第十八話  『蔓バラ』


 洗濯物干しから解放された新が、欠伸をしながら兄の隣に立つ。朔也さんは感慨深げに上を見たままつぶやいた。

「家に呼び名があるのは新鮮な気になるな。この家は屋根が赤だからグリーンじゃなくて……」

「レッドゲイブルズ?」

 新がゴリゴリうなじを掻きながら言った。朔也さんは首を横に傾げて、賛同しない表情になる。

「レッドっていうほど、屋根の赤は鮮やかじゃない」

「ふぅん、そうだな。じゃあ……ルディゲイブルズだ。ラディはソマリのルディだろ。それにサク兄の源氏名でもある」

 新のいう言葉を聞いて、あたしは頭がこんがらがった。たぶん、相当途方にくれた顔をしていたのだろう。新がため息をついて面倒そうに説明してくれる。

「ルディは赤い色のことだ。色をルディで示すと健康的な赤になる。でもソマリのルディは暗めの赤茶色に見える。ソマリってぇのは猫の種類だ。ロングヘアード・アビシニアンのことで、要するにアビシニアンっていう種類の猫の、毛の長いヤツをいう。ラディの体毛は長いだろ? 尻尾の毛なんかフサフサだ。あれがソマリの特徴なんだ。ああ見えてラディのやつ、血統書付きの猫なんだぜ」

 へぇえ、そうなんだ。とは思ったものの、実はイマイチ呑み込めていなかった。とりあえず説明してもらったお礼に、またもや友好の微笑みを新に送る。新はさっきと同じように身震いした。

 あたしはもう一度屋根を見上げる。一応、ルディというのは色のこと──赤い色の事だと分かった。朔也さんが納得した顔で新を見て言う。

「ルディゲイブルズか。悪くないな。新のネーミングセンスもなかなかだ」

「オレとしてはコイツを解体して、二階にトイレとベランダのある家を建ててほしいけどな」

 新の視線は口とは裏腹に、この家に対する愛情が透けて見えた。朔也さんは特に何も言わずに、あたしに向かって笑いかけてから肩をすくめた。それから家に背を向け、庭の奥を指さす。

「あっちが裏庭になる。留夏が遊んでるだろうから行ってみよう」

 朔也さんに促され、あたしは振り返った。洗濯物のぶら下がる物干し台をよけると、中庭を囲う灌木とピンクのツルバラが絡みつくアーケードが見える。あたしは思わず「わぁ」と感嘆の声を上げた。

 朔也さんはあたしの背中に軽く手を当て、バラのアーケードまで案内してくれる。アーケードはそれほど大きなものじゃなかった。横幅は二人並んで通るには少し狭い。朔也さんはあたしを先に通すと、後から背をかがめてアーケードを抜けた。

 裏庭は庭≠ニいうにはかなり広い、白樺の木立ちが奥へと続く場所だった。アーケードから先は幅一メートルくらいの石畳が続いていて、その小道の先の木々が開けたところに平屋の建物があった。横木が打ち付けられた白い壁も赤茶色の屋根も母屋と同じで、同時期に建てられた別棟の家だと思えた。

 以前住んでいた借家と同じくらいの大きさの平屋建てなのに、イメージは雲泥の差がある。ここはまるで白雪姫が森で行きついた小人の家みたいだ。林の中にところどころ咲いている小さな野花が幻想的で、自分が童話の世界に迷い込んだような気になってしまう。

 家の横を見ると、細かい砂利が敷き詰められた一画があり、そこには木製のブランコと滑り台、白いペンキで塗られたベンチが置いてある。そのスペースのさらに奥の木の下で、留夏が地面にしゃがみ込んで土を掘っていた。ラディも一緒に土をかき出している。

 長靴を履いて一心不乱に地面と格闘している留夏の姿はいかにも子供らしい感じがして、あたしと朔也さんは笑い合った。朔也さんが何か言おうと口を開いた時、「朔也!」という声が聞こえた。

 あたし達は二人で同時に、後ろを振り返った。声が聞こえてきたのは、さっきあとにしたばかりの母屋の中庭からだった。声はかん高い女性の声で「なぁんだ、新じゃない。朔也はどこ?」と続けて聞こえる。朔也さんは見るからにゲンナリした顔で天を仰いだ。

 新が何かを答えたようだけど、はっきりした言葉は聞き取れなかった。多分裏庭にいると答えたのだろう。声の主はバラのアーケードをくぐり、こちらに近づいてくる。

 その女性は石畳をヒールでカツカツいわせながら歩いてきた。光沢のあるクリーム色の柔らかな素材のブラウスを着て、花柄のスカートを穿いている。茶色の髪は先端をくるりと巻くパーマがかけられていて、頭には白のヘアバンドがしてある。

 近くなるにつれ見えてきた顔は、目鼻立ちのくっきりした美人だった。ほっそりした身体と女性らしい歩き方、生き生きした表情、自信に満ちた眼差し……この人こそ、あの乙女ルーム≠ノふさわしいと思える雰囲気だった。

「最近会えないから来ちゃった。忙しいってホントなの?」

 その人はあたし達の前に来るなりそう言った。すねているのと甘えているのを程よくブレンドした、特別扱いされるのに慣れた女性ならではの言い方。

 彼女は小さくて柔らかそうな手を伸ばし、朔也さんの腕を取る。そしてアーケードを覆うツルバラのように、朔也さんの腕に自分の腕をからませた。

 そうやって寄り添って立つ二人は、恋愛映画のワンシーンを見ているようにお似合いだった。