第百十五話

脚の前で組んだ裕生の手が、ブルブル震えだした。あたしのせいだ。あたしのせいで未祥がいなくなるかもしれない。

初めて出来た大切な親友。可愛くて、でもそれを全然鼻にかけてなくて、逆に引っ込み思案な未祥。ちょっとボンヤリしてるとこもあって、気を付けてあげてないと海原みたいな女にいじめられてしまう。

また一緒に学校に行けると思ってた。刀利村のことが一段落したら、普通の生活に戻れるって信じてた。それなのに……未祥!

裕生は膝を抱え込んで、嗚咽を上げ始めた。恐ろしさにあまり、どうしたらいいのか全く分からなくなった。頭のどこかで、自分が完全にパニックに陥っていると分かっていた。それでも、どうすることも出来なかった。涙だけがあとからあとから湧いてくる。

その時、ポケットで携帯が震えた。ブー、ブー、と鳴る聞きなれた音に、裕生は我に返った。ショートパンツの左ポケットから二つ折りの携帯を取り出し、急いで開いた。090から始まる携帯の電話番号が表示されている。

自分の電話帳には登録されていない人からだ。裕生はゴクリと唾を飲みこみ、通話ボタンを押した。携帯を耳に当てると「裕生!」という志門の声が聞こえた。

「志門! ほ、ほんとに志門なの?」

「ああ、オレだよ。良かった、無事で! オレは茉菜さんから借りた携帯でかけてる。オレのは充電切れなんだ。お前、今どこにいる?」

「それが……よく分かんないの。さっき目が覚めたばっかりだから。なんかすっごく高そうな部屋にいる」

「ひとりか?」

「うん、誰もこの部屋にはいない」

「多分そこは多聞の屋敷だ。オレは今、茉菜さんと朝さんって人と、そこに向かってる。オレたちは純に騙された。純は最初から戟を奪って未祥ちゃんを閉じ込めようとしてたんだ。

可畏さんとは連絡が取れない。さっきから携帯にかけてるんだけど出ないんだ。いいか、裕生。そこを動くんじゃないぞ。多聞家の中は敵だらけだ。必ずオレが助けに行くから動かないで待っててくれ。

誰か来たら、寝たふりをした方がいい。今の時点でお前に何も危害を加えてないのは、眠ってたからだと思う。そのまま気付かないふりをしていれば、放っといてくれるかもしれない。オレ達はすぐにつく。落ち着いて待ってるんだぞ」

「う、うん、分かった」

「よし、じゃあ切るぞ」

「うん、志門も気を付けて!」

「サンキュ、肝に銘じるよ」

電話は切れた。裕生はふーっと息を吐いた。志門の声を聴いて、落ち着きを取り戻せた。騙していたのは純だったんだ。なんてことだろう。明るくていい人そうに見えたのに──。

ではあの純が今、戟の所有者なのだろうか。裕生は人懐こそうな純の笑顔を思い出し、うなじから背中に冷気がつたい下りていく感覚に見舞われた。

どちらにしても、可畏さん以外の人間が戟を持っていることに変わりはない。あいつが戟の所有者なら、一緒にいる光さんは命令に逆らえないはず。志門も一緒にいたけど、どうやってか逃げ出したんだ。未祥は確実に捕まっている。あたしがこうしている間にも、純が未祥を襲うかもしれない。

裕生は横に置いた刀を握った。ここが多聞家となると、未祥はここにいるはずだ。純は執拗に比丘尼は多聞家に入らなければならない、と繰り返していた。ならばあいつはこの家のどこかの部屋に未祥を閉じ込めているに違いない。

裕生は刀を握りしめ、立ち上がった。未祥を探そう。志門は動くなと言ったけど、この家の中がみんな敵だったら志門だって簡単に侵入できるか分からない。グズグズしていたら未祥が危ない。

裕生は刀を見た。こんなもの今まで触ったこともないし、剣道部でもないから剣の扱いなど分からない。それでも何もないよりマシだろう。裕生はズボンのベルトに鞘ごと刀を差しこんだ。両手を空けた状態にして、足音を立てないように襖の前まで移動する。

ゆっくり襖を開け、顔だけで外を覗いてみる。そこは廊下だった。明るさを抑えた電気が、長い板張りの廊下を照らし出している。廊下の壁に窓はなかった。ひとの声もしないから、この部屋は家の奥の方にあるのかもしれない。

裕生は廊下に出て、きっちり襖を閉めた。左右を見渡し、廊下のどんつきを確認する。一見して右側の廊下の方が、突き当りが遠かった。裕生のいた部屋の襖の絵はススキで、右隣の襖は青葉の繁る樹木の絵だ。左隣は墨絵のような雪景色だった。

左側の奥にはそれ以上部屋はなく、廊下の曲がり角になっている。裕生は右側に進んだ。青葉の絵の奥の部屋は、襖に梅と桜の花が描かれている。春夏秋冬、四つの続き部屋の、秋に当たる部屋に寝かされていたと裕生は理解した。

春の部屋の前を通り過ぎ、廊下の突き当たりの角を右に曲がった。左側は壁だったので、右に行くしかない。右に折れた先は階段だった。上に向かう木の登り階段が見える。

裕生は無意識に息を止め、片足を階段に乗せた。ギィギィ音がしたら厭だな、と思ったが、木の階段は静かに裕生を乗せてくれた。ホッとしてそのまま上に向かう。きっとあたしの体重が思ったより軽いから音がしないんだ、と裕生は思うことにした。

階段の上もさっきと同じで左側が壁だった。裕生は右に曲がった先を覗こうと、そっと顔を出した。途端に何かが目の前に来て、それとぶつかりそうになった。裕生は急いで後ろに下がり、階段を一段降りる。

階段の上には着物姿の男性が立っていた。大きく目を見開いて裕生を見ている。