第百二十話

「純、お前も服を着て一緒に来い」

光に言われ、純は真っ赤になった顔を上げた。憤慨も顕わに反論する。

「冗談じゃない。なぜ僕が行かなきゃならない? あんまり調子に乗るなよ。お前は鬼なんだ。鬼は多聞の云う事に従うんだ。可畏を倒してこい。天夜叉のお前になら出来るだろう。あいつさえいなければ、何もかも元通りになるんだ!」

「元通り、だと──?」

光は座り込む純と向き合った。憤懣やるかたない、という顔で純を見る。純は負けじと光を睨む。光は上体を折って純に顔を近づけた。胸ぐらをつかんで持ち上げてやりたいが、相手が裸なので出来ない。光は眼力だけで純を捕えて怒りをぶつけた。

「いつまで寝言いってんだ? 金と女と権力が手に入ると思って、のぼせ上ってんのか? 元も何も、最初からこの伝説は間違ってんだよ。言い伝えなんかクソ喰らえだ。

お前は可畏に会うんだ。会って、自分のしたことをその目で見ろ。愛する女を奪われた男がどうなるか、その目に焼き付けるがいい。未祥は可畏に還す。もう二人の時間は残り少ない。拓己、親父!」

光は上体を起こすと振り返った。光に呼ばれた二人はビクッとして姿勢を正す。

「純に服を着せて、猿ぐつわをかませてくれ。そして下まで引っ張って行ってほしい。俺は未祥を連れて行く」

光は未祥と裕生の所へ行った。裕生は未祥に長襦袢を着せているところだった。意識がない状態なので上手く着せることが出来ず、着物の前合わせの部分がよれよれになってしまう。

光が伊達締めを結ぶのを手伝った。薄桃色の長襦袢を着せられた未祥は、こんな時なのに妙になまめかしく、艶めいて見えた。

「普通の服が見当たらないんです。着物だけが布団の横に置いてあったから……」

裕生が涙声で光に言った。光は裕生の肩を一つ叩いて励ました。それから未祥の体の下に両手を差し込み、腕に抱きあげると立ち上がった。裕生が牡丹の柄の振袖を、光に抱かれた未祥に掛ける。外は寒いので、長襦袢だけでは未祥が凍えてしまうと思ったからだ。

純の方を確認すると、拓己と正高が四苦八苦しながら、暴れる純に服を着せているところだった。純は最初「やめろ、触るなっ」とわめいていたので、正高が懐にしまっておいた日本手ぬぐいで、あらかじめ猿ぐつわを噛ませていた。これで純は鬼に命令することが出来なくなった。

「俺達は先に行く。純を連れて後から来てくれ」

光は父親と拓己に言い残し、寝所を出て控えの間に入った。裕生が光の後に続く。裕生は光に付いて階段を下り、自分がいた四季の部屋の前を通り過ぎた。その先も廊下は入り組んでいて、比丘尼が閉じ込められていた部屋は分かりにくい場所にあったのだと分かった。

寝所では純に服を無理やり着せた正高と拓己が、両脇から純の腕をつかんで歩かせ始めた。純は必死で抵抗したが、小柄な純が背の高い鬼ふたりにかなう術はなかった。腕の傷の痛みも手伝って、暴れるのも苦痛になってきたようだ。目だけを悔しさでギラギラと光らせ、引きずられるように純は外に向かって歩いていく。

無人になった寝所では、倒れた行燈から煙が立ち上っているだけだった。煙は立ち去る人々に手を振るようにユラユラと揺れていた。細かったその煙は徐々に勢いを増し、太く黒く揺蕩い始めた。



志門は純が猿ぐつわを噛まされて命令が出来なくなったのを見届けると、急いで外に向かって宙を走った。光の父親が言っていた可畏の様子が気がかりだった。志門は真っ直ぐ自分の身体に戻らず、少し様子を見ることにした。

飛びながら志門の魂は悲鳴を上げていた。
間に合わなかった……! 

未祥ちゃんは生まれ変わってしまう。あと数時間で再生が始まるなんて──。でもそれなら、一刻も早く可畏さんと未祥ちゃんを一緒にさせてあげたい。純は捕まったし、そう簡単に鬼たちに命令出来ないだろう。村の老人たちは可畏さんと未祥ちゃんのことをどう思うか知らないが、それこそクソ喰らえだ。

志門の意識が城の外に出た時、まず感じたのは畏怖だった。志門に今、肉体はないものの、まさに全身の血の気が引く様な、異様な空気が漂っている。

冬の夜の空気は凍てつく冷たさだが、ただ単に気温が低いのとは違う、すくみ上るような冷気を感じ取った。行きたくない、と志門は思った。多聞家の門の方には、近寄ってはいけない何かがいる。志門は自分の神経が、警戒の赤ランプを点滅させているような気がした。

それでも志門はそこへ向かった。可畏が来ているのなら様子を見てから体に戻り、加勢しに行きたかった。空を切り、恐れる心を押さえつけ、志門は多聞家の玄関前に広がる玉砂利が敷かれた場所まで行った。

俯瞰する志門はまず村人に囲まれる可畏を確認した。村人は老いも若きも総勢四、五十名はいるだろうか。みんなは体を低く構えて、たったひとりの敵と向き合っていた。

可畏は正高の言った通り、手にパイプかと思われる長い棒を持っていた。スラリと背の高い均整のとれた体を特に構えることもなく、脚を開いて村人たちの前に立っている。来ている服は所々が破けていた。その可畏から、ただならぬエネルギーが発散されている。強烈な圧力を放つ冷気を含んだパワー。

なんだあれは……と志門は思った。今まで可畏からあんな奇妙な波動を感じたことはない。それにおかしいのは、そのエネルギーだけではなかった。志門の眼から、可畏の姿がブレて見える。壊れたテレビの画像を見ているように、変にダブって見えるのだ。

可畏のいる場所に、もう一人薄く透けた可畏が重なって立っている。

可畏が二人いる……?
二人の可畏。ふたり……双子──