最終話

「んま、まんまんまー」

らいらが喃語をしゃべりながら楓に手を伸ばす。楓は未祥から、らいらを受け取った。らいらは嬉しそうに楓の胸に顔を摺り寄せた。

「──あの、楓さん」

未祥は少しためらったあと、あらたまって楓に声を掛けた。楓は首をかしげて未祥を見る。

「こんなこと聞いていいのか分からないけど、一度確認しておきたかったんです。楓さんはその……この場所で寂しくないですか? ここにはあたしと可畏しかいないし、楓さんまだ若いのに、出会いも限られてるし……」

言いにくい内容なので、自然に言葉が尻つぼみになる。楓は目をパチリと開けて、黙って未祥を見ていた。

「もちろん、楓さんが良いならずっと、ずっとここにいて欲しいです。ペンションも出来る限り続けていきたいし、楓さんとは一緒にお料理を研究していきたい。

でも、らーちゃんが大きくなって、もしも外に出て行っちゃったら、楓さんにはパートナーがいません。あたしには可畏がいるのに……なんだか……」

必死で自分の気持ちを説明する未祥を、楓は口を開けてジッと見ていた。未祥は、なんで今こんな話を始めてしまったんだろう、と自分を恨んだ。らいらは妙に大人しく、母の腕の中で未祥を見つめている。未祥は背中に冷や汗をかいた。楓の目を直視することが出来ない。

突然、楓が笑い出した。らいらにしがみつくようにして、肩を震わせている。未祥はそんな楓を目をしばたたいて眺めた。

「ごっ……ごめん。未祥ちゃんがあんまり申し訳なさそうな顔してるんで、可笑しくなっちゃって……」

未祥はますますどんな顔をしたらいいのか分からなくなって、黙って楓の笑いがおさまるのを待った。

「そっかぁ、未祥ちゃんはあたしの恋愛とか、結婚の事、心配してくれてるのね?」

楓はまだ笑い顔のまま、未祥に問いかけた。未祥は肩をすぼめて、かしこまって楓に応える。

「そういうこと言うの、まだ早いって分かってます。楓さんが羅威さんを大切に思ってることも……。でもだからこそ、楓さんにはちゃんと幸せになって欲しいんです。楓さんがいつか独りになってしまうかと思うと……あたし──」

「未祥ちゃん、あなた今、幸せなのね」

「……え?」

「可畏くんと一緒にいて、毎晩隣で眠れる。でもあたしには愛し合える男性がいない。だからあたしに対して、申し訳なく思ってる、ってことかな」

未祥は何とも答えられなかった。事実、その通りだと思っているからだ。楓は未祥を見て、ふふっと笑った。

「残念でした! あたしはね、未祥ちゃんが思ってるより、ずっと幸せなの。今までの人生にないくらい、幸せでいっぱいなんだ。ここにはらいらの実の伯父さんがいて、刀利村の人たちも、らいらのこと凄く大切にしてくれてる。

羅威くんのおばあちゃんも、聡さんが村を出てから体調崩して入退院を繰り返してたのに、らいらに会えて元気を取り戻せたと言ってくれた。可畏くんはあたしと羅威くんが正式に籍を入れてない事知ってて、あたしには何の権利もないのに、弟の嫁としてペンションを手伝うことを許してくれたの。しかもちゃっかり住み込んじゃって……。

あたしね、自分の寝る場所があるのがどれほど貴重な事か、身に染みて知ってるの。身寄りのない者に、この世界は優しくない。アパートひとつ借りるのも、そう簡単にはいかないものなのよ。

それが今は収入もないのに、ここで大きな顔して過ごしてる。らいらのことも、何の心配もなく育てて行ける。こんなに幸せなことないわ。それに……それにね」

楓は急に声を低めた。内緒話をするように、未祥に顔を近づける。

「ここだけの話なんだけど、あたし、夜羅威くんを感じるの。ここにいると羅威くんに守られてるみたいな気持ちになるけど、それだけじゃなくて……ほんとに、抱きしめられてるような夢を見るの」

