第八話  『不幸のかたまり』


 突然ルカが座り込んだ。あたしは驚いて、一緒にしゃがんでルカの様子を見た。ルカは肩を震わせ、お腹を抱えて笑っている。バッグが裂けたのが相当面白かったようだ。

 笑っているルカを見てるうちに、あたしも可笑しくなってきた。あたしって運がないなぁとは思うけど、不幸と滑稽は紙一重だ。こうなったら笑い飛ばしてしまおう。

 あたしはルカと一緒に大笑いした。しばらく笑っていたら、チロリロリン、といきなり音が鳴ってあたしは飛びあがった。振り向いて音の方を見ると、ピンクの花で縁どられたハート形の白い壁掛け時計が八時を示していた。

 なんてこと、もう八時! 子供は寝る時間じゃない。あたしの妹は十歳の今でこそ夜九時まで起きてるけど、五歳の頃は八時には寝かせていた。単に早く寝てくれると助かる、という気持ちもあったけど、子供が夜遅くまで起きているのは良くないと聞いたことがある。

 確か成長ホルモンが分泌される夜十時にはぐっすり寝入ってないと、のちのちの健康に影響があるんじゃなかったかしら。高校の保健の授業で聞いただけだからうろ覚えだけど。

 あたしは裂けたバッグからコートを取り出した。バッグの側面はアッカンベーをするようにベロンと下に垂れ下がっている。みすぼらしくてますますこの部屋に合わないけど、もうどうしようもない。あたしはバッグの奥の方からパジャマと下着、洗面用具を引っ張り出した。あたしのしていることをジッと見ていたルカに「一緒にお風呂に入る?」と訊く。

 ルカはちょっと目を見張ってから、ニッコリ笑ってウン、と首だけで頷いた。乙女チックなこの部屋を飛び出して、ルカが廊下に出ていく。部屋を出てすぐ右側のドアを開けて、ルカが中に入って行った。ということは、ルカの部屋がこの部屋を出た右で、左側があの怪しい十五歳の弟が使っていることになる。

 廊下はシンとしていて、左側の部屋からは物音一つしない。あたしがいることは知っているだろうに、顔を出そうともしないのだから相当ヘンクツか引っ込み思案なのだろう。

 あたしはルカの部屋に入った。子供の部屋らしく、オモチャや絵本が乱雑に床に散らばっている。部屋の壁は薄い青で塗られていて、車の絵がついたカーテンが窓に下がっていた。ベッドは少し大きめでセミダブルくらいありそう。
 
 ベッドカバーは青系のタータンチェックが入っていて、男の子らしい色合いだ。オモチャ入れの大きなカゴや、動物のキャラクターがついているタンスやラックも、いかにも子供が使うものという感じで可愛らしい。なんだかこの部屋の方が、あのピラピラした部屋より断然落ち着くんですけど……。

 ルカがベッドの上に脱ぎ捨てられたままのパジャマを手に取り、タンスからパンツとシャツを出してあたしの前に来た。あたしはルカにお風呂場を案内してもらった。お風呂場は一階で、階段を降りてすぐ左側にあった。古い建物だしアンティークな物が多そうな家だから、風呂場も狭くて暗くて寒いのかと思い覚悟して中に入った。

 今まで住んでた平屋も古かったから、風呂は追い炊き釜がむき出しになっていた。煙突部分に誤って触れるとヤケドしてしまう造りでいつもヒヤヒヤだった。床は石畳にすのこが置いてあるだけで、二十一世紀ではお目にかかるのが珍しいくらいの代物だ。

 でもこの家の風呂場は意外にも最先端だった。曇りガラスの入った引き戸を横にスライドさせると、結構広さのある脱衣所が見えた。洗面台と洗濯機があり、どちらも新しそうで綺麗。洗面台のボウル部分は大きめの長方形で、横のスペースには歯ブラシと歯磨き粉が置いてある。台の下の扉を開けると、洗剤やシャンプーの予備などが仕舞われていた。その向かい側に乾燥機付きの全自動洗濯機が燦然と輝いている。

 二層式洗濯機しか使ったことのないあたしはコレが一番興奮した。スゴイ……8キロもある。これなら毛布とか洗えそう。洗濯機横にはラックがあって、扉の中はタオル類が納められていた。脱衣カゴは洗濯機の前にあるけど……ブラとかパンツを入れるのは恥ずかしい。あとで自分で洗おう。

 お風呂場を見てみたら風呂桶はきちんと洗ってあり、スイッチを入れて湯を張ればいいだけになっていた。あたしはお湯張りボタンを押して、歯磨きをするために洗面台まで戻った。洗面用具入れから歯ブラシを出そうとした時、ルカが洗面台のカウンターを指さした。

 歯ブラシ入れにピンク色の歯ブラシが入っている。他の歯ブラシは四本で、一本は子供用だからルカの物だ。青と黒と緑のそれぞれ形の違うブラシが三本。となると、この一本はあたしの為に用意されたものだと分かる。あたしの持参したブラシは毛先が開きかかっていたので、ありがたくその歯ブラシを使わせてもらった。

 ルカの歯を仕上げ磨きしてから、あたしたちはお風呂に入った。お風呂場は黒を基調にしたシックなデザインで、床や壁もカビや汚れが最小限に抑えられるような材質だった。どうやら脱衣所と風呂場は、まるごとリフォームされているようだ。

 快適なお風呂で身体を洗いながら、あたしはしみじみピンクの歯ブラシとラブリーなお部屋を思い返した。あの部屋のすべてを揃えたのがルディさんだとしたら──あの美しい兄≠ヘ相当、妹≠ニいうものに幻想をいだいていたのかもしれない。

 ずっと離れ離れになっていた妹「さくらもりこのか」は、ピンクのベッドで眠るような可愛い女の子だと思い込んでいたのかも……。だってルディさんはあれだけ綺麗なんだもの。自分の妹があたしみたいなどよんとした女だとは思わなかった可能性が高い。

 ハキハキして愛らしくて、趣味はショッピングとオシャレ、みたいな……。あたしはルカを泡だらけにして洗ってあげながら、地の底までズドーンと落ち込んだ。ルディさん、あたしを見てビックリしただろうな。フリフリのロリータファッションが似合いそうな妹が来ると思っていたら、ホラー映画張りの薄暗い女が現れたんだもの。

 母さんもよく言ってた。「あんたは可愛くない。不幸のかたまり。あんたは不幸をしょって生まれて来たんだよ」って。