第百四十二話

隠居ジジイだな、と光から揶揄されたが、可畏は笑って受け流した。実際人間界≠ナずっと生活することが出来るのか、自分には分からないと可畏はいう。

未祥は元々、吉祥天の化身として生まれた為、年を取らない。それならば歓喜天の化身として生まれ変わった自分も未祥も、やはり見た目が変わらない可能性があると懸念している。

可畏は今はただ静かに、羅威の館で暮らしていきたいと思っているようだ。この場所を恋人や夫婦専用のペンションとして経営し、時々訪れる宿泊者を祝福したいということだった。その宿泊者を募集するのに一役買ったのが、志門と裕生だ。

「どうだ、ホームページには人が来てるのか?」

光がペンションに向かって山道を走らせながら二人に訊いた。裕生は未祥にメールを打っているところだったので、志門が質問に答えた。

「少ないですけど、見てる人はいるみたいです。アクセス解析では、一日〇〜三件ってとこですね。全然ない日が多いですよ。もともと誰にでも見られるようにしてないので、サイトにたどり着く人がいると、ちょっとびっくりします。でも嬉しいです」

「そうなのか。確か志門があの英語の羅列みたいなのに細工したんだっけな」

「はい。未祥ちゃんと可畏さんの希望は、本当の愛情を持っているのに、上手く伝えられなかったり、少し疲れてしまったりした人たちに、ペンションまで来てほしいということでした。

オレがCSSに祓詞(はらえことば)を入れたのが効いてるのかもしれません。あとはお二人の祈りでしょう。愛の神の化身として、真実の愛を持っている者に泊まっていただきたいと願ってます。そしてあの場所で結ばれたひとたちは、永遠の愛を手に入れるんです。

こう言っちゃなんですけど、ペンションのサイトには心のきれいな人しかたどり着けません。だからアクセスがあるってことは、それだけ誰かと本気で愛し合ってる人がいるってことになります。そういう人が、もっと増えてくれるといいと思います」

「確かにそうだな。でも、ネットが出来ない人はどうなるんだ? 誰も彼もがホームページを検索できるわけじゃないだろう」

「電話番号は電話帳に載せてますよ。それに携帯やスマホでもサイトを閲覧できるようにしてあります。あとは、あのペンションに勝手に導かれる人もいると思います。そういう人を聖域は拒否しません。要は誠実な気持ちがあるかないかの問題です」

「うーん、でも経営となると集客は少なそうだから厳しいかな。まぁ、あいつらは金持ちだから大丈夫か」

「そうですね……。可畏さんは利益を度外視してる感じです。いつかどうにもならなくなったら、歓喜天さまに頼むって言ってましたよ。俺達は仮にも聖天さんの化身なんだから、見捨てないだろうって」

「ふむ、なんでも願いを叶えてくれる昇天さんか」

「聖天さんです」

やんわり否定した志門に、光はフフッと笑い返した。車は通いなれた私道へと入っていく。一般の人間には、この道を見つけることは出来ない。

「──警察の方はどうですか?」

志門は声を低くして、気遣いながら光に訊いた。

「ああ、結局行方不明者という事にしたよ。多聞家の焼け跡から見つかった遺体は二体だ。あれは歯の照合で北野さんと高川さんだと決定したからな。火事で逃げ遅れて死んだということになってる。じいちゃんは霧散したし、純は黒く溶けたから遺体は残らない。

一応、しばらくは行方が分からないことにして、何年かしたら沼田医師に心臓発作として死亡診断書を書いてもらうよ。あとはお決まりの鬼の弔い≠セ。もう決着がついたようなものだから気にするな」

「はい……分かりました」

志門は未だ、光の祖父を止められなかった自分を悔いている。光も辛いだろうが、祖父の事は一切口にしなかった。

「戟はちゃんと奉納してくれたんだろう?」

「もちろんです。伯父が責任を持って神殿の奥深くに隠しました。もう誰も、鬼を支配することは出来ません」

「そりゃ有難い。あんなものは二度とこの世に出て欲しくないからな」

火事の現場から、ドロドロした黒い塊に混ざって戟が出てきたのは、多聞家が全焼してから二日後のことだった。純は先祖代々の例によって、戟を飲み込んだ。光は戟が火に溶かされているかもしれないと思ったが、慎重に焼け跡を探し、以前と全く変わらない戟を発見した。

落胆の思いを抱きながら、光は大急ぎで人目に触れないように戟をポケットに仕舞った。そして誰にも渡らないように、霊験あらたかな神社の神主である烏川直己に管理してもらえるよう依頼したのだ。志門の伯父は二つ返事でオーケーし、戟を引き受けてくれた。

「結局俺達鬼も、何事もなく無事だった。俺はちゃんと空を飛べるから、鬼は鬼として存在してもいいということなんだろう。比丘尼がいなくなったのに、別に人を喰いたいとも思わん。戟さえなければ問題なく生活していけるよ」

「あ、そうか。吉祥天の化身である比丘尼がいなくなったら、鬼のカニバリズムも戻る可能性があったんですよね。なんで大丈夫なのかな」

「これは可畏の受け売りだが、未祥の癒しの霧≠フせいだろうってことだ。あれが村の鬼たちに作用して、毒気を抜いちまった可能性があるとさ」

なるほど、と志門が思ったところで、裕生が窓を開けた。窓から身を乗り出して手を振っている。いくら三月になったとはいえ、まだ空気はかなり冷たい。いきなり車内に寒い風が入ってきて、光と志門は震えあがった。

フロントガラスの向こうに、駐車場で手を振っている未祥が見える。後ろには可畏がいて、隣にらいらを抱く楓がいた。らいらは首も座り、縦抱きにされても自分でバランスをとれるようになっている。楓の腕の中で、車に向かって笑いながら手足を動かしていた。

暖かなひとたちが、自分を歓迎してくれる。志門は心の底から嬉しさがこみ上げた。志門の中の八咫烏が、愛の聖域のなかでゆっくりとその羽を休めた。