第百三十三話

「楓ちゃん、おちょこあるかな? なかったら小さいお皿でもいいわ」

「見てきます」

楓は台所へ急ぎ、茉菜は一升瓶のふたを開ける。未祥と可畏は緊張した面持ちで立っていた。楓がパタパタとキッチンから戻ってきた。

「ごめんなさい。見当たらなかったから小皿にしました」

楓が持ってきたのは、平べったくて小さな、白い皿だった。茉菜は「なかなかいいじゃない。ほんとは小、中、大の盃を使うんだけど、一つで済ませちゃいましょう」と言って受け取った皿を可畏に渡す。

可畏は両手を出して皿を押し頂いた。茉菜が瓶から直接酒を注ごうとして、動きを止めた。

「やっぱりここは、光くんにやってもらった方がいいかな。夜衆の筆頭だし」

「いや、それなら適任者がいる。神主の血を引く志門がいいだろう。よろしく頼む」

志門はびっくりして目をパチクリさせた。神主の血を引いてはいるが、父親はサラリーマンだし、自分には宮司としての知識などない。一瞬断ろうと思ったが、ここで譲り合いをしても時間を喰うだけだろう。志門は茉菜から一升瓶を受け取った。

「ほんとは祝詞でも唱えられるといいんですが、知識がなくてすみません。では……お二人の結婚を祝して」

志門は可畏の持つ小皿に酒を注いだ。茉菜の指示に従って、可畏と未祥はかなりいい加減な三献の儀を行う。未祥は最後の盃で初めてお酒を味わった。ほんの少しだけ口をつけただけだが、ホワリと甘く、体が温まった気がした。

「おめでとう」と光が言った。一同が一斉に拍手をする。未祥の目から涙が落ちた。自分はあと少しで赤ん坊になってしまうのに、みんなは一言もそのことには触れず、本当の結婚式の様に祝福してくれる。「ありがとう」と未祥と可畏はお礼を言った。それぞれの目に、涙が光る。

「光さん」

未祥は光の前に出た。鼻を赤くした光は、涙をこらえて未祥を見る。未祥は意を決して、胸につかえていたことを光に伝えた。

「おじいさんを、助けられなくてごめんなさい。あたしにもっと力があれば、殺された人を生き返らせることが出来たのかもしれません。おじいさんが火の中に入らないように祈ったんですが……その願いは叶いませんでした。比丘尼でありながら、中途半端な力しかなくて……情けないです」

申し訳なさそうに涙を溜めて自分を見上げる未祥を、光は何とも言えない顔で見返した。志門を見て、また未祥に視線を戻す。光は苦笑して未祥に言った。

「まったく……お前たち若いもんは何でも自分のせいだと思うんだな。自己責任、自己責任と大人が言いすぎるのかもしれんな。そう言いながら、責任を負いたがらない奴が多い世の中だが、お前たちはちゃんと引き受けようとしてくれてる。立派なもんだ。

いいか、未祥。じいちゃんは自分の意志で動いた。例え神様といえど、人の心が決めたことをくつがえすことは不可能なんだと思う。そして死んだものを生き返らせることもな。未祥は良くやった。金銀財宝を授けるより、みんなの命を守ってくれた方がどれほど価値のあることか……。

親父が、ありがとうと伝えてくれと言っていた。俺もお前に感謝してる。お前が刀利の比丘尼でいてくれて、本当に良かったと思ってる」

光は言い終わると、微笑んだ。光の目から、涙がポロリと落ちる。「光さん……」と言って言葉に詰まり、未祥は右手を差し出した。光は大きな手で未祥の手を握った。

息を吸い上げる激しい嗚咽が聞こえ、未祥は裕生に目をやった。裕生は顔を両手で覆ってしゃくりあげながら泣いていた。未祥は裕生に近づき、親友を抱きしめた。裕生も未祥を抱きよせ、少し離れてから手を取る。未祥≠ニして手を握ることはこれが最後だと思うと、裕生は胸を締め付けられた。しっかり未祥の目を見て、裕生は言った。

「未祥……あたしたち、ずっと友達だよね」

「うん」

「ずっと──親友だよね」

「うん」

「あたしさ、未祥に会うまで親友なんていなかったんだ。それでもいいんだって、強がってきたけど、やっぱり仲良しがいる子を見ると、すごく羨ましかった。未祥があたしに、友達の大切さを教えてくれた。これからも未祥はあたしの、大事な親友だからね」

「うん……。あたしもだよ、裕生ちゃん。ありがとう」

未祥は涙を流しながら、微笑んで裕生を見た。裕生もなんとか笑みらしきものを返す。お互いギュッと手を握り合ってから、離した。未祥は次に志門の方を向く。

「志門くん、今まで色々助けてくれて本当にありがとう」

未祥は志門にも手を差し出した。「オレはなんにもしてないよ」と答えて志門は未祥の手を握った。手を離してから何か言おうとしたが、どんな言葉も似つかわしくない気がした。志門は涙の溢れる目で未祥をしっかり見つめた。ドレスを着た未祥は、お姫様の様だった。

「すごく、綺麗だよ。結婚おめでとう」

志門はそれだけ言うと、ニッと笑った。未祥も目を細めて微笑み返す。志門の横に、楓が来た。腕にはぐっすり眠るらいらを抱いている。

「楓さん、あたしたち姉妹になったんですよね」

未祥が楓に向き直り、言った。

「そうね。あたしの方が年上だけど、妹ね」

お互い籍は入れていないが、楓は余計なことは言わなかった。涙を溜めた目で、未祥に優しく笑い返す。

「楓さん、らいらちゃんと元気でいてください。らいらちゃんは、あたしの希望の光りです」