第百四十一話

「それはあり得ません!」

スパッと切り捨てるように裕生が言う。相変わらずの素早い否定に、志門は少しばかり胸がズキッと来た。一部屋に寝る≠ノ反応して赤くなった自分が馬鹿みたいだ。

あーあ、と志門は思う。裕生が泣きながら眠った時は、それなりに可愛かったんだけどな。痛いのに頑張って腕枕してやったんだぞ。まぁ、時々こっちの胸に当たってくる裕生のバストの柔らかさは、なかなかのものだったけど。

「可畏はどうやらペンションの敷地内に新しい家を建てるつもりみたいだぞ。ペンションの裏の雑木林を少し潰して、二人で暮らせるように生活用の家を作りたいとさ」

光が言うと、後部座席の二人は驚いて前に乗り出した。

「えっ。ほんとですか?」

「ああ。今、可畏と未祥はダブルベッドのある客室を使ってるだろ? 楓さんはらいらと一緒に一階の羅威の部屋に引っ越してきたし、手狭だと思ったんじゃないかな。

ペンションを経営するにしても、二階の客室に可畏と未祥が常在しているのは、お客さんにも心証が悪い。らいらもいずれ子供部屋が必要になるだろうから、この際建ててしまった方がいいだろうってことだ。

デカい家になるかもしれん。裕生と志門の部屋もあるし、ついでに俺が飲み潰れた時の為の部屋も付け足そうかと言ってたからな」

志門と裕生は、驚愕と嬉しさの混じった視線を交わした。裕生は更に身を前に乗り出す。

「あたしと志門の部屋もあるんですか!?」

「そりゃあ、もちろんあるさ。ペンションのサイト管理人なんだから、泊まり込み用の部屋くらいあってもいいだろう。ネット回線もちゃんとつないで、プリンターやスキャナーの事務機器を置ける場所も作る計画だ。

いや、ホントはしゃべっちゃダメだって未祥から言われてたんだ。でも我慢できず言っちまった。頼むから知らないフリをしていてくれよ」

ハンドル操作をしながら、光が楽しそうに言った。相変わらず急発進と急ブレーキだが、この時ばかりは志門も気にならなかった。あのペンションの近くにいつでも来られる場所があるなんて、すごくワクワクする。

志門と裕生は、羅威のペンションが大好きになっていた。学校での勉強や交友関係からひと時逃れて、ゆっくり出来る場所だから、という理由だけではない。志門には、ペンションのある森の中の一画が、現実の世界からほんの少しずれて別世界になっていると感じられる。

あの空間は聖域なのだ、と志門は思う。あそこにいるだけで、身も心も清められ、体の奥からパワーがみなぎってくる。理由はたぶん、可畏と未祥が過ごす場所だからだ。

可畏と未祥は今までの運命から解放され、鬼や比丘尼とはまったく別個の存在となった。でもそれは、普通の人間として生まれ変わったわけではない。可畏と未祥は今や、歓喜天の廉価版なのだ。

神に近い二人が存在するための空間は、特別な力を持ち、人間の目からは隠されている。可畏と未祥に招かれないと、あの場所は見つけられない。実際、郵便局の配達員は今まで何でもなく行けた羅威のペンションに、しばらく入れなかったのだ。

可畏が郵便物が届かないことに気づき、問い合わせをして発覚した。配達員は、ペンションの場所をかなり探し回ったそうだ。可畏が再配達をお願いしてからやっと、郵便物が届くようになった。

そのことがあってから、可畏は荷物などの届け物をする人で悪意のない者だけが、あの場所を見つけられるようにと祈った。結界を張るのではなく、祈りを捧げただけ。それだけでペンションは配達員を受け入れるようになった。



刀利の伝説の破壊が終わって二ヶ月が経過した。志門と裕生は、高校の春休みが始まったので、休みの間ペンションに滞在しに来たのだ。

可畏は変わってしまった髪の毛を、前の色に近い色に染め、大学四年間の単位を取り終るまで登校した。卒論を仕上げ、この春大学を卒業したが大学院進学は諦めた。二人が住んでいたアパートも、今は荷物置き場になっている。きっと新しい家を建てたら引っ越しを完了させるつもりなのだろう。

未祥は高校には戻らず、退学してしまった。理由は可畏と結婚する、ということだった。これはクラスではかなりスキャンダルなネタとして、色々な噂が立った。

一番まことしやかに騒がれたのは、未祥の妊娠だった。志門と裕生は未祥と仲が良かったので、散々探りを入れられた。クラスメイトには、妊娠はないが恋人の可畏が遠くへ行くことになったので、結婚してついていくことになった、とだけ話した。まるきりのウソという訳ではないせいか、みんなは意外に素直にその話に納得して、引き下がってくれた。

未祥が学校を辞めた本当の理由は、可畏と楓の三人でペンションを経営するためだった。髪と目の色が変わってしまって、今までの自分を知っている人の前に出ることが出来なくなったのも大きいが、それ以上に羅威のペンションから離れたくなかったのだ。

ずっと病気療養中としてきた覚羅聡の死亡診断書を刀利村の沼田医師に書いてもらい、役所に提出した。羅威の葬式も内輪だけでひっそりと行った。父と弟の財産は可畏が相続することになり、資金は潤沢にある。

楓は妊娠期間中に調理師の免許を取っていた。未祥も料理が得意なので、二人で食事を提供することが出来る。未祥も調理師免許を取るために、勉強を始めている。

可畏はペンションの経営者ということになるが、好きな歴史書に埋もれながら、庭木や建物の管理をすると決めた。