楓の頬は赤くなっていた。まるで新婚ほやほやの若奥さんの様な顔だった。

「だからね、全然寂しくないよ。それは本物じゃないし、あたしの妄想かもしれないけど、それでもいいって思ってるんだ。確かにちゃんと結婚して、子供がいて、立派な家に住むことはみんなの理想だと思うよ。社会的地位も安定するし、自信を持って生きられるでしょう。

でもそういう風に理想に則った人生は安心≠ゥもしれないけど、幸せ≠ネのかなぁって疑問もあるの。あたしはシングルマザーで、生活が安定してる人から見れば可哀相な人≠ニか、バカなヤツ≠ネのかもしれない。

だけどね、今誰よりも幸せだと思える。好きなお料理を生かせる仕事について、大好きな羅威くんを感じられる。これ以上、何にもいらないくらい充実してるの」

楓はにっこりほほ笑んだ。その笑顔には陰りというものが一切なかった。

「未祥ちゃんと可畏くんが厭じゃなければ、あたしはずぅっとここに住みたいと思ってる。やっとつかんだ幸せだもの、そう簡単に手放したくないわ」

楓は目をキラキラさせて未祥を見た。未祥は楓の笑顔が眩しくて、目を細めて笑い返した。

「厭なんて一度も思ったことありません。どうか、ずっとあたしの姉妹でいてください」

「もちろんよ、お姉ちゃんっ」

ふたりは同時に笑いあった。楓の気持ちを確認して、未祥の笑顔にも陰りが見えなくなった。夜、可畏に抱きしめられている時、同じように幸せな夜を過ごせない楓のことが気にかかっていたが、それももう、心配することはなさそうだ。満ち足りている楓の笑顔は、嘘偽りは全く感じられない。

未祥は心の中で羅威に謝った。楓の為を想って言ったことだが、それは羅威を忘れろと言っているのも同然だったからだ。なんとなく、建物自体がホッと息をついたような気がした。

「おはよう、楽しそうだね」

可畏が台所を覗き込んで挨拶した。笑い合っている二人を見て、不思議そうな顔をしている。首からはタオルをかけ、こめかみから流れ落ちてくる汗を拭きとっていた。らいらが可畏を見つけて、小さな手を伸ばした。

「庭の花びらを片付けてきたよ。どんどん散るから、また午後そうじしなくちゃならないけど」

可畏が楓かららいらを預かりながら言った。らいらは伯父の髪を引っ張って、隙あらば食べようとしている。「いてて……らーちゃん、痛いよ」と可畏が言った。それでも可畏はらいらの手をよけようとしない。可畏にとってこの姪っ子は、目に入れても痛くないほど愛しい存在なのだ。

「お疲れ様。じゃあ、朝ご飯にしましょう。今日は頑張ろうね!」

楓は両手でガッツポーズして、二人に向かって声を掛けた。未祥と可畏はこぶしをあげて、「オー」と言う。らいらも参加して「あっ」と言った。

この小さな家族は今、新しい未来へ向かって歩き始めた。





さまざまな色の溢れる庭の小道を、二人の男女が歩いてくる。

さえずる鳥の声と淡い青の五月の空、澄んだ山の空気が二人の疲れを解きほぐす。その顔に、自然と笑みが湧き上がった。前方にはカントリー風のペンションが見える。エントランス前にも花が飾られ、二人の来訪を歓迎しているのが分かる。

恋人同士である男女は見た。一目で気に入ったペンションの玄関前で、自分たちを出迎える四人の姿を。

愛らしい顔をした赤子を抱く女性は、控えめに一歩下がった。この世のものとは思えないほど美しい二人の男女が、並んで姿勢を正す。四人とも心からの、歓迎の微笑を浮かべている。

年若い青年が、低く、響きの好い声で言った。

「愛の森の館、リーベン≠ヨようこそ!」










H25.12.15.  了