第百十三話

パン! という音と同時に可畏の頬を何かが掠った。自らの熱に気を取られていた可畏は驚いて目を上げた。

ところどころに建つ村の家々に通じる、古びたアスファルトの道の途上に、二十人以上の村人が集っていた。先頭に立った中年の男が猟銃の銃口をこちらに向けている。

「チ、外した」と銃を持つ男が言った。

「もう一度狙えっ」

男の後ろから声が掛かる。集まった男たちはそれぞれにクワやスキなどの農機具や、麺棒のような長い棒状の武器を持っていた。中にはチェーンソーを抱えている者もいる。

「早くやれ! こいつの親父が村から比丘尼を奪ったんだぞ。恵み≠ェなくなったのはこいつのせいだっ」

「そうだ、そうだっ。比丘尼に恋人はいらない。こいつさえ消せば村は安全になると多聞様には言ってた。早く殺しちまえ!」

「殺せ!」

殺せ! 殺せ! 殺せ!

興奮で錯乱状態になった村人たちの声が、民家の少ない閑散とした村の風景に広がって散った。パン、パン! と今度は続けて銃声が鳴る。可畏の右耳と右の二の腕に鋭く熱い弾丸がかすめる。ジャケットの袖が切れて、腕から血が流れるのが分かった。

「かかれぇ!」

猟銃の男の掛け声と共に、村人が一斉に可畏に向かって走ってくる。懐中電灯の光が交錯する。電灯を持つ人の動きに合わせて光があちこちに飛んだ。可畏の目の前で一つ一つの輝きと殺意がミラーボールのように反射し合った。それと同時に、可畏の胸の真ん中で溜まっていた熱がスパークした。

『行こうぜ、兄さん』

耳の奥で、羅威の声がした。もう止められなかった。可畏は胸の真ん中で熱く脈打つ烙印の力をついに解放した。

まず可畏に向かって迫っていた先頭の五人が、いきなり後ろに吹き飛ばされた。その五人は爆風にでも見舞われたかの如く、一瞬体が浮いた。その状態のまま前から弾かれたように後ろに飛ばされ、後続の村人にぶち当たりながら仰向けで倒れこんだ。

「うわあっ」「痛ぇ!」と次々に声が上がる。目の前の可畏は先陣の五人に向けて、鉄パイプを横に振りきった状態で姿勢を止めていた。

後続の錯乱した村人数人が、仲間の様子などお構いなしに可畏に突進する。可畏は先ほどと同じように、迫ってくる男達に向けて鉄パイプを横に薙ぎ払った。男たちは先陣の五人とまったく同じ運命に会った。

可畏は鉄パイプを勢いよく振っただけなのに、数人が同時に後方へ弾き飛ばされたのだ。悲鳴と共にドドッと音を立てて後ろの仲間に背中を当て、男たちは倒れて天を仰いだ。瞬く間に攻撃してきた半数以上の男が倒された。

一番後続についていた七人が驚愕の表情で前を見る。足元には今しがたまで殺せ≠ニ息巻いていた村の仲間が、うめきながら横たわっている。ことの異常さに気付いた七人は、全身を強張らせて対峙する人物に目をやった。

そこには鉄パイプの先端を下に向け、両足を開いて立つひとりの男がいた。その目──まだ倒れていない村人に注がれた男の目は、骨まで届きそうなほどの冷気を放っていた。

自分たちが追っていたのは逃亡者≠フ息子のはずだ。でも今ここに立っているのは、普通の青鬼とどこかが違う。鋭い眼光で七人を射すくめる灰色の眼。そこには慈悲などひと欠けらもなかった。可畏から漂う冷気が七人の頬を撫でる。男たちは文字通り震えあがった。

「ぅ……ヒッ……」

ひとりが声をあげ、後ろによろめいた。手に持っていたクワを取り落す。アスファルトの上に落ちたクワの柄はカラン、という乾いた音を緊迫した空間に響かせた。

「雑魚に用はない。どけ」

可畏の低い声が男たちの耳に届く。それは静かな声だったのに、爆音でも轟いたかのように村人達はのけぞった。可畏が一歩前に出た。男たちは後ろに下がる。また可畏が前に進むと、男たちは持っていた武器を放り投げた。

「うわぁ──っ」

村人たちは叫び声をあげると、後ろを向いて逃げ出した。背後に迫る何か≠ゥら逃れたくて、死に物狂いで走り続ける。その気配はものすごい圧力で追ってきた。横並びで走る七人の間に、速くて力強い物体が分け入ってくる。

七人は左右に吹き飛ばされた。四人は乾いた田んぼに、三人は道路横に沿って掘られた側溝に倒れこむ。アスファルトから田んぼに転げ落ちた内のひとりが、乾いた泥がついた顔をあげた。それ≠フ後姿が一瞬だけ目に入った。確かに人間の形はしていたが、遠ざかるスピードは尋常ではなかった。

あんなものに遭ってしまい、無事でいられたのは奇跡だ。男は思わず手を合わせ、山を拝んだ。鬼神に感謝しようとしたが、すぐにやめた。あれは鬼神がどうにか出来るしろものじゃない。自分が助かったのはあいつが俺たちに興味がなかったからだ。

あいつは城に向かっている。そこで何が起こるのか……。男は背筋が凍った。俺は今夜、城には絶対に近づかない。幸い自宅は多聞家から離れた場所にある。今日はこれからすぐ帰り、布団を被って寝てしまおう。

男はそう固く決心した。何故なら男には分かっていたからだ。さっきそこを通り過ぎた何か≠ヘもう、人でも鬼でもなかったことを──