第五十五話  『ウェイター』


「ご案内していただいてもよろしいかしら」

 真由さんが不愉快さを隠しもせずに言う。タカくんは大慌てで真由さんにペコペコしながら「こ、こちらです」と言った。真由さんに付き添いながらも、タカくんの視線は何度もあたしの方をさ迷う。

 真由さんの表情が段々ふくれっつら≠ゥらあからさまな怒り≠ヨと変わってくる。あたしは恐ろしくて、極力真由さんもタカくんも見ないように歩いた。

 アゼリアの間に入ってすぐの場所に、受付用の長テーブルがあった。受付の人は若い男性が二人で「いらっしゃいませ〜」と舌足らずな声で挨拶される。受付では名前と住所、会社名を記入する台帳があった。あたしと真由さんはまったくビジネスとは関係が無いので、名前と住所だけ書いて入場した。

 会場はとても明るく、天井からはシャンデリアが下がり、キラキラとした光を振りまいている。いくつも置いてある丸テーブルにはすでにお料理が用意されていた。椅子は壁際にところどころ並べてあるだけだ。パーティは基本、立食なのだろう。

 会場にはもう結構な数のお客さんが集まっていて、タカくんに案内された真由さんが入っていくと、一斉に注目した。真由さんはご満悦そうに顎を上げて微笑みを浮かべる。あたしは、卑屈になるな、と自分に言い聞かせて、背筋を伸ばしてゆっくりと室内を見渡した。

 お客さんはスーツ姿の人と、ラフな普段着姿の人と半々くらいだった。圧倒的に男性が多い。でも数人、シックなフォーマルドレス姿の女性も見受けられた。会場の隅に、ピンクやブルーなどひときわ明るい色が見えた。それは華やかなドレスを着た、あたしや真由さんと同年代くらいの女の子たちだった。

「真由ぅ!」

 女の子たちは真由さんの姿が見えると、手を振りながら近づいてきた。多分、この人たちが真由さんの大学の友達なのだろう。お友達は全部で三人だった。淡いピンクのドレスを着た背の小さくぽっちゃりしたひと、水色より少し濃いワンピースを着た面長で背の高いひと、真由さんと同じくらいの身長のメガネをかけたひとは、薄いイエローのドレスだった。

「やーん、真由キレイ! そういうドレスってスタイル良くないと着れないよね〜」

 少しぽっちゃりした女性が大げさな声で言った。

「そんなことないわよ。珠美だってそのドレス、すごく似合ってるじゃない」

 真由さんもお返しとばかりに友達を褒める。そうして女子たちはしばし、お互いのドレスや髪型を褒め合った。あたしは真由さんがお友達を紹介してくれないので、ひとりで離れた場所に立っていた。そうしてるうちに「あああ、テステス」 という、マイクからの声が響く。

「えー、みなさま。本日はお忙しい中、笹山貴之による『イプシロン』設立記念パーティにお越しいただき、真にありがとうございます。この度、わたくしが設立いたしました『イプシロン』はサーバーホスティング会社になります。早くて軽いレンタルサーバ、専用サーバ等のインターネット接続サービスを提供していくために……」

 タカくんの挨拶は、あたしには難しくてよく分からなかった。でも結構流暢で、なかなか立派なものだった。みんなが盛大な拍手を送る。一同乾杯のあと「それでは、ディナーをお楽しみください」とタカくんが言い、各自いっせいにお皿を取る。そして丸テーブルに並べられた料理を取り始めた。

 会場正面の舞台になっている場所の幕がゆっくり上がる。それと同時に、流れるようなピアノの音が聞こえてきた。舞台を見ると長い茶髪の女性が軽やかな指使いでピアノを奏でていた。あたしはパーティの音楽がピアノの生演奏とは、さすがお金持ちは違うなぁ……と思いながら、ボーッと舞台を見ていた。そうしたら、いきなりすぐ横に赤黒いものが現れて、ビクッとしてしまった。

「小花さん、何がお好きですか? ボクがお取りしましょう」

 隣に来たのはタカくんだった。あたしは絶句して、ニヤニヤ笑いながら擦り寄ってくるタカくんを呆然と見た。

 な、なんで……? どうして真由さんの所に行かないの?

