第十七話  『三角屋根の家』


「ラディって名前は誰が付けたんですか?」

 朔也さんに問いかけると、彼はちょっと顔をしかめてあたしを見た。人差し指を伸ばし、あたしの鼻先にそっと触れる。

「さっき言っただろ。敬語はやめてくれ。さぁ、言い直して」

「あ……で、でも……あたし」

 朔也さんが触れた部分がカッと熱くなって、頭に血が回らなくなる。あたしは友達も少なかったし、気軽におしゃべりできる相手も妹くらいだったから、敬語ではない話し方なんて上手く出来ないかもしれない。

 口ごもってしまったけど、朔也さんは根気よく待っていてくれる。あたしはしどろもどろになりながら、なんとか同じ質問を言い直した。

「あ、う……ええと……、ラディは誰が付けた名前です……なの?」

「新だよ。ラディがこの家に来た日、あいつが夕食当番だったんだけど用意してあったラディッシュの食べ方が分からなくて、子猫のオモチャにしようとしたんだ。葉の部分を切ったラディッシュが猫の周りにいっぱい転がっててさ、呆れたよ。もちろんラディッシュは綺麗に洗ってスライスして食べたけど、それのおかげでこの子の名前はラディになった」

 あたしはその由来を聞いて思わず吹き出してしまった。朔也さんも笑ってから留夏を床に下ろす。

「お手伝いありがとう。今日は晴れ間が見える。お外で遊んでおいで。ああ、お庭はまだ湿ってるから長靴を履いた方がいい」

 朔也さんが言うと留夏は頷いてからあたしの方に来た。小さな手に小さなラディを受け取り、玄関に向かって駆け出す。朔也さんは微笑んでそれを見送った後、あたしに視線を戻した。

「小花にはザッとこの家の説明をしよう。たいして大きい家じゃないから中の事はもう分かってると思うけど、庭が割と広いんだ。案内するからついてきてくれ」

 朔也さんはあたしに手招きすると、先立って台所から出る。そして玄関に向かって廊下を歩きだした。あとからついてくるあたしに、この家について話してくれる。

「この屋敷は昭和の初めごろに建てられたんだ。最初はアメリカ人の宣教師が住んでいたと聞いている。その人が帰国して、当時材木業で身代を築いた俺の曽祖父が、この家とこの辺一帯の土地を買い取ったんだ。そんなわけで古いからね。特に水まわりは劣化が早いから、今までも何度かリフォームしてたんだけど、一年前にまた全部入れ替えた。配管から全て新品にしたんだよ。お風呂は快適だっただろ?」

「はい、とても」

「──はい?」

「あっ……あの……うん、快適だった」

「よしよし、それでいい。新なんか全部ぶっ壊して建て替えた方がいいんじゃねぇかって言うんだけど、俺はこの家のレトロなイメージが好きなんだ。今のところ建て替えるつもりはない。トイレが一階にしかなくて不便だけどね」

 朔也さんは説明しながら玄関を出て、すぐに左に折れた。雑草が伸び始めている脇道の横には南天の木が植えられていて、白い花を咲かせている。

「あ……あたしにとっては水洗ってだけでも有り難いっていうか……今までの借家はくみ取り式だったんで」

 あたしは朔也さんを追いかけながら話した。家の脇の小道はすぐに途切れ、一面に芝の植わった広い中庭に出る。そこでは新が物干し台の前で洗濯物を干していた。たくさんの洗濯物はほとんど干し終わっていて、ピンチハンガーに吊るされた衣類の間からニュッと新が顔を出した。

「サダコの家ボットン便所だったのかよ。雰囲気ピッタリだな」

 あたしたちの会話が聞こえていたようで、新が割って入ってくる。朔也さんは冷たい目で新を睨んだ。

「サダコじゃない、小花だ。お前の脳みそは人の名前もまともに覚えられんのか。それに洗濯物がしわくちゃだ。干すときはパンってするんだよ、パンって!」

「だってぇ、何度もやってると指が痛くなっちゃうんだモン」

「ギター弾きの指がそう簡単に痛くなるわけないだろ。きちんとシワを伸ばしとけよ」

「わかったよ。ったく、ヨメいびりの小姑みたいにうるさいな」

「服にシワがあると一番文句言うのはお前だろっ。干すときに気を付ければアイロンの手間も減るんだ。ちゃんとやれ!」

「あー、ヘイヘイ。ごもっともです。おにいちゃま」

 朔也さんと新の楽しそうな(?)会話を聞きながら、あたしは中庭から白金家を見てみた。古い木造洋館だけど造りはしっかりしている。外壁は白い板が横向きで打ち付けられていて、格子の入った窓が梅雨入りしたばかりの六月初めの薄い陽光を、優しく照り返している。

 窓枠は濃い赤茶の板が外側を囲っていて、白い壁とのアクセントが効いている。屋根も同じく深い色味の赤茶色だ。屋根鼻の出た三角屋根は和と洋が入り混じった雰囲気で、以前写真で見たことのある神戸の異人館を思い出す。

 でももっと、違うイメージがあたしの記憶をくすぐってくる。三角屋根……白い木の壁と──斜めの天井……

「……グリーンゲイブルズ」

 つぶやいたあたしの声を、朔也さんは聞き逃さなかった。あたしの隣に立って自分の家を見上げながら「それはなに?」と訊いてくる。あたしは鼻から深く息を吸って、用心深く返事をした。誰かとタメ口≠きくことは、あたしにとってかなり神経を使う事なのだ。

「あ……赤毛のアン≠ナ読んだの。みなしごのアンが引き取られた家が緑の切妻屋根の家で、グリーンゲイブルズって呼ばれていたんだと思う。昔映画で見たんだけど、あのアンの家とこの家のイメージが似てるなって……」

「へぇ、そうなんだ。俺は映画を見ていないからよく分からないけど……グリーンゲイブルズか……」

 朔也さんはまるで初めてこの家を見たひとのように、真剣なまなざしで屋敷を見上げた。