第百四十六話

☆epilogue☆ 

未祥は可畏の腕の中で目覚めた。

背中から未祥を抱きしめる可畏は、まだ眠っているようだ。あたしが真夜中に泣いたから疲れてるのかも……、と未祥は思う。

可畏を起こさないように悲鳴を押し殺して夢から覚めるのだが、可畏は絶対に気付いてしまう。未祥の心を未だに苛むのは、多聞家の男達だった。ニヤニヤ笑いながら夢の中で未祥を犯そうと近づいてくる顔──。

それは純の整った顔だったり、猿めいた多聞義男の顔だったりする。純が自分を凌辱したとき意識はなかったはずなのに、夢の中では息遣いが聞こえるほどリアルに感じられる。

可畏に毎晩全身が溶けそうなほど愛されて眠るのだが、時々見る夢に幸せを邪魔されるのだ。レイプされた恐怖はそう簡単になくならないという事を、無意識に見てしまう夢で未祥は教えられる。可畏は未祥が再び眠りにつくまで、ずっと腕をさすり続けていてくれた。もう何度も、そんな夜を過ごしている。

可畏の腕に頭を乗せていた未祥は、愛しさを込めてそこにキスした。外はぼんやりと明るい。五月の今は真冬よりだいぶ夜明けが早くなった。時間は朝の五時くらいかな……。

未祥はベッド脇のサイドボードに目をやった。ボードの上には、綺麗な小型のガラスケースの中に歓喜天の像がおさめられている。像の横には青みを帯びた髪の小さな束が置いてあった。

未祥はそのガラスケースを見ると、ホッとして気持ちが明るくなる。新しく造る家には歓喜天を納める部屋を用意することになっているが、未祥はいつも目に見えるところに置いておきたい思いもあった。

未祥がゆったりした気持ちでガラスケースを見ていると、可畏の手がいつの間にか乳房のあたりをまさぐり始めていた。こんな朝から? と未祥は軽くあがらう。しかし可畏はより強く体を押し付けてきた。すでに可畏の中心は熱く、力強く燃え上がっている。

未祥は少し呆れた。だって昨日の夜だってあんなに──。それでも可畏の勢いは止まらない。未祥にも同じように熱くなってほしくて、手を脚の間に割り込ませてくる。未祥はため息と共に可畏に言った。

「ね、今日何の日か知ってる?」

「ん……五月の連休……。ゴールデンウィーク」

「うん。そしてここに初めてお客様が来る日」

「そうだな……。緊張する」

「それほんと?」

未祥は手の動きを止めようとしない可畏を、疑わしい目をして振り返った。すかさず、可畏が唇を重ねてくる。たっぷり舌をからませたあと、可畏は未祥の上になる。未祥は可畏の唇に指先を当てた。

「今日は早く起きて準備したいの」

「準備なら昨日全部終わらせたよ」

「でも最終チェックしたいもの」

「まだ五時前だよ。チェックインは午後二時──」

「……緊張してるんでしょ?」

「うん、だから慰めてほしい」

もう……! と未祥はつぶやいたが、可畏に刺激されて自分の息も乱れてきた。可畏は未祥の高ぶりをしっかり確認すると、未祥の中に深く押し入る。それから一時間、可畏は未祥の暖かさで、緊張をすべて忘れるほどの慰めを得た。



未祥が一階の部屋に入ると、キッチンから何かを刻む音が聞こえてきた。絨毯の上ではらいらが仰向けで布製のおもちゃに噛みついている。

らいらは未祥に気付くと、パッと笑顔を見せた。「あばっ」と言ったあと、寝返りをする。クルリと回転した途端、らいらは未祥の足元に来た。うつぶせで未祥を見上げ、歯のない口でニッコリ笑う。

「おはよう、らーちゃん」

未祥はらいらの脇の下に手を入れて抱きあげた。いい加減慣れたものの、らいらの速疾鬼としての動きには、面食らってしまう。これでハイハイが出来るようになったらどうなるのだろう。その上歩くようになったら──。

そうなったら速疾鬼に唯一対抗できる光さんに毎日来てもらおうかしら。光さんが逃げるらいらを追いかけて、鬼ごっこに疲れたらおんぶする。

未祥は光がおんぶ帯を体に巻きつけているところを想像して、思わず噴き出した。らいらが未祥の頬に手を伸ばし、一緒になって笑う。光は四月に茉菜さんと結婚式を挙げ、来年の二月には父親になる予定だ。今から育児に慣れておいても損はないだろう。

「おはよう、楓さん。遅くなってごめんなさい」

未祥はらいらを抱いたまま、キッチンに入った。台所では楓が朝食の味噌汁を作っているところだった。

「おはよう、未祥ちゃん。まだ六時だもの、遅くないよ。あたしはなんだか緊張して、早く目がさめちゃったの。だから気にしないで」

楓はすでに朝食のほとんどを作り上げていた。未祥が手伝うことは箸を運ぶことくらいだ。

「あたしも緊張する。お料理、美味しいと思ってもらえるかな」

未祥は楓と何度も話し合って決めた今日の夕食を思い浮かべた。宿泊客は三十代の男女だ。ネットの入力情報から見ると、恋人同士らしい。若い二人だからメインは肉料理で考えてある。いろどりや栄養面も考慮して、野菜もふんだんに使うメニューした。

楓が刀利村に出来たママ友たちにも試食してもらい、絶賛されたものだ。大丈夫だとは思うのだが、やはり心配はぬぐい切れなかった。

「ここまで来たら開き直るしかないわね。頑張ろうね、未祥ちゃん」

「はい!」

ふたりは顔を見合わせて笑いあった。楓はエプロンで手を拭きながら思案する表情を浮かべる。

「朝ごはんを食べたら、庭のチェックをしましょう。お花が綺麗な時期は、花びらが散るから厄介ね。裏の工事はお客様がいる間は休みだけど、間違えて入って行かないように気をつけなきゃね」

「家が出来上がるのは秋になりそうですね。それまではちょっと見た目は悪いけど、工事中のロープを張らなきゃダメかな。でもお庭の花が見事だから裏なんて気になりませんよ、きっと」

羅威のペンションの庭は、たくさんの花が咲き乱れていた。らいらの名前の元になったライラックの花も、愛らしいピンク色で庭を飾っている。

羅威はきちんと、庭木の手入れをしていたらしい。木も放っておくとこれほど美しく花を咲かせてくれないだろう、と朝さんは言った。可畏は羅威の後を継いで、植木の研究に余念がない。

青々とした芝生も毎日のように可畏が手を入れる。大きな傘がついた木のテーブルとロッキングチェアも庭に置いて、ゆったりと自然の豊かさを堪能できるようにしてある。

美しい庭は、客人をもてなすのに重要な役目を果たしてくれそうだった。