第百三十七話

「変わったのね」

少女は言った。その声を聴いて、未祥は少女が祥那だと分かった。純に犯され、何もかもすべてを諦めそうになった時、叱り、励ましてくれたあの声──。

「あなたたちはやり遂げた。伝説は壊れたわ。あなたはもう、比丘尼じゃない」

少女はふわりとまつ毛を伏せて、嬉しそうに笑った。祥那の後方、水場で遊んでいた少女たちが、一斉に拍手をした。未祥は意味が分からず、顔をしかめて祥那を見た。祥那は申し訳なさそうに、少し眉をひそめて未祥を見返す。

「恐ろしい思いをさせてしまって、ごめんなさい。あなたと可畏に未来を託すために祈った時、ただ一人祈りを聞き入れてくれたのが、毘那夜迦王だったの。彼は限りなく残酷で、底知れぬほど慈悲深い神。そして変化することを、自ら知っている神だったの。あなたは愛の化身になったのよ。それはあなたが、自分で手に入れた新しい命。

変わらないこと≠ヘ、実はとても容易いわ。前例に従ってその通りにやりさえすれば安心だ、というのは、人間のどうしようもない悪癖でもあるのよ。私は変わることが出来なかった。でもあなたは一歩前に踏み出せた。もう大丈夫。これからは、可畏と共に愛の為に生きて」

祥那はそう言うと、涙を流しながら笑った。未祥に向かって手を上げ、小さくその手を振る。水場の少女たちは大きく手を振っている。そのすべての光景が、突然かすれてきた。急速に暗闇が迫ってくる。

未祥は祥那に向かって手を伸ばした。祥那はずっと笑っていた。そして泣いていた。水場の少女、今までの比丘尼達もきっと同じ顔をしている。彼女たちはやっと解放された。青空の下で、風の匂いをかぎながら走り回ることが出来るのだ。

かすれていく光景の中、祥那に近づき肩を抱く人影が見えた。背の高いそのひとは、青味を帯びた髪をしている。消えていく比丘尼達にむけて、そして聡おじさんにむけて、未祥は手を振った。自分の頬に涙がつたっていくのがわかる。暗闇に消えていく光景を見ながら、未祥はいつまでも手を振り続けた。




未祥と可畏が昨晩過ごした、二階の部屋のドアは開いていた。裕生はその部屋に駆け込んだ。クィーンサイズの大型ベッドの上に、ひとりの女性が眠っていた。

目を閉じた女性はベッドの右寄りに仰臥し、左隣には可畏が寝ていたくぼみが残っている。色の変わった未祥の髪は枕の上に広がり、掛布団のしたから裸の肩が覗いていた。

「……未祥?」

裕生はかすれた声で名前を呼んだ。透き通るように肌が白く、髪の色が可畏と同じホワイティアッシュに変わってしまった未祥は、もしかしたら息をしていないのではないか……という疑いを持つほど、彫像のように美しかった。

その時、瞼がピクリと動き、未祥が目を開けた。何度かまばたきを繰り返したあと、ひとの気配を感じたのか、裕生の方を見た。裕生は未祥の瞳を見て、絶句した。裕生の隣に立った志門も、可畏の髪を見た時より衝撃を受けた。その横に続けて並ぶ可畏と光、茉菜も呆然と未祥を見ている。

「……裕生ちゃん?」

未祥はどこかボンヤリした目で、裕生を見て言った。裕生は咄嗟に返事が出来なかった。未祥の視線が、裕生から志門、そして隣に立つ可畏に移動した。目を眇めて、誰よりも好きな可畏の顔と、見慣れない髪の色を確認する。

突然未祥は目を見開き、ガバッと半身を起こした。上掛布団が胸元から滑り落ちる。豊満な乳房と、ピンク色の乳頭が丸見えになった。

「男子は回れ右!」

裕生の鋭い号令が掛かった。志門は真っ赤な顔で、光は残念そうに後ろを向く。つられて可畏も後ろを向いた。なぜかビシッと背筋を伸ばし、ベッドに背を向ける男性陣の後ろを、茉菜が通り過ぎた。裕生の隣に立ち、間近で未祥を見る。

目を覚ましたらいらを抱っこした楓が、遠慮がちに部屋に入ってきた。楓はベッドに半身を起こした女性を見て、さっきと同じようにポカンとした。未祥は掛布団を引き上げて胸を隠し、裕生と茉菜を交互に眺めた。恥ずかしさで頬が赤く染まっている。

「未祥……あの、未祥だよね?」

顔立ちも仕草も変わっていないものの、髪と目の色が大きく変化した親友に向かって、裕生は慎重に問いかけた。

「う、うん。そうだよ。あたしなんで……」

そこまで言ってから、未祥はハラリと顔の前に垂れた自分の髪を見た。ギョッとして長い髪を片手でつかむ。今までの髪の色と全然違う。未祥は焦って裕生に訊いた。

「ゆ、裕生ちゃん。あたし……あたし、いつブリーチしたっけ!?」

素っ頓狂なほど慌てた様子で未祥は言った。裕生は口をつぐみ、泣きそうな顔の未祥を見る。しばらく黙ったままでいた裕生は、突然ふきだした。髪と目の色が違うだけで、オロオロしながら自分を見る未祥は前と変わらなかった。

緊張が一気に抜け、安堵のあまり笑いが止まらなくなった裕生はベッドの横に座り込んだ。シーツの上に上半身を伏せて、身体を震わせながら笑い続ける。未祥は戸惑った顔で、子供の様に口をとがらせた。

「めっ……め、目も……違うよ。髪だけじゃなくて、目の色も変わってる」

ヒィ、ヒィ、と息を途切らせながら裕生は未祥に言った。「ええ!?」と未祥は声を上げ、鏡を見ようと部屋の中を見回す。

いつの間にかいなくなっていた茉菜が、パジャマを手に持って部屋に入ってくる。茉菜からパジャマを受け取った未祥は、お礼を言ってから大急ぎでパジャマの上だけ着た。