第六話  『ご飯とナゾ』


 まさか「小人の靴屋」みたいにいつの間にか仕事を手伝ってくれる妖精でもいるとか? それとも都市伝説「小さいおじさん」かも。いや……あれはただ現れるだけだっけ? 鶴の恩返し? ううっ、鶴に恩を売った覚えナシ。あとは何? 笠地蔵、ごんぎつね……どれも当てはまらなそう。

 あたしはいつの間にかご飯の準備をしてもらったという、有難くも不思議な現象に色々考えこんでしまった。必死で昔読んだ絵本を思い出そうとしたけど、よく考えてみればそんな童話みたいなファンタジー現象が起こるわけがない。冷静を取り戻したら自分のアホさにひとりで赤面してしまった。

 まぁでも悩んでも仕方ない。とりあえずいい感じに煮込まれてきたミネストローネに味をつけよう。調味料はガス台のすぐ横に用意されていて分かり易い。鍋に塩を入れた時、ハッと思い当った。

 確かこの家にはルカの他にもう一人いたはずだ。十五歳の弟がいるとルディさんが言っていたのを思い出す。そうだ! きっとその人が夕飯を作ってくれたんだ。

 はて……でもなんで黙って去るのだろう。一言いってくれればあたしも手伝えたのに。こっそり台所まで来て密かにご飯を作るなんて、良い人なのか悪い人なのか判別がつかない。嬉しいのにコワイ。ミネストローネは塩味を付けたらものすごく美味しい──でもやっぱりコワイ。

 あたしも変な人だけど、その弟さんも相当変な人だ。隣の部屋からナンダーマン体操≠フ歌をうたう怪しい女の声が聞こえて来るのに無視してられるなんて……。

 もしかしてあたしの歌のせいかしら。あまりにもブキミな歌声が聞こえて恐れをなしたとか? あたしが気付かない内にそっとドアを開けてナンダーマン体操≠踊るあたしを見てしまったとしたら──恐怖を感じたかもしれない。いや発狂したと思われたかも。なんてこと……多分それだわ。ああ、恥ずかしい。

 あたしはガス台に手を掛けて座り込んだ。あまりのマヌケさに立っていられない。貧相な女のキテレツな体操を見てしまった弟くんが、心底気の毒になってきた。

 がっくり頭を下げているあたしの肩にそっと何かが触れた。顔を上げるといつの間にか台所に来たルカが心配そうにあたしを見ていた。ツルツルのおでこにしわを寄せて、問いかけるように首をかしげている。

 あたしはどうにか笑い顔を作った。確かにバカ丸出しの踊りをしたけど、少なくともルカは喜んでくれたのだ。それだけでも良かったはず。うん、そう思おう。思って……おこう……。

「お腹空いた? 今からチキンを揚げるからもう少し待っててね」

 あたしの笑顔を見てルカは少し安心したようだ。コクリと頷き、テーブル横の椅子まで移動する。小さな身体で椅子を後ろに引くと、ちょこんとそこに腰かけた。テーブルに肘を突き、手に顎を乗せ、脚をブラブラさせて食事が出来るのを待っている。

 あたしは気力を奮い立たせて、立ち上がった。ガス台にはミネストローネの鍋の横に、きちんと揚げ鍋が用意されている。油も入っていた。ガス台もまな板もシンクも綺麗に掃除されているし、生ごみも三角カゴにまとめてある。弟くんはしっかりした子らしい。

 あたしは揚げ鍋を火にかけた。油が温まるまでの間にご飯が炊きあがったので、しゃもじで混ぜる。ついでにシンク下の引き出しや扉を探り、調味料の予備や、常備野菜の位置などを確認した。母さんの管理していた台所と違い、この家の台所の備品は分野別になっていて分かり易い。男性しかいないなんてとても思えない。

 ん? ……ルディさんは男性≠ニはいえないのかな。とにかく、整頓するのが上手な兄弟とみた。まぁ、女だからって整理整頓が上手いとは限らないけど。母さんは出したら出しっぱなし、脱いだら脱ぎっぱなし、台所には立たない、という人だったから、男だとか女だとかでは決められないものなのだろうな。

 食器棚の引き出しを探っていたら、ご飯に混ぜ込むタイプの塩味付きのワカメが見つかった。あたしは炊きあがったご飯をお皿に少し取って、ワカメを混ぜこみ、おにぎりを作った。椅子に座ってラディの毛を撫でていたルカの前におにぎりを出したら、驚いた顔をしたあと、嬉しそうに笑った。

 早速手を出そうとしたので、「手を洗ってから食べてね」と伝えた。ルカは大急ぎで手を洗い、椅子に戻るとおにぎりにかぶりつく。夢中で食べる姿を見て、妹のことをまた思い出す。ご飯が出来るのが待ちきれない妹のために、あたしはよくおにぎりを作ってあげた。あの母さんと一緒に新しい家に行ってしまった妹。次のおとうさん≠ニは上手くやって行けるだろうか……。

 ドラムスティックのから揚げをじっくり揚げている間に、あたしは大きめのワカメおにぎりをたくさん握っておいた。お仕事から帰ってきたお兄さん達が手軽に食べられるようにしたのだ。冷蔵庫の野菜室にあったレタスを皿に盛りつけ、チキンを乗せる。

 ルカはもっとおにぎりを欲しがったから、ついでに自分の分も追加で作った。テーブルの上には、ワカメおにぎりとミネストローネとフライドチキンという、ちょっと不思議な組み合わせの夕食が出来上がった。あたしは新しい環境でまだ緊張していたけど、ルカと一緒に美味しい夕食をいただくことが出来た。

 チキンの味付けも絶妙だった。お腹いっぱいになって幸せな気分になる。当てにならない母さんの話を頼りにここまで来たけど、来るときは本当にここに住めるかどうか確信がなかったので、こうしてご飯を食べられることが心から有難い。

 この家にいるもう一人の弟の事が気になって、ご飯が出来たことを伝えようと思った。でも姿を見せないくらいの人だから、声をかけるのはやめておいた。ルディさんは「ほっといていいわ」と言っていたのだし、今はそれに従おう。どっちにしても後で全員紹介してもらわなくてはならない。挨拶はその時ちゃんとしよう。

 食事の片づけをしてから、あたしは自分の部屋に行ってみた。バッグを持ったあたしをルカが先立って案内してくれる。木の階段は足を乗せるとギーギー音を立てた。ラディは階段をのぼれないらしく、階段下でウロウロした後、居間の方に戻って行った。

 あたしはルカを追いかけて階段を上がった。二階の廊下の薄暗い灯りの下で、ルディさんが教えてくれた通りに部屋が並んでいるのが確認できた。ええと、あたしの部屋は左に折れた一番奥……。

 驚いたことに、その部屋のドアには「このか」と書かれたネームプレートが下がっていた。横長の楕円形で、可愛らしい花柄のついた乙女チックなネームプレート……。しかもこの部屋だけ他の部屋とドアの色が違う。他の部屋は木材の色をそのまま利用した茶色のドアなのだけれど、あたしの部屋のドアは白に塗られている。

 ルカが「こっちだよ」というように、先にドアにたどり着き金色のドアノブを回した。ドアを開け、部屋に入ると電気を点けてくれる。暗闇だった部屋の中がパッと明るくなる。あたしはドキドキしながらこれから過ごすことになる自分の部屋に入った。

 そこに見えたのは、目を疑うような光景だった。