第三十四話  『ヘアカタログ』


「何より目がね、すごく怖かった。すさんでいて、周りにいるものはみんな敵、みたいな目をしてたの。まだ中学生だったのにね……。私が挨拶しても、視線も合わせてくれなかった。それなのに朔也くん、こいつを丸坊主にしてくださいって言ってきたのよ!」

「ま、丸坊主に?」

「そうよ。もちろん新くんは抵抗したわ。怒りまくってふざけんじゃねぇ≠チて叫んでから逃げ出そうとしたの」

 そりゃそうだ。あの新が黙っていう事を聞くはずがない。

「それで……? やっぱり逃げ出しちゃったんですか?」

 あたしが恐る恐る訊くと、晶子さんはちょっと楽しそうに笑って言った。

「逃げることは出来なかったわ。あっという間に朔也くんにつかまって、首根っこつかまれて戻されたわよ。どうやって説得されたのかよく分からないけど、そのあと大人しく丸坊主になってくれたのよ」

 ひぇー、ホントかしら。坊主頭になった新なんて想像もつかない。

「朔也くん、ああ見えてものすごく強いのよね。もともと躰道……だったかしら、なんか武道をやっていて、心技体を鍛えるためには音感を良くすることも大切だってことでピアノを始めたらしいの。結局ピアノの方を本格的にやるようになって音大にまで行ったけど、武道も続けてたらしいわよ。新くんは暴走族みたいなグループに入っててケンカ慣れしてたみたいけど、朔也くんにはまったく歯が立たなかったって聞いたわ」

 あたしは呆気にとられて何も言えなかった。新が暴走族に入っていたというのも驚きだけど、何よりあのほっそりした朔也さんがそんなに強いなんて……想像もつかない。

「ごめんなさいね、余計な話ばっかりして。さぁ、綺麗に梳けたわよ。髪の毛はかなり長いわね。これくらいあると、どんな風にでも好きな髪型が出来るわ。良かったらこのヘアカタログを見てみてね。私は少しあっちに行ってるから」

 晶子さんは鏡の前の台に乗せられていた大きな雑誌をあたしに渡してくれた。それからあたしのそばを離れ、カタログを見る時間を与えてくれる。あたしは人生で初めてヘアカタログなるものを開いてみた。可愛い女の子たちの写真がいっぱい載っている。パラパラとめくってみたけど、みんな目鼻立ちのハッキリした綺麗な女の子ばかりだ。

 こんな子なら、きっとどんな髪型をしていても似合うと思う。ショートだのゆるふわカールだの色々あるけど、どれが自分に合うかなんて見ても全然分からない。薄暗い根暗女のためのイメチェンヘアっていう特集でもあればいいのに……。

「どう? 何か気に入ったのがあった?」

 絶望的な思いで誌面を見ていたあたしに、戻ってきた晶子さんが訊いてきた。あたしはつい、ビクッとしてしまう。どうしよう、この中からどれか選ばなきゃなんないのかしら……。そうだよね、これ以上モタモタしていたら、晶子さんにも迷惑がかかってしまう。早く選ばなきゃ。

 あたしは焦ってカタログをめくっていったけど、気が急いでいて写真が全然頭に入らない。額にじんわり、冷や汗が出てくる。

「そういうカタログも参考になるようで、難しいわよね。そうねぇ……、私が見た感じだと、小花ちゃんの髪は細めでくせのない直毛よ。柔らかさは普通。色は濃い目の茶色だから、もっと明るい色に染めたいんじゃなかったら、無理にカラーリングする必要はないと思うわ。髪は染めると痛むしね。あとは長さと、ウェーブをつけるかどうかね」

 晶子さんはあたしの髪を軽く引っ張りながら、アドバイスしてくれた。ありがたい。あたしは全く参考に出来なかったカタログをそっと閉じて、晶子さんに訊いてみた。

「あの……ウェーブをつけるには、パーマをかけなきゃならないんですよね」

「そうね、パーマにも色々種類があるから、選んでもらうことになるけど」

 なんと! パーマにまで種類があるの? 髪型すら選べないのに、パーマの種類を選ぶなんて出来るわけないよ。

「そ、それじゃ、切るだけでいいです。ちょっと長すぎるみたいなんで」

 あたしが言うと、晶子さんはニッコリ笑ってうなずいた。

「分かったわ。どれくらい切る?」

 あたしは少し考えた。今まで長くしていたのに、急に短くする自信はない。髪のカーテンが無くなっても困る。

「肩にはかかってほしいんですけど……」

「肩にかかるとなると……三十センチくらいは切る事になるわね。肩ギリギリだと毛先が跳ねるから、肩甲骨の下あたりまでにしましょうか。あとは全体的に梳いて、軽くするカンジでどう?」

「は、はい。それでお願いします」

 あたしはホッとして答えた。晶子さんが提案してくれて助かった。自分では多分、何時間考えても思いつかないだろうから。

「では、始めましょう。まずこちらで髪を洗いますね。申し訳ないけど、移動してもらっていいかしら」

 あたしは晶子さんに促され、洗面台の前の椅子に座った。こんな椅子に座るのは初めてのことだったので、ビクビクして手に汗をかいてしまう。「倒しますよー」と言われて、椅子が後ろに倒れ始めた時は、全身が緊張して肘掛けを両手で必死につかんだくらい。

 そのあと、顔にガーゼの様なものをかけられた。白い布を顔にかけられたあたしって……、我ながら似合いすぎると思う。

「痒いところはありませんか?」

 あたしの長すぎる髪を手際よく洗いながら晶子さんが訊いてくれる。あたしは「大丈夫です」と答えた。うーん、でもこれ……あっちが痒いとか、こっちが痒いとか、言える人いるのかしら。

 晶子さんは頭皮をマッサージしながら、適度な力加減で洗髪してくれた。すっごく気持ちよくて、終わったあとはボーっとしてしまった。

 もとの座席に移動して、いよいよ髪を切る段になった。あたしが工作ばさみで切ったいい加減な髪を、晶子さんがシャキシャキ切ってくれる。晶子さんは髪を梳く時も、梳きばさみを使わずにものすごい速さで髪にハサミを入れていった。まさに職人芸を見ているカンジ。

 あたしの髪が床にたくさん落ちていく。伸ばしたくて伸ばしていたわけではなく、なんとなく長くなった髪だったけど、奇妙に寂しい気持ちになった。