第百三十話

木のはぜる音と、サイレンと玉砂利を踏みしだく音がぶつかり合う中、光は大声で茉菜に頼んだ。茉菜は携帯電話を取り出し、朝さんの番号を呼び出して光に渡す。

「はいよ」

ワンコールで朝さんが出てくれたので、光は勢い込んで話し出した。

「朝さん! 放送なんだが、けが人の運搬は必要なくなった。みんな元気になっちまったんだ」

「はぁ、なんだって!?」

「信じられんと思うが、未祥が──比丘尼が祈ったら全員、怪我が治ったんだよ。ここにいた人たちは、今、自分の足でそっちに向かってる。放送よりも、役場に集まる人たちをまとめてほしいんだ。

じきに消防車と救急車が到着するから、邪魔にならないように公民館にでも押し込んどいてくれ。もう少しで消防団長のヤスさんもそこに着く。ヤスさんには団員を集めて消火に回るように言ってくれると助かる。

多聞家は他の民家から離れてるから、住民の避難は特に必要ないだろう。ただ、強い風が吹き出したら向きに注意してくれ。山火事になったら大ごとだからな」

「わかった。とにかく、みんなが元気になったなら安心だ。光、お前もこっちに来るんだろう?」

「いや、俺は可畏と未祥を連れて村を出る。二人にはもう、時間がないんだ。落ち着いた場所で一緒にいさせてやりたい。救急隊への言い訳は、親父と朝さんに任せるよ。あと、純がまたバカなことを言い出さないように、どこかに閉じ込めておいて欲しい」

「純? なんとあいつもよみがえったのか?」

「ああ、不本意だがな。気は失ってるみたいだけど、多分ケガは治っている。じいちゃんが背負ってるから、今のうちに猿ぐつわを噛ませて紐で縛っておくよ。じゃあ、あとはよろしく頼む」

光は電話を切った。話している間に、村人たちの避難はあらかた済んでいた。行列は多聞家の門を抜けて、無事役場に向かったようだ。後方の、腰の抜けた村人を支えながら歩く拓己と正高が、光の近くまで来ていた。最後尾の可畏と未祥の所へ、志門と裕生が駆け寄っている。

光は茉菜の肩を抱き寄せ、近くにいるはずの祖父と純を探した。ガラガラと瓦が滑り落ちる音が、鳴り響く警鐘の音に混じる。この調子で燃えたら、消防車が来るころには燃えるものが残っていない可能性が高いな、と光は思った。

ガシャ、ガシャッと音がして、上から降ってきた瓦が地面の玉砂利にぶち当たる。今や特大のかがり火となった多聞邸が、明々として煙った景色を照らし出した。

「──だめ……」

未祥の声が耳元で聞こえ、可畏は足を止めた。未祥は可畏に抱き上げられ、肩に手を回して後ろを見ていた。

「ダメです! いけない、それはだめっ」

叫んだ未祥が、いきなり可畏の腕から降りようともがく。さっきの霧は未祥の身体に回った薬も解毒していたので、怠さはもう消えていた。

「どうしたんだ?」

可畏は裸足の未祥をそっと玉砂利の上に降ろす。未祥は降りてすぐ、多聞家の方へ向かおうとした。可畏は慌てて未祥の腕を取って止め、燃え盛りながら徐々に崩れていく城を振り返った。

夜の闇をたっぷり味わおうとするように、大きな炎の舌が蠢きながら辺りを明るく変えている。煙の幕が視界を邪魔する中、多聞家の玄関前に立つ影を可畏は認めた。可畏はゾッとして目を見張る。その影は、多聞家に入ろうと玄関の戸を開けていた。

「じいちゃん!?」

光が悲鳴に近い声を上げる。探していた祖父は、純を背負ったまま玄関口に残っていた。みんなと一緒に避難してきたと思っていたのに、祖父は最初から動いていなかったのだ。

「やめて! 行かないでっ」

未祥が可畏の手を振りほどこうとして暴れた。「親父っ」と叫びながら正高もやってくる。

オオオォ……ン……、という低い鳴き声のような音が、夜のしじまを揺るがした。ついに炎が城の支柱を侵蝕し、多聞家の歴史と共に建物を崩壊させようと勢いを更に増したようだ。城の鳴き声は、広場に残る者たちの心胆を寒からしめる。老人は純を連れて崩れ落ちようとする多聞邸へ入ろうとしている。その理由は、一つしかなかった。

「お願い、やめてぇ!」

未祥の悲痛な叫びに、老人は振り返った。未祥を押さえていた可畏は、自分が助けに行こうと前に一歩出る。光も志門も、ガシャガシャと瓦が降り注ぐ広場に出ようとした。そこで老人が右手をあげた。来るな、という合図だった。

老人は真っ直ぐ、未祥を見た。玄関から五十メートルは離れていて、煙も視界を邪魔したが、未祥は老人が自分を見つめていると分かった。光の祖父は未祥に向かい、微笑んだ。そして深々と頭を下げた。

一陣の風が吹き、渦巻く煙が老人と純の姿を隠す。熱風が未祥の頬をかすめた。ドォン……と音が響き、城の最上階が柱を残して崩れ落ちた。煙が方向を変え、視界が戻る。玄関の前には、老人の姿はなかった。

「じいちゃん、じいちゃん、じいちゃんっ!」

光は声を限りに、祖父を呼んだ。光の身体を背中から、茉菜が必死で抱き留める。炎も煙も多聞家を燃やし尽くそうと猛り狂っている。

あんな中に飛び込んで行っても、助けることは不可能だと思えた。無理に行けば光自身が死んでしまう。茉菜は涙を流して、愛する光を引きとめた。