第三十二話  『雇い主』


「えっと……そのぅ、隠すべきところをちゃんと隠していただけるドレスなら……」

 あたしは恐る恐る答えた。ニノさんの顔がパッと明るくなる。それからあたしの肩を、その大きな手でバーンと叩いた。すっごく、イタイ。

「あったりまえじゃない。アタシだってフォーマルがどんなものかくらい分かってるわ。大丈夫よ、ちゃんと布が多めのドレスにするから。アナタのこと、みんなが振り返るくらい素敵な女の子にしてあげる」

「それは無理です。絶対ムリだという自信があります」

 あたしが言うと、ニノさんは頬を引きつらせてあたしを睨んだ。

「あのねぇ、アンタ。自分に自信がないことに、そんなに自信持ってどうすんの。まったく……アンタの場合、その薄ら暗い根性から叩き直さないとダメそうね。

 まぁとにかく、作らせてもらえるんなら有難いわ。早速採寸したいんだけど、いつなら空いてる? 今日はこれから用事があるのよね?」

 ニノさんの問いに答えたのは朔也さんだった。

「今日は時間的に無理だけど、明日以降なら都合つけるよ。ただ、ニノさんの方が忙しいんじゃないか? お店が休みなのはいつだった?」

「水曜日よ。──ね、ちょっと待って。あんたの妹……小花は何してるの? 学生?」

「いや……、小花は昨日こっちに来たばかりだし、今は何もしていないよ」

「ってことは何? プーなわけ?」

 ああ、またこの話題……。心臓がズキズキする。あたしはどうにか自分を救うための言い訳をした。

「きゅ、求職中です」

「あっそう。ま、ものは言い様ね。それなら小花、アナタここで働かない?」

「は!?」

 あたしは驚愕のあまりのけ反った。思わずピンと背筋を伸ばし、大きなニノさんを、息を飲んで見上げる。

「給料は時給で最低賃金しか払ってあげられないけどね。アタシがドレスを作ってる間、店番をしてもらえると助かるわ。他にも商品の出し入れとか、在庫管理とか、色々あるわよ。

 どっちにしても採寸や衣装合わせとかで、アナタには何度もここに来てもらわなきゃならないし、どうせならここで働くのも悪くないんじゃない? どう、ルディ?」

 訊かれたルディさんは、一瞬真顔になって少し首を傾げた。軽く眉根をよせて考えている様子だったけど、すぐに納得したようにうなずいた。そしてあたしを見る。

「俺はいいと思うよ。ニノさんは同じゲイバーで働いているから信用してるしね。どうする? やってみるかい?」

 突然の話で、あたしは咄嗟に返事が出来なかった。この店で働く……。こんな愛想のないあたしに接客業が出来るかしら……。

「もし、小花に何かやりたいことがあるなら、無理強いはしないよ」

 ためらっているあたしに、朔也さんが優しく訊いてくれる。あたしは細やかな兄≠フ気遣いが有難かった。あたしには別にやりたいことなんかない。ただただ、世間に出るのが怖くてたまらないだけだ。

「あたし……やります。お役に立てるかどうか分かりませんが、よろしくお願いします」

 ほとんど何も考えずに、勢いであたしは言った。色々不安はあるけど、朔也さんが信用している人の職場なら、全然知らないところよりはマシだと思えた。

「よし、決まりね! これでアタシはアナタの雇い主よ。雇い主!」

 フフフフ、とニノさんが笑う。ひーっ、コワイ。やっぱりやめとけばよかったかも……。

「とりあえず、勤務は明後日からにしましょ。明日は雇用契約の手続きをするから、一度ここに来て。開店は十一時からよ。なるべく二時くらいまでに来てもらえると助かるわ」

「わ、わかりました」

 今さら後には引けないし、あたしは覚悟を決めて言った。とにかく、こんなに早く職が見つかったんだから良しとしよう。頑張ってお仕事覚えなきゃ。

 あたしが珍しく前向きな気合いを入れた途端、ニノさんが朔也さんに向かって言った。

「ね、小花の制服なんだけど、ボンデージ風とメイド風、どっちがいいと思う?」




「美味しかった?」

 朔也さんに訊かれて、あたしは大きく、ウンとうなずいた。さっきお昼ご飯に食べた稲庭うどんは、ウソ偽りなく美味だった。ニノさんのお店を出た後、「美味しい和食の店があるんだ」と朔也さんに言われて、ごちそうしてもらったのが稲庭うどんだった。

 うどんはかけ≠ナ、海老天やかまぼこ、厚焼き玉子が入っていて、小ネギが散らしてあった。今までめったに外食なんかできなかったあたしには、身もだえするほど美味しく感じられた。

「さぁ、次は美容院だよ。今度は本物の女性≠フ美容師さんだからね」

 苦笑まじりに朔也さんが言った。ニノさんは悪い人じゃないと思うけど、良くも悪くも強烈なキャラだった。あたしの制服の件については、「とりあえず私服にエプロンをつける程度でいいんじゃない?」と朔也さんが提案してくれた。

 これにもニノさんは大げさに反応し「エプロン!? ま、ルディったらエプロン派なの? はだかにフリフリのエプロンだけをつけさせるのね、このスケベ!」とか言っていた。

 朔也さんはどうにか、普通のエプロンを普通につけることをニノさんに納得させた。あたしたちはその後やっと、ショップNino≠フ外に出られたのだ。

「ここだよ、入ろう」

 朔也さんに案内してもらったのは、ニノさんの店から徒歩で三分ほどの場所にある、こじんまりした美容院だった。どうやらこの辺りは駅前の商店街で、昔ながらの個人商店がいくつも並んでいるらしい。

 朔也さんがドアを開けると、カランコロンとドアベルが鳴る。初めて入った美容院は、鼻にツンと来る薬品の匂いと、甘い香料の匂いが入り混じった独特の香りが漂っていた。