第五十一話  『悪意』


 落ち着かない気分のままニノさんのお店に着いた。自転車を所定の位置に停めて、荷台にくくりつけてきたドレスの箱を取る。

 今日はどんよりした天気だけど、雨は降っていないから良かった。梅雨のこの時期は雨の日が多いから、自転車で物を運ぶのは気を遣うのだ。

 ニノさんはあたしがドレスの箱を見せると、キラリと目を光らせた。「見てみたいわ。早速着てみましょ!」と言っていそいそと試着室に入る。あたしはいい加減、ニノさんの前で下着姿になるのは慣れっこになってしまったので、サッサと服を脱いだ。

 ニノさんが箱から出してくれたドレスはかなり明るいピンク。大胆に肩を出す形をしており、ふわりと広がったスカートの丈も膝より少し上で短めに出来ている。

「結構、派手な色ね。布はジョーゼットでパニエ付きだわ。可愛らしいけど子供っぽいわね」

 そう言うと、ニノさんはドレスの背中にあるファスナーを下げた。あたしはニノさんからドレスを受け取り、脚を差し込んで引き上げる。ニノさんがファスナーを上げてくれようとしたけど、途中で止まってしまう。

 ウエスト部分は難無く入ったものの、胸の部分で引っかかり、一番上まで上がりきらなかった。ニノさんは諦めてファスナーから手を離す。

「残念ながらバストが入らないわね。このドレス貸してくれたコ、細い?」

「あ、はい。ほっそりしてます」

 あたしが答えると、ニノさんはさもありなん、という顔でうなずいた。

「どおりでね。今のコって、ただ細けりゃいいと思ってんのよ。体重だけを落とせば、必ず綺麗になれるってね。多分このドレスの持ち主も体重を落とすだけ落として、ボディラインのケアなんか全然やらないタイプと見たわ。ウエストはそれなりに細いけど、当然胸も小さい。要するに寸胴なのよ」

「でもバストって、生まれつきの要素が強いんじゃ……」

「もちろん。だから頑張ってウエストをしぼるのよ。このドレスから察するに、持ち主は細くなる以外の努力が足りないわ」

 ニノさんは手厳しく指摘してから、「──それにしても」とつぶやく。 あたしは怪訝に思い、ニノさんを振り返った。ニノさんはたくましい腕を組んで、じっとドレスを見ている。

「このドレス、いつよこしたの?」

「今日の朝です」

「てことは、ついさっきよね。それでパーティは明後日なんでしょ?」

「はい」

 パーティのことを思い出すと胃が痛くなってくる。

「──なんか感じるわ」

 ニノさんはギュッと眉根を寄せて言う。あたしはまた不安がつのってきた。

「何を……感じるんですか」

「悪意を」

「え?」

「小花がパーティに誘われたのは、二週間近く前よね。そのコは小花にドレスを貸してくれると言った。約束したのに、届けたのがパーティの二日前。しかもこのドレス、どう考えても修正なんて出来ないわよ。多分オーダーメイドで、着る人の身体にピッタリ合わせてあるんだから」

 ニノさんは自分で言いながら、自身の考えに納得したようにうなずく。

「自分で貸すと言っておきながら、こんな直前になって持ってくるなんて、とても親切だとは思えないわ。うがった見方をすれば、小花がこのドレスを着こなせなくてあきらめるか、無理やり着て恥をかくのが見たいかの、どちらかだったんじゃないかと思ってしまうわ」

 あたしは「うーん」とうなってしまった。ニノさんの言うことは大げさな気もする。でも……改めて考えると確かにその通りかなぁ、とも思えてきた。

 真由さんがホントにあたしの為を思ってドレスを貸してくれたのだとすれば、サイズが合うか合わないかを確認するためにも、もっと早めに持って来てくれても良かったはずだ。

 あたしは幸いニノさんが用意してくれるドレスがあるけど、もし、真由さんのドレスを当てにして何も用意していなかったら、大急ぎで買いに行くか、レンタルで借りるしかなくなっていたもの。

「これはあたしの技術をもってしても、小花のサイズに直すのは難しいわね。大きなものなら小さく出来るけど、小さいものを大きくするのは不可能よ。なかには適当にごまかせる服もあるけど、こういう繊細なドレスはどう頑張っても無理。強引に修正しても、仕上がりはみっともないモノになってしまうわ」

