第十四話  『イタイ気持ち』


 あたしはやっとサク兄≠フ謎が解けた。ルディさんの本名朔也≠ゥらきてるんだ。ルディさん≠最初に覚えてしまったから、今はまだ変な感じがする。

 それにしても朔也さんがピアノの先生とは驚いた。意外なようで……でもハマり過ぎてる気もする。応接間にあったグランドピアノは、朔也さんが教室で使うものなのかもしれない。

「俺は時々ゲイバーでバイトしている。父方の叔父がバーを経営していて、忙しい時に駆り出されるんだ。女装するとしゃべり方も自然と女になる。俺は形から入るタイプなんだ。混乱するかもしれないけど、なるべく早く慣れてもらうと助かる」

「は……はい、分かりました」

 あたしは返事をしたけど、そう簡単に慣れるとは思えなかった。なにしろ金髪美女のインパクトが強すぎて、頭の中でルディさん≠ニ朔也さん≠変換させることが出来ない。朔也さんはあたしに向かって微笑みかけてからパンを口に運んだ。

 あたしの心臓はまたドドッと激しく脈打ち、顔に全身の血が上ってきた。ダメだわ、これはホントに重大な病気なのかも……。突発性心臓バクバク病とか? もしかしたら性格が暗い人だけが罹る奇病なのかもしれない。

「そしてアイツが次男のシンだ。漢字は新しいの新。年は二十一。自称ミュージシャンのフリーターだ」

 新は紹介されても食べることに集中していて顔も上げなかった。シュッと何かが空を切り、新の頭にポンと当たる。「いてっ」と言って新が顔を上げた。飛んできたのはカットされたフランスパンで、新の頭でバウンドしたあと皿の上に乗っかった。

「あ、い、さ、つ!」

 ルディさん……じゃない、朔也さんがシンに向かって言う。「いてーよ、バカ兄貴。食べ物を粗末にすんな」と新が言い返す。朔也さんは冷たい目で新を見ると、鋭く言い放った。

「粗末になんかしてない。当たる場所も皿の上に落ちるのもすべて計算済みだ。髪の毛に触れたくらいどうってことないだろ。いいからちゃんと挨拶しろ、バカ次男」

 新は下唇を突き出して、ぶーたれた顔をしてからあたしをチラリと見た。それから面倒そうに「……どもっ」と言う。あたしは頭を下げたけど、新はもう下を向いてスープをすすっている。

 あたし……新に嫌われてるのかもしれない。というか、最初から歓迎されてないし、人間扱いもされてない気がする……。朔也さんは気に食わなげに新を見ていたけど、取りあえず何も言わずに紹介に戻った。

「この大きいのが三男のスグル。漢字は優秀の優の字を書く。年は十五だ」

 朔也さんの紹介が終わると、優くんは「よろしくお願いします」と小さな声で言った。まだ声変りが終わってそれほど経っていなそうな、若々しい男の子の声だった。あたしは挨拶代わりに頭を下げた。優くんはそのまま黙ってしまうのかと思いきや、聞き取れないくらいの小さな声で何かをつぶやく。

「……たです」

「──は?」

「あの……おにぎり、美味しかったです」

 彼がささやいた言葉がなんなのか、一瞬分からなかった。でもすぐに、昨日の夜作っておいたおにぎりの事を思い出す。あたしは同時にこの優くんが夕飯を作ってくれたことも頭に浮かんだ。まだお礼も言っていない。あたしは慌てて彼にお礼を返した。

「こっ、こちらこそ晩御飯を作ってもらえて助かりました。とっても美味しかったです」

「あ、いえ……いいんです、その……暇だったから」

 優くんはボサボサの髪の奥で頬を赤らめた。ムチムチした巨体を小さく縮めて頭を掻く。この子は引っ込み思案だけど優しい性格らしい。髪で自分の視界を遮ろうとしている所なんか、他人とは思えない。朔也さんや新との血のつながりは感じられないけど、優くんには自分に似通ったものを感じることが出来た。

「そりゃー暇だわな。一日家にいるだけなんだから」

 新がフライドチキンに食いつきながら言う。優くんは急に表情を硬くして下を向いた。あたしは不思議に思った。優くんは十五歳と聞いたはずけど、学校には行っていないのかしら?

「優は体調を崩して外に出られないだけだ。嫌味っぽく言うんじゃない」

 朔也さんが優くんを庇うように言った。でも優くんは落ち込んでしまったようで、食べることもやめてしまった。あたしは優くんの気持ちが痛いほど分かった。何しろあたしも現在無職。これから新しい勤め先が見つかるまで、どのくらいかかるか分からない。

「あ……、あたしも今行くとこないんです。同じですね」

 あたしはしょんぼりしてしまった優くんにイタイ気持ちを打ち明けた。優くんはモサモサの髪で隠れた顔を上げる。「あんだとォ!?」と言ったのは新。

「サダコおまえっ……、お前もニートかよ! ニートっ。ニートが二人だぜ兄貴。無職の妹と引きこもりの弟、不登園のチビ。こんなに抱えてやってけんのかよ、この家は!?」

 新がドラムスティックのフライドチキンを振り回しながら怒鳴る。あたしはどうにも居たたまれない気持ちで縮こまった。優くんもまた下を向いてしまう。タダ飯食いやがって、とか言われるのかな。よく母さんに言われたな。一銭も稼いでないアンタに食わせてやってんのよ、あたしは……って。

「じゃあお前は、二人に出て行けというのか?」

 朔也さんは食べる手を止めて、低く鋭い声で新に言った。

「この家を出て、どこにも頼るところがないまま小花に就職先を探せと? 優にはどこかの学校に通えというのか? そして上手く世渡りできるようになったら戻って来いと?」

 新は目を見開いて絶句した。

「おまえだってウダツの上がらないフリーターだろ。それに小花も優もルカも、俺の大切な家族なんだ。世間がどうであろうと、この家は俺の家族が居る場所だ。みんなで楽しく暮らせたらそれでいい。──そしてその中に」

 朔也さんは途中で言葉を切って、まっすぐ新を見つめた。口調は怒ってるみたいだけど、その目は相手のすべてをくみ取るような、深い憐憫を込めた優しい色をしている。

「おまえも入っている。この場所では家族の誰もがかけがえのない存在なんだ。ひとりひとりがそれを自覚する。この方針に従えない奴こそが、ここにいる資格はない」