第十九話  『彼女の評価』


「こんにちは、真由ちゃん。忙しいのはホントだよ。レッスンもあるし、夜も出掛けることが多いから時間が取れなくてね」

 朔也さんはいつも通りの優しい眼差しで彼女を見下ろしながら言った。でもほんの少し後ろに下がった。それは自分の身体にからみつく蔓(つる)から、相手に気取られないように自分を引き離そうとしているようにも見えた。

「こんなに会えなくなるなら、ピアノの先生を替えたりするんじゃなかったわ。朔也の方が教えるの上手なの。園子先生ったらレッスンは厳しいのに、ご自分の演奏はそれほどでもないのよ」

「そういう先生もいるよ。最高の演者が最高の指導者とは限らない。葛城先生の生徒さんは何人もコンクールで入賞しているだろう? 俺はまだまだ新米だから足元にも及ばないよ。真由ちゃんもここまで片道三十分かけて通うより、おうちから近い先生の方がご両親も安心する。ああ、それでこの子は俺の……」

「ああん、もう! うちが引っ越すから悪いのよ。前のおうちならここまで五分でつけたのに。あんなに遠い場所に家を建てないで、同じ場所に建て替えれば良かったんだわ」

「でも今の家の方が真由ちゃんの大学に近い。それに土地が広いから家も大きいし、車もたくさん停められる。お父さんは満足されてるみたいだよ。それから、この子のことなんだけど……」

「そうよ、パパはわたしの意見なんて聞いてくれないもの。新しい家と新しい車を手に入れて、ひとりでご機嫌になってるだけ」

「土地成金が急に小金持ちになってエラそうな気分でいるんだろ」

 突然、新の声が割って入ったので、あたしは顔を上げた。それまで二人の会話を聞きながら黙って下を向いていたから、新が近づいてきたのに気が付かなかった。真由さんという女性は後ろから来た新に不愉快そうな目を向ける。

 彼女は最初からあたしには一瞥もくれなかった。朔也さんの前まで来たとき、あたしは軽く頭を下げたけど完全に無視された。真由さんは絶対に気付いたはず。それでも知らんぷりをした。きっと彼女にとってあたしは、この世に存在しない人間なのだろう。

「お言葉ですけど、パパは事業に成功しただけよ。失礼な言い方しないで」

 真由さんは朔也さんの腕にさっきより強くしがみつき、新に向かって抗議した。新はジーンズのポケットに手を入れて、気だるげに歩きながら二人の横を通り過ぎる。そしてあたしのそばで止まった。

「新しく出来た駅の周りに偶然土地をたくさん持ってたのが事業の成功≠チていうなら、まぁそうなるだろうな。でもパパのおかげでブランドの服は着られるし、お手伝いさんのいる家に住めるんだから文句は言えないだろ?」

「文句なんか言ってない! さっきのはただ……愚痴を言っただけよ。朔也は優しいから何でも聞いてくれるもの。新には関係ないでしょ」

 真由さんは頬を赤らめ、新に向かって小さく舌を出した。それからやっと朔也さんの腕から片手を離し、新の二の腕をトンと小突く。怒っているというより、しな≠作ってじゃれているようにも見える。

「ああ、カンケーないね。オレはお前に用があって来た訳じゃない。サク兄、母屋に戻ってくれよ。香月のオバハンに優がつかまっちまって、チクチク嫌味を言われてるぜ。コバナはオレが案内するから大丈夫だよ」

 コバナって誰? と思った途端、新はあたしの腕をつかんで軽く自分のほうに引き寄せた。そのまま別棟の平屋の方へ歩き出す。あたしは面食らったけど、助けられたような気もした。真由さんはやっとあたしに視線をよこし、苦手な昆虫に遭遇した時のように渋い顔をした。そして突然、皮肉気な笑顔を見せる。

「その方、新のお友達だったの。どうりで……ねぇ……。新ってずいぶん趣味が変わったのね。もっと明るくてカワイイ子が好みだと思ってたのに」

「コバナはオレの彼女じゃねぇよ。新しく来たオレ達の妹だ」

「えっ……」

 真由さんは言葉に詰まってしまった。眉根を寄せて、近視の人が遠くのものを見るように目を凝らしてあたしを見る。それからまさしく失笑しました≠ニいう顔で、アハッと息を吐き出した。

「こ……このひとがずっと会ってなかった妹さんなの。想像していたのとかなり印象が違うから分からなかったわ。わたしてっきり、あの乙女チックな部屋に似合うお姫様みたいな女の子が来ると思ってたの。なんだか……あのお部屋に合わないみたいね」

 話しながらも真由さんはあたしの全身のチェックを怠らなかった。見れば見るほど笑いがあふれて来るようで、時々息を切らせながらしゃべっている。あたしは真由さんから評価を受けてるんだ、と思った。

 彼女がつけるあたしへの評価は最初この世に存在すらしない≠ワたは存在することを認めない≠ニいうレベルだったのだろう。でも朔也さんの妹と分かった時点で存在は認めるけどヒド過ぎて笑える≠ュらいのランクに上がったのだ。

「あたしもあの部屋が自分に合わないと思います」

 あたしは真由さんを見て言った。前髪のせいで真由さんからあたしの顔は下半分くらい見えないと思うけど、それでも彼女の方を見てハッキリ告げた。真由さんはまるであたしが言葉をしゃべらないとでも思っていたように、ビックリ顔であたしを見た。

「あたしは桜森小花といいます。昨日から白金家にご厄介になることになりました。よろしくお願いします」

 ペコリと頭を下げ、あたしはまた真由さんを見た。真由さんは虚を衝かれた様子のまま「あ……はぁ」とだけ答えた。どうやらこの人にとって、挨拶とはこの程度のモノらしい。

 あたしは新に向かって「案内をお願いします」と頼んだ。新も少し面食らった顔をしていたけど、ニヤリと笑うと平屋の方向へあたしを促す。あたしは新のあとを追いかけた。朔也さんの方は見なかった。

 自分がカンジ悪いことしたって分かってる。でもあの真由さんという人の視線にこれ以上耐えられない。あたしは自分がキレイじゃないと知っている。

 今までも真由さんと同じようにあたしを毛嫌いする人はたくさんいた。だからといって、そのことに慣れるほどあたしの神経は図太くなかった。