第三十六話  『変身』


 笑い混じりに晶子さんが言った言葉に、朔也さんは肩をすくめて笑い返した。そして手に持っていた大きな紙袋を、晶子さんに向かって差し出す。

「ついでにもう一つお願いしていいですか? 髪のセットが終わったら、小花に着替えてもらいたいんです。奥の部屋をお借りしても大丈夫ですか?」

「あら、そうなの? もちろん大丈夫よ。使って、使って」

 晶子さんは快諾すると、紙袋を受け取ってあたしの席の近くに置いた。その後あたしは髪を洗い流してもらい、ドライヤーで乾かしながらセットされ、お店の奥にある六畳ほどの部屋に連れて行かれた。

「狭くてごめんなさいね。ここは着物の着付けをする時に使う部屋なの。この時期はあまり使うことがないから、ゆっくり着替えてね」

 晶子さんはそう言うと、紙袋を渡してドアを閉めた。あたしは袋を手にして立ったまま、呆然としていた。なんだか、あれよあれよという間に着替えまですることになってしまった。一体、どんな服が入ってるんだろう……。

 そっと袋を覗いてみると、淡いピンクの布と白のレースが見えた。案の定、あたしの部屋のクローゼットから抜き出したと思しき、フリフリの服だった。あたしは一気に暗い気分になった。

 だって……ただ髪を切ったくらいで、こんな可愛らしい服があたしに似合うはずないもの。着てみても、ものすごく似合わなかったら朔也さんをガッカリさせてしまう。

 あたしは袋を持ったまま、しばらくの間固まった。でも外では、あたしが着替え終わって出てくるのを朔也さんも晶子さんも待っている。あたしは仕方なく、ノロノロと服を取り出した。現れた服はワンピースだった。柔らかな薄いピンク地に、襟ぐりとスカートの裾、七分丈の袖の裾に白いレースがあしらわれている。思ったよりビラビラした感じじゃない。ロリータファッションまでいかない、上品なイメージのワンピースだった。

 袋の中には、さっき買ったブラもひとつ入っていた。ちゃんと値札が取り外されている。ブラの他にも小袋に入っているものがあって、取り出すとそれは白いパンプスだった。踵はそれほど高くなく、多分三センチヒールくらいの靴。さすが朔也さん、用意周到だ。

 こうなったらもう逃げられない。あたしは諦めとヤケクソが入り混じった気分で、着替えをした。きちんと洗われ、ドライヤーで綺麗に手入れされた髪は、サラサラと流れおちる。まるであたしの周りを踊っているようだ。

 あたしはまだ、髪を切った自分の顔をまともに見ていない。似合うと言われても、鏡を直視すること自体、あたしにとっては長年の恐怖だった。鏡を見ないのは、クセを通り越して習慣のようになってしまっている。

「小花ちゃん、お着替え終わった? もし良かったら手伝いましょうか?」

 コンコン、とドアと叩きながら晶子さんが声を掛けた。あたしはビクリと震え、手を握りしめた。着替えはどうにか自分一人で出来た。靴もちゃんと履いた。サイズは見事にピッタリだった。あとは外に出る勇気だけ。口の中はカラカラだったけど、なんとか唾を飲み込んで、ドアの取っ手に手を掛けた。

「大丈夫です。終わりました」

 答えてから、今まで来ていた服を入れた紙袋を手に持って、あたしはドアを開けた。まず晶子さんが見えた。彼女は驚いたように一度大きく目を開くと、次にニッコリと笑いかけた。後ろには朔也さんがいて、晶子さんと同じように目を見張った顔であたしを見ている。朔也さんの後方にいる店内の美容師さん二人も、一瞬ポカンとしてから、笑顔になってこっちを見た。

「まぁまぁ、可愛らしいお嬢さんに大変身ね。良く似合うわよ」

 晶子さんは褒めてくれたけど、あたしはうかがうように朔也さんを見た。朔也さんはまだ呆けたようにあたしを見返していた。それからハッと顔を上げてあたしに訊いた。

「たしか、ヘアバンドも入れておいたはずだよ。袋に入ってなかった?」

「──えっ?」

 あたしは慌てて紙袋の中を探った。さっきまで着ていた古い服の下の方に、ワンピースと同じ色をしたレースの小さな布が見えた。あたしがそれを引っ張り出すと、「つけてあげるわ。こっちにいらっしゃい」と晶子さんが言った。あたしは鏡の前の席に戻り、ヘアバンドをつけてもらった。晶子さんはまた髪を綺麗に梳かしてくれた。

「これで完成よ。お疲れ様でした」

 言ってから晶子さんは、あたしが立ち上がれるように椅子を横に向けてくれる。あたしは勇気を振り絞って、目の前にある大きな鏡を見た。そこには店内の柔らかなライトに照らされた、ひとりの見知らぬ女の子が映っていた。

 桜色のワンピースの生地はフンワリとしていて、あたしの身体のラインを女性らしく色取ってくれていた。ニノさんの選んでくれたブラも、密かな力を発揮しているようで、自分でも目を疑うくらい、キレイな盛り上がりをみせている。

 肩に落ちる髪は意外にもサラサラで、すんなりしたストレートだった。自分ではずっと、手入れしにくいワカメ髪だと思っていたけど、考えてみたらほとんど梳かしたことがなかったのを思い出した。髪ってブラシを入れるだけでこんなに変わるんだ……。

 あたしの後ろに朔也さんが来た。あたしは振り返り、対面する兄を見上げた。朔也さんはどこかつかみどころのない、消え入りそうな微笑を浮かべてあたしを見下ろしている。そして少しためらいがちに、あたしの髪に手を伸ばした。

「綺麗だ。俺の……」

 最後の方は、なんて言ったのか分からなかった。あたしは不思議に思って首を傾げた。朔也さんは苦笑してから目を閉じて、かすかに首を横に振った。

「──わかったわ。小花ちゃんは、朔也くんのファムファタルを打ち壊す、運命の女神なのね」

「ふぁ、ふぁむ……?」

 あたしは晶子さんの言った言葉の意味が分からなくて戸惑った。あたしはまた首を傾げて朔也さんを見た。朔也さんはあたしの髪の先っちょをつまんだまま、何かを考えこむ感じで空を見据えている。あたしには意味の分からない言葉だけど、朔也さんには分かったのだろうか。