第三十九話  『見知らぬ彼女』


「だからそう言ってんだろ」

 答えたのは朔也さん。「小花が美容院に行ったのは、お前だって知ってるじゃないか」と続ける。

「そりゃあ、知ってたけど、でもこんなに変わるとは思ってなくて……」

「俺は最初から、小花は可愛いと言っておいたはずだ」

 朔也さんはそれだけ言うと、あたしの腕を引いてまた歩き出した。あたしは一時、朔也さんの少しひんやりした手と、新の熱く汗ばんだ手に両脇から引っ張られる形になった。でも新はすぐにあたしの腕を放した。彼を置いたまま、あたし達は台所へ入る。

 そのしばらく後、あたしと朔也さんがポテトサラダの下準備をしていると、台所のドアが開いて新が入ってきた。新はまた、あたしのことをジッと見る。なんか視線が痛い。

 あたしの髪は朔也さんがシュシュでしばってくれた。それとしっかり用意されていたフリルつきの白いエプロンをつけている。この格好、やっぱり似合わないのかな……。

 新はあたしが妹の小花だということをやっと自覚して、また前みたいに嫌味を含めた真実をズバズバ言うつもりなのかしら。

「サク兄」

 新はあたしから朔也さんに視線を移し、真っ直ぐ彼を見つめながら言った。

「オレはこれから、小花を守る」

 朔也さんはマッシャーでジャガイモをつぶしていたけど、その手を止めて弟を見た。どことなく、皮肉気な笑いを口元に浮かべている。

「小花が綺麗になったからか? 結局お前は、外見だけを重視する短絡的思考回路の持ち主ってことだな」

「ああ、そうだよ。オレは単細胞の面食いだよ、認めるよ。でも男なんて、みんなそんなもんだろ? なぁ、兄貴、よく考えてみろよ。オレみたいなノータリンのバカ男がこの世にはゴロゴロいるんだぜ。そんなヤツらが今の小花を見てみろ。どうなると思う?」

 朔也さんの顔にピリッと緊張が走る。彼は問いかけるように新を見た。

「悪い虫がワンサカ小花にたかることになる。それにもしあいつ、あのみどりピクミンが小花を見て、惚れ込んじまったらどうするよ? 確実にストーカーになると思わないか?」

 朔也さんの顔色が青くなる。彼は特に何も言わなかったけど、新は兄の緊迫した表情を見て、自分の言ったことを理解してくれたのが分かったようだ。新はひとつうなずくと、また兄に向かって言った。

「だからオレは、小花を守る。それで間違ってないだろ?」

 朔也さんはコクリと首を立てに振って肯定した。

「もちろん、俺も守る。もしあのチンケなクソ緑が小花に手を出しやがったら、この手で再起不能にしてやる!」

 なんて大げさな、と思ったけど、朔也さんの目はどこまでも真剣だった。新は急にアツくなった兄を見て、呆れたような苦笑をもらす。

「オレはあのピックンがどうなろうと知ったこっちゃねえけど、やるんなら手加減してやれよ。兄貴が本気出したら、マジで殺しちまうぜ」

 ひぇえ、すごい。朔也さんってそんなに強いのかしら。

「もし小花に危害を加える奴がいたら、同情も手加減もしない。当たり前だ」

 朔也さんの声も視線も真剣そのもので、決心の強さを感じられた。「うへ、怖ぇ!」と新が言う。でも新はそんな兄を頼もしそうに見返した。

「オレ達で 小花をしっかり守ってやろうぜ」

「ああ、もちろんだ」

 二人は見つめあい、強くうなずき合った。なんだか良く分からないうちに、二人はガッシリ結束してしまった。あたし自身は、ちょっと髪型を変えたくらいで真由さんよりキレイになったとも思えなかったし、それこそ、真由さんオンリーのタカくんが、そう簡単にあたしの方を好きになるとも思えない。

 でも朔也さんと新の心遣いが嬉しいことは確かだ。兎にも角にも、二人があたしのことを守ってくれようとしてくれることは、心から有難いと思った。

 新は上機嫌になり、兄からあたしに視線を移す。そして満面の笑みを浮かべて言った。

「それじゃあ、コノちゃん、お兄ちゃんと親睦を深めるために、一緒にお風呂に入ろうね!」




 夕飯のピザはとってもおいしかった。宅配ピザを食べたのは生まれて初めてだったから、その便利さと値段の高さに驚いた。ついでに、この家の中で一番の大食漢は新だということに気が付いた。あの細い身体のどこに入るのかと思うほど、食欲旺盛でよく食べる。もちろん、弟の優くんも一緒に食べたけど、体の大きな彼より、新のほうが確実に多く食べていた。

 新はあたしに対して異様に優しく、ピザを何度も取ってよこしてくれた。朔也さんはそんな新に冷たい視線を送っている。

 新のおでこは赤くなっていた。さっきの不用意な発言のせいで、朔也さんからマッシャーを投げつけられたからだ。朔也さんの動きはあまりにも素早過ぎて、一瞬なにが起こったのか分からなかった。振りかぶるような動作も何もなく、サッと手首だけを返してマッシャーを飛ばしてしまったのだ。

 投げられたマッシャーは正確に新の額に当たった。プラスチック製だったから良かったものの、金属なら大怪我をしていただろう。でも朔也さんのことだからきっと、その辺も全部考慮しての行動だと思うけど。

 その晩はもちろん、新とあたしが一緒にお風呂に入ることは無かった。ただ「お風呂がダメなら一緒に寝ようよ」とか言ってきたくらいだから、彼はぜんぜん懲りてないらしい。

 あたしは昨日と同じく留夏と一緒にお風呂に入った。留夏を寝かしつけてから、お兄さん達におやすみの挨拶をして(新はあたしの後を追いかけようとして朔也さんに殴られた)、自分の部屋に入る。楽しい夕食だったけど、ひとりになった途端、あの言葉で心がいっぱいになる。

彼女もいるし

 新が言ったこの言葉は、ずっと小骨のようにあたしの心に引っかかっている。おいしい夕飯を食べながらも、ふとした瞬間にその言葉が浮かび上がる。

 あたしは何度も自分に言い聞かせた。当たり前だ。あんなに素敵な人に、彼女がいないわけない。それに実の兄なんだもん。彼女がいったって傷つくことなんかないじゃない。

 そう思って、自分の意識を違うことにむけようとした。でも、いつの間にかその言葉に引き戻される。部屋に入ると余計、頭の中をグルグル回る。朔也さんの彼女の事が、自分の気持ちの大きな部分を占めていることに気づく。

 あたしはベッドの上に座って、頭を左右に振った。頭にまとわりつく言葉を、自分自身から振り払いたくて。でもそんなことをしても心は重いまま。

 あたしは立ち上がって電気を消し、ベッドにもぐりこんだ。オーガニックコットン百パーセントのパジャマが肌に心地いい。これももちろん、自分が持ってきた物じゃなくて朔也さんが買っておいてくれたパジャマだけど。

 美味しい食事が出来て、自分の部屋があって、寝る場所があって……あたしはなんて幸せなんだろう。朔也さんに感謝しなきゃ。

 目をギュッと閉じる。今日は慣れないことをたくさんして、疲れてるし、きっと早く眠れるはず。それでも気持ちは彼女≠ノ戻る。まだ見たこともない彼女に。

 まぶたの裏に浮かぶのは、真由さんなんか足元にも及ばない美しい女性だった。朔也さんの彼女。朔也さんの愛する人──。

 眠りに沈んでいく意識の中で、見知らぬ彼女の笑顔が淡く霞んでから、深い闇の中へ消えていった。