらしい。骨でも折れりゃいいのに。

「蘭っ」とお腹に響く声が私を呼んだ。初めて名前を呼ばれた。その嬉しさで一瞬痛みを忘れる。

流の手がそっと私の肩に触れ、ゆっくりと仰向けに身体を反してくれる。すぐにでもあの美しい顔に目をやりたかったけど、恥ずかしさとショックで目を閉じてしまった。

「楠本! 大丈夫か?」と立川先生が言うのが聞こえた。しかたなく目を開けると流の苦痛に歪んだ顔が見えた。顔色が真っ青だった。怪我をしたのが私ではなくて流みたいだ。

「血が出てるな」と先生が言う。確かにあちこち痛いけど、先生の視線は私の左脚に注がれていた。

「保健室に運びます」

押し殺した声できっぱりと流が言った。この場に保健係が居たとしても恐れをなして引っ込んでしまっただろう。次の瞬間、私は宙を浮いていた。

キャーッと女子が騒いだ。「お姫様だっこ!」と叫んでる菜々美ちゃんの声も聞こえる。

「りゅ、りゅ……う、あの、歩くから平気」

焦って言ってみたけど「馬鹿言うな」と短く返される。

……もしかして怒ってるの? しばらくそのまま運ばれながら、自分の左脚を見てみる。足首がぱっくり切れていた。鋭利な刃物で切ったみたい。これがあの目のせいだと思うと恐ろしさで血の気が引く。流は真っ直ぐ前を向いて黙ったままだ。

「……あの……流、ごめんね」私は言った。「なんで謝る?」と流が言う。心底ビックリした表情。

「だって……怪我するなって言われたのに……」

情けなくて目を合わせられない。

「ちゃんと気をつけなくて、ごめんなさい」

最後は蚊の鳴くような声になってしまった。流の顔はものすごく近くにあるから聞こえてはいるだろうけど。言ってるうちに保健室に着いた。流がドアを蹴って開ける。保健の先生の姿は見当たらない。流は私を椅子ではなく、ベッドの上にそっと下ろした。

「ちょっと待ってて」と言うと、すぐに消毒液と脱脂綿を大量に持ってきた。流が私の前に跪く。「痛いけど、我慢して」と言う声と共に、左足に冷たい液体がかかるのがわかった。

次の瞬間激痛が身体に走る。ぐっと歯を食いしばって耐えた。消毒液で洗われた傷口を見て吐き気が襲ってきた。ザックリ割れて白っぽい色が見える。

これって皮膚を通り越して肉? もしかして……骨? 自分の身体の内部を少しだけ覗いてしまった感じ。

さっきから外が暗いな、と思っていたけど、実は自分の視界が狭まっているのだと分かった。いつもは見える視界の両脇が、黒いスプレーをかけられたみたいにぼやけている。前方だけは見えたけど、それも黒い靄がかかっているみたい。ぼやけた視界に流の驚愕の表情が映る。

ぐらりと身体が傾くのが分かった。目の前が完全に暗くなった瞬間、力強い手が私を抱くのを感じた。

そのまま、何も感じなくなった。