第六十二話  『警察』


 ニノさんはあたしをそっと引き離すと、朔也さんに顔を向けた。

「それで? やったのはダレなの? 例の仕込み針のドレスを持ってきた女?」

 訊かれた朔也さんは首を振って否定した。

「違う。犯人はその子の友人だよ。さっき、ここに来る前に式場の従業員に確認したんだけど、薬物が絡んだことなんで一応警察を呼んだらしいんだ。塩酸をかけた本人は警察の人に、『何も知らない。覚えていない』と言っていたそうだよ」

「はぁ!? どういうこと? だってその子が、トイレで小花に塩酸をかけたとこ、ルディが見たんでしょ?」

「ああ、見たよ。ピアノの休憩に入って廊下に出た時、小花がトイレの方に向かうのが見えたから、後を追いかけたんだ。その時すでに、小花の後ろにブルーのドレスを着た背の高い女の子がいた。キョロキョロ周りを見渡しながら、足を忍ばせて歩いてたから心配になって後ろからつけてみたんだよ。

 小花がトイレに入ってすぐ、紫のドレスを着た女性がトイレから出てきた。俺は女の格好をしてたから、女子トイレに向かっていてもその人からは変な目で見られなかった」

 あたしはトイレで化粧直しをしていた、紫色のドレスの女性を思い出した。朔也さんはトイレの外で、あの人とすれ違ったことになる。

「小花がトイレの個室に入ってドアを閉める音がして……その後、見計らうようにブルーのドレスの子が女子トイレに入って行ったんだ。その子は妙に周りを気にしてた。だから俺は入り口の影からとりあえず観察していたんだ。彼女は個室に入ろうとしないで、小花の入ったドアの前で様子を伺うように立っていた。

 そうしたら、いきなりバッグから茶色っぽいものを取り出した。そしてあっという間にドアの上に手を伸ばして、それを逆さにしたんだ。背の高い子だったから、余裕でドアの上まで手が届いてたよ」

 朔也さんは、あたしの方を向いた。

「ごめん、小花。俺がもっと早く中に入っていれは、あの子は犯行を思い留まったかもしれない。まさかあんな行動に出るとは全く思わなくて……」

 朔也さんは真摯に謝ってくれた。でも実際問題、朔也さんには全然罪はない。それに朔也さんが近くにいなかったら、処置が遅れてもっと酷い状態だったかもしれないもの。

「朔也さんのせいじゃない。でも……なんであの人があたしに、塩酸をかけたのか分からない……」

 言ったあたしをニノさんが見た。

「小花はその女のこと知ってるの?」

「いいえ、今日初めて会った人です」

「じゃあ、恨まれる筋合いはないわね。それに例えその女が小花を見た途端、気に食わないと思ったにしても、塩酸を持ち歩いてること自体ヘンだわ。そんなモノ、普通カバンの中に常備しておかないでしょ?」

 ニノさんが腕を組んで言う。朔也さんも新も、難しそうな顔でうなずいた。そこでコンコン、と病室のドアを叩く音がした。

「はい」

 朔也さんが答える。ドアを開けて顔を出したのは、中年の女性の看護師さんだった。

「桜森さーん、起きてますかァ?」

 看護師さんに訊かれ、あたしは「はい」と返事した。

「あらぁ、目が覚めてたのね。起きたらナースコールするように言っておいたでしょ?」

 看護師さんは少し頬を赤らめながら、新を見て言った。

「申し訳ありません。小花についていたのは僕です。ただ目覚めたのはついさっきなので……」

 朔也さんが控え目に告げると、看護師さんは初めて朔也さんに気がついたという感じで視線を移した。そして驚いたように目を見開き、さっきよりもさらに真っ赤になった。

「そ、そうですか。まだ目が覚めてすぐなのね」

 しどろもどろになりながらも、看護師さんの目が一気にハートマークになったのが分かった。そりゃそうだよなぁ、とあたしは思う。朔也さんは眉をひそめ、長いまつげを軽く伏せて申し訳なさそうにしゃべってるんだもん。ボーッとなってしまうのは当たり前だ。

