第百十一話

フウッ、と荒々しく息を吐いて朝さんは腕を組んだ。そんな朝さんを源さんはちょっと困った顔で見ながら言った。

「仕事がいきなりなくなるっちゅうのはつらかんべ。おれはおんなし思いしたから、そのむなしさはよく分かるつもりだ。まぁでも、人間どっかで思い切らんといかんわな。立ち止まって過去を振り返るだけでは、いつか脳みそが真っ黒になっちまう。頭が固まって、他の色を受け付けなくなる。

……でも、ハァ、むつかしなぁ。黒く固まるのはイヤなもんだしな。あの人たちァ、ぶっ壊したかったんだろ。今の境遇をぶっ壊したくて、多聞に協力しちまったんだ」

源さんは同情を込めた言い方をしたが、朝さんは厳しい表情を崩さなかった。志門は朝さんの憤りも、源さんの憐みも、両方分かる気がした。でも今は他の人のことに思いを馳せている場合ではない。志門は朝さんに向かって質問した。

「その武器を持った人たちが、どこへ行ったか分かりますか?」

「ワゴン車に乗って出て行くのは見たな。街の方に向かったんだと思う。五、六人の男が『やってやる!』とか息巻いてたよ」

「──可畏さん……!」

志門の全身に鳥肌が立つ。武器を持った男達が狙っているのは可畏だ。拓己という人が羅衆の当主になったのだから、純にとって可畏は不必要な存在だ。可畏は鬼術使いだから簡単にはやられることはないと思う。でも純はどんな手を使ってでも、可畏を消そうとするだろう。

それに可畏さんは必ず村に来る。未祥ちゃんのもとに、絶対に来る。可畏さんが村へ入ったら、まさに袋のネズミになってしまう。

志門は唐突に立ち上がった。他の三人が驚いて志門を見上げる。「城に行かなきゃ」と言って動き出そうとする志門を、朝さんが慌てて立ち上がって止めた。

「離してください。可畏さんが危ない。未祥ちゃんもいつ純に襲われるか分からないんです。光さんは純の云う事に逆らえません。それに裕生……裕生が!」

「気持ちは分かるが、落ち着きなさい。城は俺が最後に見に行った時、ぐるりを警護されていた。君ひとりで行ってもすぐに捕まってしまうだろう。村の若衆の中には、いつもと違うことが起こって興奮してる奴もいる。悪者を捕まえるんだ、とかゲーム感覚で張り切ってるバカもいるんだ。集団で盛り上がってる人間は何をするか分からない。下手をすると殺されるかもしれないぞ」

朝さんに説得され、志門は歯を食いしばってうめいた。源さんも立ち上がり「朝の言う通りだ」と言って志門の背中に手を当てる。片膝立ちになった茉菜は、不安そうに胸に手を当てて志門を見ていた。やがてその手をギュッと握り締め、意を決した顔で言った。

「志門くん。今までの経緯をあたしたちに聞かせて。あたしも光くんが心配なの。城に入る方法を考えましょう。もちろん、あたしも一緒に行くわ」

毅然として三人を見ながら言う茉菜を、源さんも朝さんも困惑した顔で見た。朝さんが今度は茉菜を止めに入る。

「茉菜ちゃん、あんた女だぞ。無茶したらいかん」

「大丈夫よ。あたしだって蔵人よ。そんじょそこらの女よりずっと力があるわ。それにあたし、厭なのよ。理不尽な思いをする女の子がいることが。この村の伝説は光くんから詳しく聞いたけど、比丘尼の運命の酷さに寒気がしたわ。

あたしは自分で選んだ男と結婚して、そいつが女房を殴る最低なヤツだった。でも自分で選んだんだから、仕方がないと思ってた。そんなことはない、女を殴るなんてその男の基本的な部分が間違ってる。だからあたしだけの責任じゃない。そう思えるようになったのは、光くんと出会ってからだったの。

あたしはやり直せた。もうこの先は失敗しないように上手くやっていこうと思えた。でも比丘尼がまた多聞家で生まれ変わったら、やり直すチャンス≠キら巡ってこなくなるのよ。自分で何かを選択することも、失敗することも許されない。

あたしはそれこそ、この伝説そのものをぶっ壊したいわ。あたしにそんな力はないかもしれない。でも間違ってるものがあるなら、それを一度リセットしないと前に進めない気がするの」

志門は茉菜の言葉を聞いて、羅威のことを思い出した。確か羅威も同じようなことを言っていた気がする。伝説を壊せ≠ニ……。

もしかしたら羅威は何か知っていたのだろうか。ずっと逃げ続けたり、伝説の決まりごとを上手に回避して綱渡りの生き方をするのではなく、一度全部を破壊することが必要だと言いたかったのか? 

じっと茉菜の言うことに耳を傾けていた源さんが、突然何も言わずに後ろを向いて部屋を出て行った。襖を開け、今いる部屋の隣の部屋に入っていく。ガサゴソ何かを探す音がしたあと、源さんは三人の所へ戻ってきた。手には一升瓶を持っている。

「この酒は去年ここで造った酒だ。今までのおれの人生の中で、最高の出来栄えだったものだ。これを持ってけ。祝いの酒を届けるように頼まれた、とか適当に言えば、城の中に入れるやもしれん。杜氏の源蔵から弟子の純に送る秘蔵の酒だとでも言っておけ。本人に直接渡したいと伝えれば、屋敷の中に入れてもらえる可能性があんべ」

源さんは一升瓶を茉菜に渡した。茉菜は押し戴くようにそれを受け取った。

「ありがとう、おやっさん。このお酒は大人気だったから、もう一本も残ってないと思ってた」

「ひとりでこっそりやろうと思って隠しとったんだべ」

源さんはニィと笑う。志門は有難さに言葉もなく、無言で源さんに頭を下げた。

その後志門は手短にここに至った事態を話し、茉菜に「鬼壱」のはっぴを着せられた。同じく「鬼壱」のロゴの入ったキャップ型の帽子を被り、顔がはっきり見えないようにする。朝さんもお祝いを届ける付添いをするという形にして、三人で茉菜の黄色い軽自動車に乗り込んだ。

源さんは大事な酒蔵の管理をしなければいけない。三人は心配そうに見守る源さんに見送られて、城に向かって出発した。