第十二話  『ドキドキ』


 まぁ少なくとも、ルディさんは(ルディさんなの!?)あたしを家族と認めてくれた。それだけでも有り難い。

「よし、これからみんなで集まって自己紹介しよう。今何時だ? ……十時か。ちょっと寝過ぎたな。今日が日曜で良かった。ルカ、お腹空いただろ。朝ご飯にしような」

 ルディさんが言うと、ルカはうん、と頷いた。確かに十時じゃお腹が減っただろう。あたしは寝ている時一度感じた手の平の感触を思い出した。ルカに「一回ここに来た?」と訊いたら、またうん、と首を縦に振った。あれが何時間前か分からないけど、起こしに来てくれたのかもしれない。

 「起きなくてごめんね」とルカに謝る。ルカは首を横に振ってから笑顔を見せた。手を伸ばしてきたので、あたしはルカを膝の上で抱っこした。ルカはあたしの胸に顔を当ててギュッと抱きついてくる。

「ナンダーマンはお着替えしますよー、ルカくんはひとりでお着替えできるかなっ?」

 あたしがふざけて聞くと、ルカは胸元で声もなくクツクツ笑った。そして頬を赤く染めた顔を上げると膝から降りて、自分の部屋に駆けていく。

「──珍しいな、ルカがこんなにすぐひとに懐くなんて」

 さっきとは打って変わった低い声でシンが言った。ドアの近くで腕を組んで、生真面目な顔であたしを見ている。それがあたしに言ったのかサク兄≠ノ言ったのかよく分からなかったので、あたしは何も言わなかった。チラリと隣にいるルディさんを見てみる。

 ルディさんは優しい……とても優しい目であたしを見ていた。あたしの心臓がドキッと鳴る。カーテンの隙間から差し込んでくる柔い光りに照らされた兄≠フ姿は神々しく、切なくなるほど美しい。あたしはやっとこの人が昨日のルディさんと同一人物だと納得できた。

 真っ赤な口紅やパープルのアイシャドウ、頬のチークなどを取り去ると、確かにこの人の顔になる。シルクのパジャマの前から、細い割に筋肉の線がキレイな胸元が見えた。

 あたしの心臓はちょっとあり得なくらい高鳴り始める。今までの人生で味わったことのない奇妙な感覚。鳥肌が立ちそうなくらい全身の皮膚が湧きたったような気がした。頬に血が集まってくる。ドキン、ドキン、ドキン……。胸板を心臓がグイグイ押してくるカンジ。

「小花なら大丈夫だと思ってた。小花はやさしい、いい子だから」

 ルディさんは一瞬儚く見えるほど淡い微笑を浮かべて、あたしの頭を手で撫でた。あたしのドキドキはさっきより更に強く激しくなる。どうしたんだろう……これは何? あたしは変な病気に罹ったのだろうか。

 過去に何度も心臓がドキドキしたことはあったけど、どれも緊張や心配から来るものだった。そういう時は全身が冷たくなる。でもこのドキドキは違う。心臓がひとつ打つたび、自分の中であったかい泡がプクプク弾けていくみたい。

「でもさァ、いくらサダコが妹だとしても同じベッドで寝るのはどうよ?」

 シンが目を眇めてこちらを見ながら言った。あたしの心の中を、何もかも見透かしているような目で見ている。あたしは急に冷や汗が出そうなほど恥ずかしい気持ちになった。「サダコじゃない小花だ」とルディさんは訂正し、あたしのベッドから降りた。

「昨日小花がお腹を壊したからさすってたんだ。小花はそのうち寝たから俺は風呂に入って、その後またここに様子を見に来た。なんとなく表情が苦しそうだったから、もう一度腹をさすってた。そしたら俺も寝ちゃったんだ。何もまずいことしてないだろ」

 淡々とルディさんは状況説明した。それであたしのベッドに王子様に変身したルディさんがいたんだ、と分かった。あたしを心配してくれるルディさんの心遣いは本当に嬉しい。でも王子様とベッドインは心臓に悪い。

 現にあたしの心臓は未だに激しく脈打っている。立ち上がったシルクのパジャマ姿のルディさんが、昨日とは打って変わって男っぽく見えるから、余計心臓に負担が掛かる。

「小花、ここに少し服を買っておいたから良かったら着てみてくれ。俺達も着替えて下に行く」

 ルディさんはハンガーラックをトントンと叩くと、部屋を出てドアを閉めた。シンがドアの向こうで「オレは寝なおす」と言っているのが聞こえる。ルディさんが「このボケ、話聞いてたのか? いいから着替えて下に来い」と答えている。

 もうホント……どうして女のカッコしてる時とあれほど印象が違うの? ルディさんはオカマさんだと思ってたのに、実は違うのかしら……。でもパジャマから女物の服に着替えたらまた話し方も変わるのかもしれない。できれば早く女≠ノ戻って欲しい。そうすれば心臓が暴れなくなるだろうから。

 あたしはノロノロとラックの前まで歩いて行った。扉を開け、ルディさんが買ってくれたという服を見てみる。一瞬開けただけで、すぐに扉を閉じた。だって……そこにはこの部屋と同じ趣味の、可愛らしいフリルのついた服がいくつもぶら下がっていたんだもの。あんなの井戸系≠フあたしに似合う訳がない。

 ルディさんはやっぱり、この部屋やフリルの服が似合うような可愛い妹を待っていたんだ。せっかく買ってくれたのに、あたしにはあの服を着こなせる自信がない。でも着て行かないと失礼な気もするし……どうしよう。着ても着なくてもルディさんをガッカリさせてしまうのは間違いない。

 グズグズ迷っている内にどんどん時間が過ぎていく。他の兄弟たちは着替えが済んだのか、階段を降りて下の部屋に向かう音が聞こえて来る。あたしは部屋の隅に置いている自分のバッグをチラッと見た。昨日と変わらず裂けた口をベロリと開けてこっちを見ている。

 溺死体のようだったダッフルコートは、ルディさんが蹴とばしたせいで、映画「マトリックス」の登場人物が着ていたコートみたいに見事なうねりを見せている。あたしは一区画だけ別世界のように見える自分の荷物の場所まで行った。コートを横に押しやり、更に激しいうねりを加えてやる。それからバッグの中を探った。

 着なれたヨレヨレのTシャツと、某ファッションセンターで半額セールの時買ったストレッチジーンズが見つかる。いつもの服を見てホッと安堵した。自分の服を着ることにしよう。