第四十一話  『兄ちゃんとデート』


 あたしは 朔也さんを追いかけて一階に降りた。留夏を食卓につかせ、食事の続きをさせる。朔也さんはすでに食べ終わり、食器をシンクに運んでいる。

「小花、ご飯は炊いてあるよ。味噌汁もガス台の上にあるからよそって食べなよ」

 朔也さんに言われて、あたしは自分の席からご飯茶碗と、お椀を持ってきた。ご飯をジャーからよそいながら、朔也さんに聞いてみる。

「きのうは新の部屋で寝たの?」

 朔也さんはゲンナリした顔をした。

「うん。あいつが隙あらば小花の部屋に忍び込もうとするから、目が離せなくてね。最初は二十分置きに確認しに行ってたんだ。でも面倒だから部屋で見張ることにした。そうすれば部屋から出られないだろ?

 まぁ、結局そこで寝ることにしたんだけど、あいつの部屋には横になれる場所がない。床には雑誌とか、脱いだ服とか積んであるし、ペットボトルや空き缶だらけで汚いし。夜中に片づけるのもイヤだからその上に毛布敷いて寝たけど、おかげで変な格好になって首が痛いよ」

「サク兄!」

 いきなりドアが開いて新が駆け込んできた。手にした物を兄にかざしている。なにやら怒ってるみたい。

「見ろよ、このDVD! 兄貴が寝てた場所の下から出てきたんだ。どうしてくれんだよ。ヒビ入ってんじゃねぇかっ」

「あー、そりゃ悪かったな。でもどうせエロ動画のコピーだろ? もう一度焼けよ」

「違―う! これはバイクレースの激レアDVDなんだぜ。これくれた友達は引っ越しちゃったし、もう手に入らないんだ」

 新は本当に泣きそうな顔をしていた。朔也さんはそんな弟を冷たいまなざしで見る。

「それほど大事なものなら、床に置いておく方がおかしいだろう? しかもその上にどっさり荷物を乗せてりゃ見えないし踏んじまうのは当たり前だ。案外、とっくに自分で踏んでたんじゃないか?」

「そんなことねぇよ。オレが部屋を歩くときは、あの部分だけは踏まないようにソッとよけて歩いてたんだ」

「アホの極致だな。後悔したくないのなら、あの汚部屋をちゃんと片付けておくべきだ」

 新は真っ赤な顔をして下唇をかんだ。朔也さんの言うことは正論で、ぐうの音も出ない みたい。そこで新のそばへ留夏がやってきた。いつの間にか台所から出ていたようで、手に何か持ってきている。

 留夏が持っていたのはカッター台だった。テーブルの上にそれをおき、セロハンテープを引っ張って切ると、新のDVDのヒビの入った部分に、ペタリとテープを貼り付けた。

「おお、留夏。すごいな! 新兄ちゃんのDVD直しちゃったぞ」

 朔也さんに言われて、留夏は嬉しそうに笑った。

「でもいいか? こうやってテープを貼っていいのは、新兄ちゃんのものだけだ。他のDVDが壊れたら、サク兄ちゃんに教えてくれ。分かったな?」

 留夏がうん、とうなずく。朔也さんは留夏の頭をなでた。

「よし、いい子だ。それじゃ歯を磨いておいで」

 留夏が台所を出て行く。朔也さんは新の肩に手を置き、「良かったな、直してもらえて」といってシンクの前にもどった。新はしばらく呆然としていたけど、あきらめたように天を仰いでため息をつき、テーブルの上にDVDを投げ出した。

 あたしは新のことが可笑しいやら気の毒やらで、冷蔵庫から麦茶を出してコップに注ぐ彼を、そっとしておくことにした。

「新、お前今日なんか用事あるか?」

 朔也さんに聞かれ、新はブスッとした顔のままで答える。

「今日は夜のお仕事だけ」

「そうか、それなら小花が自転車を買いに行くのに付き合ってくれないか?」

 あたしはご飯を食べる手を止めて顔を上げた。朔也さん、ホントに自転車買ってくれるんだ……。

「チャリ? ああ、ニノのおっさんとこに通うためか」

「そう。うちにある自転車はマウンテンバイクだけだからな。小花が乗るにはキツイだろう?」

「ふん、まぁそうだな。分かった、いいよ。それじゃコノちゃんは今日、新兄ちゃんとデートだな」

 新はニッと笑ってあたしを見る。ついさっきまでふてくされていたのに、急にご機嫌になったみたい。現金だなぁ、とは思ったけど、新があたしなんかと出かけるのに、何故そんなに嬉しそうなのか、まったく見当がつかなかった。