 タカくんの視線は、あたしの首筋から胸元を舐めるように往復している。流麗なピアノの演奏が、ほんの微かに、乱れた気がした。でもすぐにまた美しい音を奏で出す。 あたしは一歩後ろに退き、タカくんから避難した。

「小花さん、見違えましたよ! 小花さんの清廉さとしとやかさは生まれたてのヴィーナスのようです。キューピッドが飛んできてボクのハートに矢が刺さってしまいました」

 タカくんはあたしが頑張って空けた一歩のスペースを、じりじりとにじり寄りながら近づいて来る。あたしは社交辞令で微笑んでいたけど、できればどこかへ逃げ出したかった。

「ボクのパーティのために……ボクのためにそんなに美しく変身してくれるなんて……」

 タカくんはますますあたしに接近してくる。あたしは背筋が寒くなった。タカくんの視線も口調も全てがネットリとしている。しかもなんか……この人誤解してない? あたしがまるでタカくんのためにオシャレしてきたみたいに。

「お飲み物はいかがですか?」

 突然、目の前にヌッと何かがあらわれた。よく見るとそれは、飲み物の乗せられたトレイだった。ウェイターさんが三本指で支えたトレイには、シャンパングラスにワイングラス、ソフトドリンクの入ったグラスなど、各種の飲み物が乗っている。

 タカくんは無理やり割り込んできたウェイターをジロリとにらんだ。あたしは救世主とも思えるウェイターを見た。

 スラリと背の高いその人は、真っ黒の髪をオールバックにして黒縁のメガネをかけている。白のYシャツに黒のベスト、赤い蝶ネクタイで、いかにもウェイターさんという感じだったけど、スタイルのよさが際立っている。とにかく、ものすごくカッコいい。タカくんは一瞬、気おされたようにひるんだ。でもすぐに体勢を整えて、えらそうに踏ん反りかえる。

「キミ、キミィ! 気をつけたまえ。目の前に急にモノを出されたらビックリするだろう」

「これは失礼いたしました」

 ウェイターは悪びれもせず、さらりと謝罪するとトレイをタカくんの顔の前から引っ込めた。タカくんは何やらブツブツつぶやきながら、またあたしの方にすり寄ってくる。「笹山様」すかさずウェイターが口を挟む。

「先ほどあちらで笹山様を探していらっしゃるお客様がおられましたが……」

 ウェイターが舞台側のテーブルを手で指し示す。でもそっちの方も人がゴチャゴチャいっぱいいて、誰がタカくんを呼んでいるのか分からなかった。

「誰がボクを呼んでいるんだね?」

 タカくんが訊くと、ウェイターは困ったように首をかしげた。

「申し訳ございません。お名前までは……。あ、聞いてまいりましょうか?」

 ウェイターが行こうとすると、タカくんは仕方なさそうに手を上げた。

「いや、ボクが自分で行くよ」

 ひとつ息をつき、タカくんは残念そうな顔であたしを見る。

「それでは、小花さん後ほど」

 タカくんはあたしの腕に一度手を当ててから、くるりと振り向いて人ごみの中へ突っ込んで行った。少し移動しただけなのに、たくさんの人がタカくんに話しかけてくる。まぁ、当然だろう。なにしろパーティの主催者なんだから。

「赤エロピクミンめ」

 ウェイターが他の人には聞こえないくらいの声で、ボソッと言った。あたしは驚いてウェイターを振り仰いだ。この声──。

「えっ、し、新!?」

「おう、可愛いじゃん。似合ってるよ、そのドレス」

 あたしは呆気に取られて、ウェイターに扮した新を見てみた。確かに背が高くてスタイル抜群だけど、髪は黒いしメガネだし、話し方も丁寧だし……全然、新だと分からなかった。