第三十三話  『金髪』


「いらっしゃいませ」

 落ち着いた女性の声が店の奥から聞こえる。お店はドアを入ってすぐの右手の場所に、待合いの為のソファとテーブルが置かれていた。ソファの後ろは仕切りの壁になっていて、髪の手入れをしているお客さんの姿は見えないように配慮されている。

 左手はレジカウンターで、木製の台の上にはガラスで出来たサクランボの置物が乗せてあった。それを見て、店のドアにチェリー≠ニ書いてあったのを思い出した。

「あら、朔也くん。こんにちは! 今日は予約ありがとう。お待ちしてましたよ」

 仕切りの奥から顔を出したのは、四十代後半くらいの女性だった。あたしより少し背が高く、細すぎず、太すぎず、年齢相応の体形をしている。目じりに笑い皺の出来た顔は優しそうで、茶色に染められたショートカットの髪が良く似合う。

 白い半そでシャツに黒いパンツスタイルのその人は、腰にはハサミや櫛が差し込まれたウエストポーチをつけていて、いかにも美容師さんというカンジだった。

「こんにちは、晶子(しょうこ)さん。日曜日なのに、急な予約でごめんなさい」

「とんでもない。大歓迎よ。ちょうどこの時間が空いていて良かったわ」

 晶子さんと呼ばれた女性は、笑顔のままあたしの方を見る。

「こちらのお嬢さんが朔也くんの妹さんね。こんにちは。来てくれて嬉しいわ」

「あ、は……初めまして。今日はよろしくお願いします」

 あたしはドキドキしながら、急いで頭を下げた。晶子さんは柔らかい物腰の女性でとても温かいイメージだった。でも初対面の人に対してあたしは、どうしても緊張してしまう。

「小花、俺は一度うちに戻るよ。一時間くらいしたらまた来るから」

 朔也さんが言った。あたしはあわてて両手を振って朔也さんに断った。

「そんな……迎えに来てもらわなくても大丈夫だよ。道は大体覚えてるから歩いて帰れるし」

 本当は道順なんてうろ覚えだった。でも住所は覚えてるから……なんとかなるはず。とにかくこれ以上、あたしのことで朔也さんをわずらわせたくない。

「迎えにくるよ。当然だろ?」

 朔也さんはちょっとビックリするくらい、キッパリと言い切った。あたしは気おされて口をつぐんだ。なんと答えていいか迷っていると、晶子さんが口を挟んだ。

「それなら終わったあと電話を入れるわ。携帯でいいでしょ?」

「ほんとですか? それは助かります。小花は携帯もってないんで」

 朔也さんが嬉しそうに微笑みながら言う。女性が見たら誰もがクラクラしそうなくらい魅力的な笑みだ。あたしは一瞬ボーっとその顔を見上げた。朔也さんは女殺しの微笑を浮かべたまま、あたしの髪に手を触れる。

「それじゃ綺麗にしてもらっておいで。あとでちゃんと、迎えにくるからな」

 そう言って朔也さんは、あたしの後頭部をスルリと撫でた。あたしの心臓はまたもやバクバク病の発作を起こす。「お願いします」と晶子さんに声を掛け、朔也さんは店を後にした。

 朔也さんが行ってしまった事で、あたしは急に心細くなった。ヘンなの。今までの人生、大体の事はひとりでやってきたのに……。

「小花ちゃん──よね? 早速だけどお手入れを始めましょう。こっちに来て椅子に掛けてね」

 あたしは晶子さんに案内されて、美容院の奥に足を踏み入れた。お店の中には全部で六つの椅子があって、三人のお客さんが座っている。美容師も晶子さんの以外に二人いた。入ってきたあたしに「いらっしゃいませ」と声を掛けてくれる。

「どういう風にしましょうか? 朔也くんにはカットでもパーマでも妹の好きなようにしてくださいって言われてるけど?」

 大きな鏡の前の椅子に腰かけたあたしに、晶子さんが訊いた。あたしは目の前の鏡に映った自分の姿を見て、あまりの惨めさにすぐ下を向いた。自分のことなんて見たくない。しかもこんなに大きい鏡で見るなんて……サイアク。

「特に希望がない場合は、晶子さんのセンスで仕上げて下さい、とも言付かってるわ。とりあえず、髪質を見せてもらってもいいかしら?」

 下を向いて黙ってしまったあたしに、晶子さんが優しく訪ねてくれる。あたしは鏡に視線をもどさないように気を付けながら「はい、お願いします」と返事した。

 晶子さんは了解の印にニッコリ笑うと、椅子の横にある可動式の台から大きめのブラシを手に取る。ろくに手入れもしないせいでもつれているあたしの髪を、先端からときほぐしてくれながら、晶子さんはさり気なく話を始めた。

「朔也くんはね、子供の頃からここに来てくれてるの。お母さんの小夜子さんがここの常連さんだったのよ。とっても綺麗な方でね、それは見事な黒髪をしていたわ。私の腕を気に入ってくれて、いつも担当に指名してくれたのよ。だから朔也くんのことは赤ちゃんの頃から知ってるの」

 あたしは朔也さんのお母さんの名前を初めて聞いた。朔也さんがあれほどの美形なんだもの……お母さんはさぞかし美人だったのだろう。

「小夜子さんが病気で亡くなってしまった時は、本当に残念だったわ。そのあと朔也くんは何度もお母さんが代わったから、寂しい想いをしたでしょうね。そのせいかもしれないけど、しっかりした青年になったわね。あの歳でたくさんのきょうだいの面倒を見てるんだもの。たいしたもんだと思うわ」

「はい、ほんとに……あたしのことまで引き取ってくれて、ありがたいです」

 晶子さんはあたしのワカメ髪を丁寧に梳いてくれている。自分では気づかなかったけど、髪はかなり伸びていた。腰の辺りまであるみたい。これじゃあ、サダコと言われても仕方ないかも。

「きっと朔也くんは寂しがり屋なのね。不安定な家庭で育ったから、きょうだい達を集めて新しい形の家族をつくろうとしているのかもしれないわ。兄弟はみんな家庭環境が複雑だったみたいだし、助けてあげたいと思ったのね。兄としての責任感で頑張ってしまうのかしらねぇ」

 急に視界が明るくなった。晶子さんがサダコスタイルの前髪を両側に分けてしまったらしい。ますます恐ろしくて鏡が見られない。晶子さんはまた話を続ける。

「朔也くんのすぐ下の弟に、新くんがいるでしょ? 彼を引き取る時は連絡もしないでいきなり会いに行って、その日の内にあの家に呼び寄せたと聞いたわ。私ね、朔也くんが初めてここに新くんを連れてきた時のことは、絶対忘れない」

「──なんでですか?」

「だってねぇ……金色だったのよ、髪の毛が。眉毛はほとんど剃っちゃって点々状態だし、隙あらばタバコを吸おうとするし」

 ええ!?