第十三話  『朝ご飯』


 ルディさんが用意してくれた服は「お出かけ用にします」とでも言って、着ていないことをごまかすしかない。実際、出掛ける時に着るかどうかは疑問だけど……。

 あたしは大急ぎで着替えて階段を降りた。洗面所で顔を洗い、一応鏡で自分の姿を確認する。サダコがいた。いつも通り自分に絶望する。それでもみんなに会わなきゃならない。あたしは勇気を出して一階の台所まで向かった。

 台所のドアを開ける前にルカが走り出てきた。あたしのそばまで来ると「ちゃんとお着替え出来たよ」とでも言うように、胸を張ってあたしに服を見せる。白いTシャツの上に青のランニングシャツを重ね着していて、昨日とは色違いの七分丈のズボンを穿いている。

 あたしは「カッコいいね!」と伝えてルカの頭を撫でた。ルカは手を伸ばして背伸びする。あたしはルカを抱っこしてから、深呼吸して台所に入った。

 まず、あたしの視界の大半を占めたのは巨大な人物だった。食卓テーブルを前にして椅子に座ったその人はかなりの巨漢だ。長く伸びたボサボサの髪が顔を隠しているけど、まだかなり若い男の子だと分かる。むっちりした腕をテーブルの上に乗せ、ジッと手の甲だけを見つめていた。

 服はサイズが小さいらしく、青と黒のタータンチェックの入った襟付きのシャツが内側からの圧迫にひたすら耐えている印象。座ってるからハッキリしないけど身長もかなり高そうだ。あたしが「おはようございます」と言って部屋に入っても、下を向いたまま顔も上げなかった。でもこの人が白金家最後の人物、十五歳の弟だということの見当はついた。

「おはよう。なんだ、用意した服を着なかったのか。気に入らなかった?」

 にこやかな笑みを浮かべてガス台の前から挨拶してくれたのは、もちろんルディさんことサク兄だ。巨大な弟に気を取られていたけど、パジャマから着替えたルディさんを見てあたしの心臓は高速回転し始めた。

 ルディさんは女≠ノ戻っていなかった。英語のロゴが入った黒のフード付きパーカーを着て、長い脚は洗いざらしのブラックジーンズをさらりと穿きこなしている。ルカと同じくらい明るいブラウンの髪はゆるいクセがあり、白磁のようなきめ細かい肌は化粧をしなくても女の人みたい。

 それでも作った声色ではなく、普通の低い声で話すその姿は、メンズファッションのモデルでも出来そうなくらい完璧な男の人だった。ドキドキ暴れる心臓をルカの重みでギュッと押さえ、申し訳ない気持ちであたしはルディさんに返事をした。

「あああ、あの……服はとっても素敵です。でも」

「あたしにとってはムボーです」

 あたしの言葉を遮って横槍を入れたのは、もちろんシンだ。彼は巨漢の弟と対面する側の椅子に座り、テーブルにうつ伏せで突っ伏している。シンは伏せていた顔を上げると、眠そうな顔で兄の方を見た。

「サダコにあんな服、着こなせるわけないだろ。大体本人の意向を無視して、自分の趣味を押し付けるような服を買う方もどうかしてるぜ。サダコにはサダコの好みがあるんだからさ」

「何言ってんだ。小花は三歳の頃フリフリの服がすごく似合ったんだぞ。フランス人形がそのまま動いてるみたいだった。今だって絶対似合うに決まってる」

 ルディさんはシンに向かって力説した。あたしは自分が幼い頃、フリルのついた服を着ていたことに驚いた。あの母さんが着せてくれたのだろうか。そんな姿、写真にも残っていない。というか、あたしの三歳までの写真は一枚も残っていないけど。

「三歳の頃は着てたんじゃなくて着せられてたんだろ。本人の好みじゃない」

「だから今も着せてみるんだよ。着こなせないと思い込んで着ないでいたら、似合うかどうかも分からないだろーが」

 シンに答えるルディさんの手元は、焼いた目玉焼きを次々皿に乗せていた。その後すぐにフランスパンを切り分け始めている。流れるような動作は無駄がない。

 ルカがあたしの腕の中でもがいた。どうやら降りたいみたいだ。あたしが床に下ろすとルディさんの所まで大急ぎで駆けて行き、目玉焼きの皿をテーブルに運び始める。一皿を両手で持ち、慎重に歩くルカは一生懸命で可愛らしい。あたしはルカの後に続いて、お皿を配るのを手伝った。

「ルカと小花はえらいな。そこの一切手伝おうとしないお兄ちゃんとは大違いだ」

 ルディさんが褒めるとルカは嬉しそうに微笑んだ。「そのお兄ちゃんってのは、スグル兄ちゃんのことだよな?」とシンがルカに訊く。ルカは困った顔で唇を尖らせ、人差し指を伸ばしてシンを指した。

 クククとルディさんが笑い、シンは「チッ」と舌打ちしてそっぽを向く。ルディさんはパンを盛った籐カゴをテーブルまで運んでから一同を見回した。

「よし、朝ご飯にしよう。小花はそこの席に座ってくれ。食べながらうちの家族を紹介するよ」

 ルディさんは巨大な弟の隣に腰かけ、ルカはシンの横の子供用椅子に座った。あたしはいわゆるお誕生日席≠ニ呼ばれる場所についた。食卓テーブルの一画に新たに追加された五脚目の椅子は白く塗られた木製で、座部にはピンクのチェアバッドが置かれている。

 ルディさんの徹底した乙女チック路線≠ノは舌を巻くけど、お尻がフカフカしていて心地いい。テーブルの上には昨日の残りのフライドチキンが大皿に盛られ、ミネストローネが温め直されて各自に配膳されている。シンは「いっただきまーす」と言うと、自分の皿にチキンとパンをどっさり乗せた。

 巨漢の弟──多分スグルくんは、ゆっくりとスープを口に運んでいる。ルカもパンを口に頬張った。あたしが遠慮していると、ルカがパンを取ってあたしに渡してくれる。あたしはお礼を言って有難くそれを受け取った。

 子猫のラディは部屋の隅でお皿に盛られたキャットフードを食べていた。ルカも大人しいけど、ラディも静かな猫だなぁと思う。ルディさんがパンにバターを塗りながら話し始める。

「では、改めて俺から自己紹介しよう。俺は長男朔也(さくや)、漢字は新月を表す朔に也(なり)だ。年は二十三。職業はピアノ教師をやっている」