「あ、あのですね。ええと……け、警察の方が見えてるんだけど、お通ししても大丈夫ですか?」

 警察が来た、と聞いて思わずドキッとする。でもすぐに理由を思いついた。式場で犯人に事情聴取したんだから、次はこっちに話を聞きに来たんだろう。

 看護師さんは頬を赤く染めて、朔也さんに向かって目をパチパチさせながら話していたけど、警察が話を訊きたいのはあたしの方だと思う。あたしはこっちを見た朔也さんに向かってうなずいた。

「分かりました。大丈夫です」

 朔也さんが微笑んで答えると、看護師さんはあまりの美しさにクラクラしたのか、よろけて突っかかりそうになりながら退室した。入れ替わるように白いYシャツを着て、よれた茶系のズボンを穿いた五十代くらいの男性と、パリッとした青いシャツに細身のスーツを着た若い男性が入ってくる。

「や、どうもどうも。この度は大変な目に遭いましたな」

 やたら押し出しの強い年上の男性が、ニコニコしながら病室に入ってきた。二人はきちんと警察手帳を見せると年かさの男性から、「中央署から来ました、警部の柏木です」と挨拶した。若い方の人は「竹下です」と言った。

「警部……さんですか?」

 あたしは役職を聞いて、驚いて言ってしまった。今回のことはあたしにとっては重大事件だけど、世間的に見れば新聞記事にもならないような小さな出来事だろう。警部さんが来るのは大げさすぎる気がする。

 あたしの疑問が分かったのか、若い竹下という刑事が、ああ、という顔をする。

「実はついさっき暴走族の抗争が勃発しまして、若手の警察官はほとんど出払っている状況なんです。本来なら柏木警部はこのくらいの事件を担当することはないのですが……」

「ま、要するに元気な若造の相手が出来ない年よりが残っとったっちゅうことですわ。おい、竹下。このくらいの≠ネどと言うのは被害者の方に失礼だぞ。お前だって頭から塩酸をかけられたら、人生の一大事になるだろう?」

「あっ……。は、はい。そうですね。すみません」

 竹下刑事は真っ赤になって謝った。あたしは首を横に振った。柏木警部は壁に立てかけてあった折りたたみ椅子を開くと、あたしの前に持って来てドッカリ座る。それからやんわりした笑顔のまま、あたしに名前を聞いた。

 あたしは自分の名前を名乗った。柏木警部は次に朔也さんを見る。

「こちらのハンサムさんは……おっと、今はイケメンというんだと孫に言われたんだ。いかんいかん。すぐ忘れてしまう」

 柏木警部はペチッと自分の額を叩く。

「ではイケメンさん、あなたはどなたかな?」

「僕は白金朔也といいます。小花の兄です」

 柏木警部は、ほほう、という顔をする。

「ではご兄妹で。しかし苗字が違いますな」

「小花とは異母兄妹なんです。幼いころ、父と小花の母親が離婚したので姓が違います」

「おお、そうですか。それは苦労されましたな」

 柏木警部はうん、うん、と頷きながら言う。でもさしあたりうちの家庭の詳しい事情は訊かず、柏木警部は新に視線を移す。

「そちらさんは?」

「オレは白金新。朔也の弟」

 新が簡潔に答える。刑事さんは笑ったような顔のまま、「ふむふむ」とうなずき、「はい、ではそちらの方は」と今度はニノさんを見る。

「新野勝利です。小花の雇い主よ」

 刑事さんはデカくて濃い化粧をした女言葉のニノさんにも全く動じず、了解の印にうなずく。

「そうですか。では、ちょっくら今回の件についてお話を聞かせていただきますよ。まず小花さん」

 言われてあたしは「はい」と返事した。

「一応、順を追ってお聞きしますが、まず、あなたは何故、あの結婚式場にいたのか教えてもらえますか」

「はい。ええと……二週間ほど前に親戚の真由さんから、笹山貴之さんのパーティに一緒に行かないかと誘われました」

 あたしはパーティに出た事情をかいつまんで説明した。柏木警部はもっぱら聞き役で、うしろの若い刑事さんが手帳にメモを取っている。なんだか、安っぽいサスペンスドラマを見ているみたいで、こんな時なのに可笑しくて口元が緩みそうになった。