第二十話  『惚れてる』


 平屋の手前で立ち止まり、新が説明を始めた。

「あの平屋はサク兄がピアノ教室を開いてる場所だ。もとは馬鹿でかい物置小屋だったらしいけど、内壁を防音に張り替えてレッスン室にした。生徒さんが入ってくるのはこの垣根の奥の門だ。オレ達が使う母屋の門とは別になってるから気を遣わずに済む」

「新さんでも誰かに気を遣うんですか?」

 あたしはさっきの会話からの勢いで、特に考えもせず思ったことを口にした。言ってから、しまった、と思ったけどもう遅い。新に対してイヤミみたいなことを言ってしまった。

 新は怒ると思いきや、以外にも皮肉気な笑いを口に浮かべた。腕を組んで平屋の屋根を見上げながら、雲の切れ目からこぼれ落ちる太陽の光線に、まぶしそうに目を細める。

「オレは思ったことを腹に溜めとけないタチなんだ。言っちまって後悔することも多いけど、言わない方がもっと後悔する。ま、そのおかげで友達をなくしたこともあるけどな」

「……そうですか。あたしは──思ったことを口にするのが苦手です。その上、友達は少ないです」

「そりゃー、そんなジメッとしたイメージじゃ友達は寄ってこない」

 例によってビシッと真実を指摘する。でもなんとなく、新の言葉にはウラってものがないような気がした。新は意味ありげな視線をあたしによこす。さっきの自嘲する笑いではなく、あたしに対する興味の笑みを口元に見せた。

「コバナは意外と気が強いと思うけどな。一見おとなしそうだけど、突然噛みつきそうな勢いを秘めてる。お前は相手の様子を見ながら、とりあえず全てを黙って受け入れるだろ。だけど自分が納得するかどうかは別問題なんだ」

 あたしは新の見解が自分の性質の的を射ていることに驚いた。無意識のうちにポカンと口を開けて新を見上げる。

「子供の頃からあんまし、好い大人に出会えなかったヤツはそんな風になっちまうことがある。不満を表に出せる子供は暴れたり、グレたりするのかもしれない。でも自分自身をギュウッてなかに押し込めちゃう奴もいる。それがコバナみたいなタイプだな」

「……言ってもどうせ、聞いてもらえないから黙るんです」

 あたしは自分が今、何かの魔法にでもかかった様な感覚でいた。新はあたしと話が出来るタイプじゃないと思っていた。それなのに、過去に誰にも言ったことのない本心を彼に告げている。

「そうだな。大抵の人間は、自分の聴きたいことしか聴かないからな」

 そう言った新は、また自嘲的な笑みを浮かべて地面を見ていた。あたしは突然、新に興味が湧いた。そういえばこの人は、お父さんが不倫して生まれた子供なんだっけ。もしかしたらあたしよりもずっと、つらい思いをして生きて来たのかもしれない。

「でもサク兄は違うぜ」

 新が突然朔也さんのことを言ったので、必要以上にドキッとしてしまった。傍目にも分かるほどビクンと身体が震えてしまう。そんなあたしを、やっぱりどこか見透かすような目で見てから新は続ける。

「あいつは究極のお節介で、その上、口うるさいし手厳しいし完璧主義だし合理的だけど、絶対理不尽なことはしない。それにどっかオカしいんじゃねーかっつぅくらい、家族にこだわる。きょうだいの意見は必ず尊重する。それが身勝手な要求でない限り、こっちのいう事に耳を傾けてくれるんだ」

 あたしはルディさんに出会って間もなく、「言いたいことは遠慮なく言いなさい」と言われたことを思い出した。朔也さんはこんなみじめなあたしのことも、決して邪険にしたりせず家族≠ニして迎え入れてくれたのだ。優しくてあったかい、あたしのお兄さん──

「あんた、サク兄に惚れてるだろ」

 その言葉は目の前に爆弾でも落ちたような衝撃をあたしに与えた。ドンッという爆音がすぐそばで鳴ったみたいに耳の奥が振動する。次にザッザッというほうきで地面を掃く時の音が耳のすぐ近くで響く。それは高速で動く自分の心臓が、血液を全身に送る音だと気付くのに、しばらくかかった。それから、ひとつの言葉が鋭い針となってあたしの胸に突き刺さっていく。

 ホレテル……?

 そう、新は惚れてる≠ニ言った。言葉の意味は──分かる。惚れるイコール好きになることだ。あたしが朔也さんに惚れてる? 朔也さんを……好きってこと?

「──ふゅえッ」

 あたしの口からヘンテコな音が漏れた。細くて鋭利な針と化した好き≠ニいう言葉が痛いくらい胸に突き刺さる。息を吸い込むのと吐き出すのを同時にやろうとして、結果的に息が詰まってしまった。新はもだえるあたしの背中をあわてて撫でる。

「おいおい、過呼吸なんか起こすなよ。息を吐け! ゆっくり少しずつ吐くんだ。いや待て、吸うんだったかな。大きく深呼吸する? なぁ、どっちだっけ?」

 苦しんでる本人に訊かないでよ……。でも新のマヌケな質問のおかげで息の吸い方を思い出した。あたしは大急ぎで首を横に振って、力いっぱい否定する。

「ほえ、ほぇ、ほへ……惚へてなんかいません! そんなことあああ、あるワケないでしょうっ」

「そうかぁ? 兄貴に対するコバナの態度は、どう見たって恋する乙女って感じだぜ。ま、コバナの場合、恋する怨霊と言った方が正確だけどな」

 新はあたしを宥めるために背中を撫でながら、淡々と言ってくる。あたしはシドロモドロになって新の指摘を否定した。

「こっ、恋なんかじゃありません。大体、あたしの態度のどこが恋してるっていうんですか?」

「そりゃ、そのまんまさ。サク兄を見ると呆ける。薄暗い顔が熱気にあおられたみたいに赤くなって不気味さが倍増する。ドキドキしてる胸に手をやってると、呼吸困難におちいった毛女郎(けじょろう)みたいに見える」

 それのどこが恋する乙女≠ネのよ……。