第百三十一話

「──光。もういい」

光の前に出て、向かい合いながら光の肩をつかんだのは正高だった。光は涙に濡れた顔で父を見た。父もまた、流れる涙に頬を濡らし、息子の目を見る。

「親父は、自分を裁いたんだ。親父は高川さんを殺した。北野さんも高川さんも、さっきの霧では生き返らなかった。つらかったんだと思う。自分を、許せなかったんだ。純はこの先も何をするか分からない。だから一緒に連れて行ったんだ。逝かせてやろう。親父が選んだ道だ。あれで、良かったんだよ」

光は返す言葉もなく立ち尽くした。幼い頃から厳しく、優しく自分を導いてくれた祖父の顔を思い出す。

刀利は美しいだろう? と祖父はよく言った。豊かな自然と美しい水。鬼はずっと、この土地を守ってきた。土地というのは、愛する人がいないと廃れてしまう。この土地を慈しみ、次の世代へと繋げていってくれ。お前は未来へと続く、大切な懸け橋なんだよ……。

「う……ううぅ……っ」

光は父の羽織の袖を握り、声を震わせて泣く。正高は息子を抱きしめた。光は思う。祖父とは意見が合わず、対立したままの別れとなってしまった。でも祖父が純を連れて行ったのは、光の思いを受け入れ、認めてくれた証拠に思える。

古くから続くこの村も、変化の時がきたのだ。多聞のいない新しい刀利を、じいちゃんは俺に託してくれた。俺はその結果がどうなろうと、この目で見届けなければならない。

「あっ、火が!」

志門が城を見上げて言った。直後、ボォッと二階の窓から火が噴きだす。ウー、カンカンカン……という消防車のサイレンが遠くから聞こえてきた。

ギシギシと建物が軋み、わぁああ……んという音が混ざった。それは人間の悲鳴のようだった。未祥は肩に腕を回す可畏にしがみついた。おあぁぁああ……と響くのは、純の声に思えた。多聞家最後の当主の、断末魔の叫び。

うあああ、いやだ、離せ、いやだぁ──っ……

その声は唐突に途絶えた。ドドドッとまた壁が崩れる。気の遠くなるほど長い月日をかけて比丘尼達を閉じ込めてきた多聞家は、燃え盛る火に飲み込まれ、ついに終焉の時を迎えた。

「さぁ、おれたちも行こう。消防車の邪魔になる」

正高が息子とみんなを促した。可畏は未祥をまた腕に抱き上げる。光は茉菜の手を握り、「こっちだ」と言って土塀の前に停めてある羅威の車へと一同を導く。未祥は可畏の肩越しに、崩れていく多聞家を見つめた。途絶えたはずの純の叫びが、まだ耳に残っている。

ああぁ……ああぁ……ぁあぁ……。

その声は大きくなり、小さくなり、未祥の耳に届く。胸が潰れそうなあの声は、純ではなく今までの比丘尼達のものかもしれない。やがてその声も、崩れ落ちる家屋の音とサイレンに紛れた。煙と共に夜の空へと舞いあがり、高く、細く、消えていった。




ペンションは深い闇と、凍りそうな静けさに包まれていた。

「……そうか、まだ燃えてるのか。山火事は? ……大丈夫か。それは良かった。……ああ……うん。茉菜はさっき着いたよ。未祥は今、着替えてる。……挨拶? そんなもんいらん。二人の時間はあと一時間半だぞ。……わかった。伝えとくよ。また何かあったら連絡くれ。じゃあな」

光は父との電話を切ると、ふー、と息を吐いた。羅威のペンションの一階で、光はキッチンカウンターの前にある椅子に座っていた。

多聞家から羅威の車に乗って、直接ペンションへと戻ってきた。一緒に来たのは、未祥と可畏、志門と裕生だ。正高は拓己の車に乗り、腰の抜けた村人と共に拓己の運転で役場まで行った。茉菜は自分の軽自動車に乗りこみ、一度自宅に戻ってからペンションに先程到着した。

茉菜が持ってきたものをみて、光は呆気にとられた。「それを未祥に着せるのか?」と訊いたら、「もちろん。女の子の夢でしょ? 花嫁はこれを着てから初夜を迎えるのよ」と言い切った。今は別室で、女性陣はこもって準備をしている。

光は携帯電話をテーブルの上に置いた。カチャリと音がして、バスルームへ続くドアが開いた。出てきたのは志門だった。

「おう、少しはサッパリしたか?」

ペンションに着いた時、楓が見た五人は煤と灰だらけだった。癒しの霧のお蔭で傷のあるものはいなかったが、肉体的な痛みではなく、心の痛みでそれぞれが疲労困憊していた。

一人一人の疲れ切った様子を見て、楓は酷く心配した。誰かが帰ってくるかもしれないと思っていた楓は、軽い食事と風呂の用意もしていてくれた。着物を雑に来ていた未祥の身体は、誰よりも冷え切っていた。一番に風呂を使わせてもらい、純に触られた体を死に物狂いで洗った。

風呂から出たら、ペンションのパジャマに着替えた。服はコートからすべて多聞家に置いてきてしまったため、今頃は燃えて灰になっているだろう。

あの服、気に入ってたのにな、と未祥は残念に思った。自分が人生の最後に着る服は、パジャマなんだ……と気付いたら、なんだか寂しくもあり、滑稽にも思えた。

可畏が未祥の次に風呂に入っている時、茉菜がペンションに来た。茉菜が手にしていたのは、自身で着るために用意しておいたウェディングドレスだった。二度目だから色つきでごめんね、と茉菜は言った。

薄紫色のドレスは、派手な装飾のないシンプルなものだったが、流れるようなスカートのラインが美しい。憧れのウェディングドレスを目にして、未祥は感激のあまり涙ぐんだ。

寸法を直して、髪も整えましょう、と茉菜に言われ、別室に移動することになった。料理だけでなく、裁縫も得意な楓も一緒に別室に移った。裕生は大急ぎで風呂に入り、楓の後を追いかけた。らいらは光達と同じ部屋のベビーベッドで眠っている。

可畏はドレスに合うスーツでもないかと、羅威の部屋を探っている。光も風呂に入り、最後に入浴した志門が今、出てきたところだった。