「俺は生徒さんが来るまでの間、自分のレッスンをするよ。留夏のことは優に頼んでおいたから大丈夫だ。でも帰ってきたら遊んでやってくれ」

 朔也さんに言われて、あたしは「うん」とうなずいた。食事の片付けはあたしの担当だったから、食べ終わった後、食洗機にお皿を入れて洗浄にかける。そのあとはお店が開店する十時までの間に、自主的に台所や居間の掃除をして過ごした。留夏も一生懸命手伝ってくれる。

 ラディは掃除機の音が苦手みたいで、どこかにいなくなってしまった。朔也さんは洗濯物をきっちり干してから、レッスン室に向かった。練習すると言っていたけど、レッスン室はしっかり防音が効いているようで、母屋までピアノの音は響いてこなかった。


そして十時。新とあたしは、自転車屋さんに向かって出発しようとしていた。





「これかぶって、これを着て」

 玄関先で新から渡されたのは、青色のウィンドブレーカーとフルフェイスのヘルメットだった。うわぁ、これってもしかして……。あたしはゴクンとつばを飲み込んでから、新に訊いた。

「えっと、まさかバイクに乗るの?」

「うん、そう。大丈夫、怖くないよ。落ちないようにしっかり抱きついてればね」

 新はあたしにニッと笑いかけ、「さぁ、行こうぜ」と言って歩き出す。あたしは慌てて後を追いかけた。駐車場では、新がバイクにかけてあるカバーを、取り外しているところだった。あたしは上着を腕にかけ、両手でヘルメットを持って、大きなバイクが姿を現すのを見た。

 黒光りする大型のバイクは、近くで見るとものすごい迫力。地面から座席の高さも相当ありそう。一体これ、 どうやって乗るの? 新は呆然としてバイクを見ているあたしに、楽しそうに話しかける。

「どうだ、カッコイイだろ? オレの愛車CB400だぜ」

 そんな固有名詞を聞かされても、何の事だかさっぱり分からない。こんなにデカいバイク、倒れちゃったらどうやって起こすんだろう……。スッゴク重そう。あたしはビクビクしながら新に言った。

「あたし、バイクって乗ったこと無いんだけど」

 新はニヤリと笑いかけてくる。

「何事にも初めてはあるさ。さぁ、乗ってみましょう」

 片足をひらりと上げて、新はバイクにまたがった。そして自分のヘルメットをかぶり、あたしに向かって手を差し出す。あたしはさっき渡されたヘルメットを新に持ってもらった。ウィンドブレーカーを着てから、ヘルメットをかぶる。新が乗れよ≠ニいうように、親指で後ろを指した。あたしはほとんどよじ登るようにしてバイクの後ろにまたがった。

「ちゃんと乗れたか? そしたらオレにギュッと抱きつくんだ、ギュウゥッと!」

 新の声はヘルメット越しのせいで、かなりくぐもって聞こえる。なんか、ギュウ≠チてとこ、強調しすぎじゃない? でもバイクの後ろって、運転手に抱きつく以外、頼れるものがない。あたしは仕方なく、新の身体に腕をまわした。なるべく胸があたらないように新の背中から離れる工夫をする。

 ドルン、という重い音がしてバイクのエンジンがかかる。自分と新の間に隙間が出来るようにかなり頑張ったのに、新がバイクを一気に方向転換させたせいで、あわてて背中にガッシリしがみついてしまった。ピュウッ、と新が口笛を吹く音がかすかに聞こえる。

 バイクは家の駐車場を出て、順調に公道を走って行った。新の運転はそれほど乱暴じゃなかったけど、あたしはビュンビュン通り過ぎる景色が怖くて、目を開けることができなかった。

 命綱としてしがみついた新の身体は、ブルゾン越しでも余計な贅肉がついてないことがわかった。細いのに、しっかり筋肉がついている。あたしはまさに生涯で初めて男性の身体に抱きついたのだけど、怖さのせいで恥ずかしがる余裕も無かった。

 時々、新は大丈夫か?≠ニいうように、あたしの膝をトントンと叩く。あたしはそのたび、ヘルメットで新の背中を縦方向にグリグリやって、OKの返事した。

 しばらくすると、あたしの周りを吹く風がゆるくなり、バイクは止まった。エンジン音も消えたのに、あたしはまだ揺れてるような気がして、目を開けることが出来なかった。

「おい小花、チャリ屋に着いたぜ。そうしてギュッとしてくれるのはイイんだけど、段々オレも苦しくなってきた」

「わっ、ごめん!」

 あたしは大慌てで、新から腕を放した。途端に今度はよろけて、バイクから落ちそうになる。新が咄嗟にあたしの腕をつかんでくれなかったら、地面に叩きつけられていたかも。