 ニノさんは荒々しくため息をついた。どうにもこの事態が気に入らないみたい。もちろん、あたしもだけど。

「もうこんなドレス、さっさと脱いじゃいなさい。あんたにはあたしの作ったドレスがあるんだから、これは返しちゃって……つッ」

 ニノさんが声を上げたので、あたしは驚いて振り返った。途中でつっかかった背中側のファスナーを下ろそうとしてくれたニノさんは、大きく目を開いて動きを止めている。

「どうしたんですか?」とあたしは訊いた。ニノさんが左手のひらを上にして、あたしの方に差し出す。見ているうちに、人差し指の先に赤い玉が浮き上がる。あたしは仰天した。

「大変! 血が」

 あたしが言うと、ニノさんは右手を上げてあたしを止める。視線はドレスに注がれている。

 「ウエストよ」とニノさんが言った。それから「ちょっと待ってて。絶対、動かないでよ」とあたしに言うと、試着室から出た。水を流す音と、何かガタガタ鳴る音が聞こえてくる。ニノさんはすぐに戻ってきた。どうやら指の血を洗い流してから、絆創膏を巻いてきたらしい。あたしの後ろにまわり、ニノさんは慎重にファスナーを下ろした。

「ゆっくり脱いで。そっとよ」

 ニノさんに手伝ってもらいながら、あたしはドレスを脱いだ。すぐさまニノさんがドレスのウエスト部分をチェックする。あたしは自分の服を着た。なんだかよく分からないけど、あのドレスが怪我の原因らしい。

 「あったわ」とニノさんが声を上げた。身頃とスカート部分をつなぐ、布地が厚くなっているところから、ニノさんのごつい指が何かを引っ張り出す。覗き込んでみると、銀色に光る小さな棒状のものをつまんでいる。先がとがっているそれは、折れた針の先端部分に見えた。

「……針?」

 あたしが言うと、ニノさんは難しい顔で首を縦に振って肯定した。

「これがアタシの指に刺さったのね。小花がドレスを着た時に、刺さらなくて良かったわ」

 ニノさんに言われ、あたしは少し背筋が寒くなった。そうか……もしかしたら、あたしの体に刺さっていた可能性もあったんだ。

「仮縫いの時にでも折れた針が残ったのか、それとも、ワザと仕組まれていたものなのか……」

 ──ワザと……? 

 あたしは血の気が引く思いで身体を震わせた。まさか……真由さんが?

「もし、縫製段階で残っていたものだったとしたら、これを最初に着たコは相当運が良かったことになるわね。でもワザとだったらかなり巧妙よ。こんな小さな針だもの。最初は気づかなくても、ドレスを着て動き回っているうちに針も段々動いて、身体にチクチク刺さる可能性がある。そんなことになったら、不愉快で気分が悪くなっちゃうわ」

 ニノさんの意見にあたしは納得してうなずいた。実際パーティ会場でそんな事態になったら、気になって楽しむどころではなくなってしまう。

「ただ……ドレスから針を見つかったとそのコに訴えても、きっと製作段階でのミスだって言い逃れされるわ。自分が着た時には、気がつかなかっただけだってね」

 あたしは絶句して、言葉が出なかった。作った時のミスならいい。でももしワザとだったら?

 真由さん……。あんなに綺麗な人が、どうしてあたしなんかに嫌がらせするんだろう。あたしが最初に会った時より身なりに気を遣って、イメージが変わったのが気に食わないのかしら……。

 ううん、違う。そうじゃない。だって真由さんは今朝まであたしが髪を切ったことも知らなかったんだもん。真由さんが知っているのは井戸が似合うユーレイ女のはずだ。そんなあたしに、この派手なピンクのミニスカートドレスを持ってくること自体、おかしくないだろうか。

 自分で言うのもなんだけど、毛女郎みたいな前髪と猫背のあたしがこのドレスを着たら、あまりの似合わなさに吹き出してしまうだろう。みんなからも笑われる羽目になると思う。そう考えると真由さんがこのドレスを、とても親切で貸してくれたとは思えなくなってきた。