第百三十九話

ほおお、と光が感心した声を上げる。

「Hしてスゴイ歓喜を味わったか。それで昇天さん?」

「いえ、聖天さんです」

志門は頬を赤らめたまま、光の間違いを訂正した。話の内容が内容なだけに、女性達の視線を受け止めることは出来ない。それでも自分が知っていることを少しでも伝えようと、頑張って話を続けた。

「住職さんは時々、聖天さんのことを歓喜天様とも、ガネーシャ様とも呼んでました。関西弁の象のガネーシャに人気が出た時も、観光客が増えるだろうから象の形をした饅頭をおみやげにして売ろうか、と言ってウキウキしてたのを覚えてます。

伯父はよく冗談で、あいつが精力的なのは聖天さんみたいなエロい仏を祀ってるからだ、と言ってました。たまに住職と些細なケンカをすると、あのスケベ坊主め、と怒りながらオレに諭すんです。

あんなエロ神様のいる寺には近寄るんじゃない。うちは清廉なる八咫烏様を祀っているんだからな。カラスさまの血を引くお前が、年頃になって女好きの絶倫男にされてしまったらかなわんって。でも住職が酒を抱えてやってきて、一緒に飲むとすぐ仲直りするから、ふざけて言ってるだけみたいでしたけど」

やっとこ、説明を終えた志門はホッとして口をつぐんだ。聖天さんは信仰するひとが多い神様だが、その謂れのせいかおおっぴらにしている神社仏閣はそういないと聞く。確かになぁ……、と志門は思う。日本人は性的なことにオープンな国ではないので、ガネーシャは信仰を口にし難い神様なのかもしれない。

未祥は志門の口から毘那夜迦の名を聞いて、夢の中の祥那を思い出した。あの時は何の事かよく分からなかったが、祥那の願いを聞き入れ、可畏と自分を救ってくれた神様が毘那夜迦王であり、象の神様の歓喜天だと理解できた。

未祥は裕生の持つ小さな象の仏像に目をやり、有難さで涙が滲んだ。幼い頃から見ていた、可畏の胸にある象の印──。あの頃から歓喜天は可畏の中にひそみ、祥那と聡おじさんの切なる祈りを実行する機会を待っていてくれたのだ。

「そうか……なるほど、よくよく考えてみれば、可畏には聖天さんを引き寄せる要素があったワケだな。歓喜天になるまえのガネーシャは、鬼神や鬼王と言われるくらい傍若無人な存在だった。可畏は鬼神の血を引いている。しかも精力絶倫ってヤツだ」

光が妙に納得した様子で、何度もうなずきながら言う。可畏は過去の女性遍歴を思い出し、バツの悪い思いで顔を赤くした。

「ということは、可畏さんは鬼から歓喜天の化身になったことになりますね。可畏さんの暴走を止めたことで、未祥ちゃんも比丘尼ではなく、観音様の化身に変わったんだ。だから髪の色も変化した……?」

志門が腕を組んで、二人の変化の疑問を整理するように言った。可畏と未祥は顔を合わせ、驚きと納得が入り混じった視線を交わした。

可畏はハッとして自分の胸に手をやった。さっき慌てて着たシャツのボタンを外す。胸の中心を見ると、もうほくろは無くなっていた。

「──ない。象のほくろがなくなってる」

可畏は自分の胸に手を這わせた。六歳の頃からそこあったほくろは、あるのが当たり前になっていた。それが急に無くなったので、なんだか奇妙な気分になる。

未祥はまず、自分の右耳に触れた。そこから宝珠がこぼれ落ちたのはちゃんと分かっていたが、確認の為に触ってみた。もちろん、指には宝珠が触れる感覚はない。それから未祥もパジャマのボタンを一つ外した。艶やかな肌と深い胸の谷間が見えた。

志門は息を飲んで一瞬食い入るように見つめた後、大慌てで横を向いた。光はわざわざ覗き込もうと身を乗り出し、茉菜にどつかれた。

胸の中心には、白い象の形に変化した宝珠は見えない。未祥も手で撫でて確認したが、そこには何も存在しなかった。

「あたしの……宝珠もない」

可畏は未祥の胸元に顔を近づけた。確かに、昨日はあったはずの象の印がない。ふたりが愛を確かめ、深く交わり歓喜を得たとき、ほくろと宝珠は歓喜天の仏像となって体から離れたと思われた。裕生が小さな仏像を大切そうに両手で握り、希望の溢れる声で光に訊いた。

「それじゃあ、未祥はもう再生することはないんですね! 刀利の比丘尼の運命から解放されたんだ」

「そういうことだな。可畏と未祥は、刀利の伝説をぶっ壊したということだ」

やったーっ、と裕生が叫んでバンザイした。仏像を持っていない方の手で、志門とハイタッチをする。未祥は涙をあふれさせ、可畏と見つめ合った。

光も泣きながら大声で笑い、茉菜を抱きしめた。楓は指を口に入れているらいらの額にキスをする。らいらが「あうあー」と言って、唾液だらけの手を楓のほっぺたにつけた。

「可畏さん、これお返しします。いつまでも持っててごめんなさい」

喜びを分かち合ったあと、裕生が自ら手に持つものに気が付いて可畏に言った。可畏の目の前に、抱き合う象の形をした小さな仏像が差し出される。可畏は厳粛な面持ちで、歓喜天の像に手を伸ばした。裕生の手から、可畏の手に仏像が渡る。

『良かったな、兄さん』

羅威の声が可畏の頭の中で響いた。可畏は思わず動きを止める。息を止めて動かなくなった可畏を、一同が注目した。みんなの前で、可畏の体が光り出した。腕や胴体など様々なところから、小さな光りの粒が湧いて出てくる。

光りはフワフワと可畏の周りを舞ったあと、フッと輝きを消し、下に落ちて行った。可畏の足元の周りにパラパラとそれが落ちていく。可畏は呆然としたまま、床に落ちたものを見た。それは青灰色をした髪の毛だった。

可畏は床に膝をつき、その髪を拾った。今の自分とは違う髪の色。たった一人の弟の、大切な遺髪だった。