第百二十三話

「おやぁ? こいつ、素手で戦う気だぜ」

クク、とバカにしたように笑いながら赤鬼が言った。

「マジかよ。こっちは四人だぜ、敵うわけないじゃん」

「ようし、じゃあハンデをやろう。お前ら、槍は捨てろ。俺らも素手でやったろうぜ。こんなガキ一人に四人なんだ。どっちみちこっちが有利だろ」

へへへ、と笑い声をあげ、後輩たちは槍を地面に置いた。先輩の青鬼もゆっくり槍を手放す。志門は更に低く構えた。体には闘志がみなぎっていて、負ける気は一切しなかった。

まず筋肉質な赤鬼が、志門に向けてパンチを繰り出した。志門は頭を下げて回避する。左足を軸に反動をつけて右足で赤鬼を蹴りつけた。志門の足はガタイのいい男の腹にドカッとめり込む。「げほっ」を赤鬼は息を吐くと、その場に腹ばいになって倒れた。

志門は突きと蹴りで次々と鬼を倒して行った。四人は門兵に選ばれただけあって、体も大きく力もあったが、いかんせん相手を倒す技能が足りず、敏捷な志門の動きに歯が立たなかった。

「すごい、あなた強いのね」

またたくまに静かになった門の前で、茉菜が感心して言った。朝さんは目を丸くして志門を見た後、冷たい視線で倒れた鬼たちを一瞥した。

「大したもんだ。こいつらは体がデカいというだけで威張りくさってたから、お蔭でスッキリしたよ。これで身の程が分かっただろう」

志門は朝さんの褒め言葉を無言で受け取り、二人に言った。

「オレはこれから門の中の様子を見てきます。お二人は車の中にいた方がいい。他の鬼が襲ってきたら逃げて下さい!」

言った途端、志門は門の中を目指して走り出した。あっという間に門の向こうへ行ってしまった志門を呆然と見送った後、残された二人は顔を合わせた。「どうする?」と朝さんが茉菜に訊く。

「あたしは行くわ。光くんに会いたいの」

「こりゃあ、ごちそうさまだな。ほんじゃ、おれもいくか」

二人は並んで、かがり火に照らされて浮かび上がる多聞家に向かい、歩き出した。



揺れている。

表面に浮き上がってくる意識の中で、未祥は自分がある一定のリズムで揺れているのが分かった。ぼんやりと、自分は誰かに抱えられていて、その人が歩いているのかもしれないと思う。

未祥の全身は指の先まで怠かった。手の指を動かそうと思うのに、指の一本一本が地面に吸い寄せられているようで、重くて動かせない。そんな状態のなか、ある一つの痛みの存在だけは無視することが出来なかった。

脚の間が痛い……。

それは未祥にとって、胸が張り裂けて穴が空いてしまったのかと思うほど、残酷なむなしさを呼び起こす痛みだった。あたしは処女を失ったんだ……と自覚する。眠らされている間に、純によって破瓜(はか)されてしまった──

未祥の心は絶望の暗闇でたゆたった。

もう、どうしようもない。あたしは後少しで違う人間として生まれ変わるんだ。ごめんね、可畏。こんなことなら可畏と結ばれれば良かった。あたしという存在が泡となって消えてしまうなら、せめて愛する人に初めてを捧げてから逝きたかったのに。

未祥の頬に冷たい風があたった。今までと違い、周りの空気に動きを感じる。未祥は自分を抱いて運んでいる人が外に出たんだ、と思った。冬の外気は意識を取り戻すのに役立ったが、未祥は目覚めるのを拒否した。

このまま死んでしまいたい。可畏以外の男に犯されたあたしなど、二度と起きることのないまま消滅してしまえばいいんだ。

未祥は自分自身の奥深くに、自らの心を押し隠した。もし人間が意志の力で死ねるなら、この身体から抜け出て遠くへ行ってしまいたかった。

「ダメ!」

突然、未祥の頭の中に声が響き渡った。深く沈んで失いそうになっていた意識が、その声で起き上がってくる。それは女性の声だった。未祥の心にある映像が蘇る。

手毬を持つ振袖の少女……。可畏の腕の中で見た、夢の中の囚われの乙女。ひとを愛したことで、喜びと哀しみを知り、心≠持つことが出来た自分とそっくりの女の子。

あの子は祥那だ、と未祥は気付いた。背の高い鬼を……聡おじさんを想って、湧き上がる涙を抑えきれず自らの境遇を嘆いていたのは、先代の比丘尼だったのだ。

あの夢で祥那が口を開き、伝えようとした言葉が今、耳に届いた。光速に追いつけなかった音速の声が、時間を経てやっと届いたような感覚──。

「ダメよ!」とその声は続ける。未祥の頭の中に祥那の声が、今度ははっきりとした言葉となり震えを帯びて反響した。

「諦めてはダメ。負けては駄目よ。大きな変化に悲劇は付いてくるもの。私があなたと可畏に託した、伝説の破壊の完成≠ヘもうすぐ。可畏は既に大鬼王の権化を成し遂げた。大鬼王は容赦がない。

今、可畏は大鬼王からの支配をギリギリで拒絶し、羅威がそれを助けてる。あとは貴女よ。目覚めて可畏を止めなさい。答えは自ら見つけ、手にしなければならないの。私が言えるのはここまで。さぁ、恐れずに目を開けて。早く!」

切羽詰まったその声は、唐突に途切れた。スゥッと祥那の存在が遠くへ薄れていく。未祥の瞼が動いた。でもまだ目は開けられない。体の重さはさっきより少しマシになった程度だ。

未祥を抱いている人が歩みを止めた。その人がヒュッと息を飲みこむ。未祥を抱く腕が細かく震えだした。