第二十六話  『モヤモヤ』


 あたしはため息をついてから居間にもどった。母さんと話すと、いつもモヤッとしたまま話を切られてしまう。そんな母に抗議も出来ない、自分自身にもモヤッとする。

「小花、電話済んだのか。静香さんはなんて?」

 朔也さんがケイタイを片手に訊いてくる。自分も誰かと電話していたのか、耳元からリンゴのマークの入った携帯電話を離した。あたしはケイタイを持ったことがないのでよく分からないけど、スマホだかアイフォンだかいう、画面を指でスルスル撫でるタイプの電話機だ。

 あたしは母が「小花をよろしくお願いします」と言っていたと嘘をついた。これから娘がお世話になるというのに、挨拶どころか玉の輿をけし掛けて電話を切ってしまったとはとても言えない。朔也さんは頷いただけて、特に何も言わなかった。もしかしたら彼は、何もかもお見通しなのかもしれない。

「今、知り合いの美容室に電話したら、予約は午後からじゃないと空いてないと言われたんだ。だから先にランジェリーショップに行こうと思う」

 ランジェリーショップ!?

「これも知り合いがやってるお店でね。前から客を紹介しろって言われてたんだ。小花を使ってしまうようで申し訳ないけど、女の子を連れて行けば俺も面目が保てる。俺の顔を立てると思って、協力してもらえると助かるよ」

 そういわれてしまうと、あたしも嫌とは言えなかった。ランジェリーショップっていうのは、主にブラやパンツを中心とした下着専門店だよね……。そんなとこ行ったこともないし、覗いたこともない。どうしよう、自分のブラのサイズなんて知らないよ。

「おう、コバナ、オレが洗濯するのが楽しくなるような下着を選んでこいよ」

「イヤです」

 新の頼みはキッパリ拒絶した。っていうか、さっきからコバナって言ってるけどなに? あだ名のつもりかしら。サダコよりマシだけど、新はどうしてもあたしをちゃんとした名前で呼びたくないらしい。でも、取り急ぎ気になるのは新のことじゃない。あたしは朔也さんに質問してみた。

「えっと、お金はどれくらい持って行けばいいですか? そういう専門店とか、美容院とか……あたし、行った事なくて」

「小花はお金の心配なんてしなくていい。それより、また敬語になってるぞ。俺達家族には、そんなに気を遣わなくていいんだよ」

 朔也さんはおおらかに笑いながら言ってくれる。あたしは乏しいお財布からお金を出さずに済むと思うとホッとした。でも、やっぱり恐縮してしまう。「すみません……」とボソボソあやまる。朔也さんは微笑すると、軽くあたしのおでこをつつき、「よし、行くぞ」と言った。

 あたしは急いで自分の部屋に行って、出掛ける時にいつも持つショルダーバッグを取ってきた。これも中学の頃から使っている年季ものだ。ヨレヨレだけどまだ使えるバッグに、ちゃんと財布も入れる。これからどれくらいのお金を使うことになるのか不明だけど、少しでも自分のお金を出すつもりだった。

「サク兄、オレ午後からバイトだけど留夏はどうする?」

「優に頼むよ。また庭で穴掘りするだろうから、疲れて昼寝してくれればそれほど大変じゃない。昼飯だけは食べさせてやってくれ」

 玄関口で朔也さんと新がしゃべっている。あたしは居間に寄って、本を読む留夏に出かける挨拶をした。留夏は寂しそうな顔をする。ほんとは連れて行ってあげたいけど、ランジェリーショップや美容院に留夏が行っても、すぐに飽きてしまうだろう。あたしは留夏の頭を撫でてから立ち上がった。後ろ髪をひかれる思いで玄関に行く。

「お前、バイトは何時までだ?」

 朔也さんが新に訊いている。彼はもう靴は履いていて、玄関のドアを開けてあたしを待っていてくれた。それだけでも、あたしはフンワリとあったかい気持ちになる。

「五時」

 新が朔也さんの質問に答える。

「そうか。なるべく早く帰ってこい。今日は小花の歓迎パーティでピザを取るぞ」

「マジ? やった、今日は夕食当番なしだ!」

「明日はよろしく」

 うへっ、と新が言う。あたしは新の横を通り過ぎ、玄関で自分のスニーカーを履く。ニャオウという小さな鳴き声が聞こえた。下を見るとラディがタタキの上であたしを見上げている。その後ろに留夏がいた。留夏は目にうっすら涙をためて、あたしを見ている。

 きっと一緒に行きたいのだろう。その顔があまりに痛々しくて、あたしは朔也さんに留夏を連れて行っていいか、と訊こうとした。でもそこで、横にいた新が留夏を腕に抱き上げた。

「留夏、これから新兄ちゃんと一緒にバッタを探しに行こう。夜はピザだぞ。楽しみだろ? いい子でサク兄ちゃんと小花を待っていような」

 留夏は涙の溜まった瞳を大きく見開いて、ジッと新を見た。それからどこか納得したような顔になり、コクリとうなずく。「よし、じゃあ帽子を取ってこい」と新がいうと、留夏は少し笑顔になり、自分から廊下に飛び降りた。そして二階の部屋へと駆けていく。

「サンキュー、新。助かった」

 朔也さんが言うと、新は軽く笑った。それからあたしに向かって手を振って、「ランジェリー、期待してるぜ」と言う。あたしは頭を下げてから、留夏の気持ちをくみ取ってくれた新に、感謝の気持ちを伝えた。

「あの……新さん、ありがとうございます」

「礼にはおよばねーよ。それと、オレにも敬語なんか使う必要ないぜ。さん&tけもやめてくれ。こそばゆくなる」

「わかった、そうする」

 あたしはアッサリ、そう答えた。自分でもそんな風に答えられたことが意外だった。朔也さんに敬語で話さなくていい、と言われた時はなんだか申し訳なくて恐縮したのに、新にはなぜか、そういう緊張を感じない。