第百五話

純は物事の明るい方面を見ることで、少し元気を取り戻した。一度自嘲的な微笑を浮かべると、また余裕を持って話し始める。

「僕の将来のことまで心配してくれてありがとう。君の友達を逃がす意見は、有難く参考にさせてもらうよ。恵み≠フ件も君の言う通りだ。僕は村人に新たな多聞の当主として認めてもらうためにも、君に大岩を授けてもらわなくてはならない。

その方法はまぁ……色々プランがあるよ。例えば可畏の爪を君の目の前で一本一本引き抜くとか、一つずつ目玉を潰すとか、ね。君だって苦しむ恋人を見たくないだろう? きっと、僕の望みを叶えてくれるよね」

今度は未祥がビクリと震える番だった。
──可畏……。可畏に会いたい。最後に一目でも……。

でも純はあたしが恵み≠与えたら最後、可畏に会わせることなく再生のためにあたしを抱くだろう。恵みを与えることを拒絶したら、可畏が苦痛にのた打ち回るところを見せて追い詰めるつもりだ。

そうしたらせっかく可畏に会えても、痛めつけられる可畏を見せられるだけで引き離される。それなら、このまま会わない方がいい。

あたしが恵みさえ与えてしまえば、純にとって可畏は利用価値がなくなる。可畏はきっと村を追われるだろうが、どこかで生きて天寿をまっとう出来るかもしれない。

未祥は顎を少し上に向けた。溢れてくる涙が、零れ落ちないように。純はそれを未祥の強がりだと思ったらしい。純の笑みは完全に余裕のあるものに戻った。

純は未祥の手を引くと、隣の部屋に続く襖に向かって促す。未祥は恐ろしさで震える足を、意志の力で前に出した。純の手で襖が開けられる。豪奢な襖を隔てた隣の部屋には、大きな座卓に溢れんばかりの食事が用意されていた。

その場には二人の人物がいた。羽織袴に着替えた光と拓己だった。二人は正座して部屋の隅に控えていた。光は下唇を噛みしめ、小刻みに震えながらこちらを見ていた。純の命令でそこから動けないのだろう。悔しさを目で表現することしか出来ないようで、憎しみを込めた視線を純に注いでいる。

拓己はしょんぼりと下を向いていた。痩せているせいか羽織が体に合わず、借り物の服を無理に着せられた子供のように見えた。未祥は拓己の左手の薬指に指輪が光っているのを見て取った。この新しい羅衆の当主は、既婚者であると分かった。

「二人とも、もう動いていいよ。どうぞそっちの席について。一緒にごちそうを頂こう。羅衆と夜衆の筆頭、多聞と比丘尼が一堂に会するなんて久しぶりだろうね。ただ、僕に危害を加えてはダメだよ。せっかくの素晴らしい晩餐なんだから、楽しく語り合おうよ」

光の体は金縛りが解けたように、いからせていた肩の力が抜けて緩んだ。光と拓己は言われた通り下座についた。未祥は床の間側の上座に導かれ、純は未祥の隣に座る。

純は手慣れた様子で、みんなに酒を注いで回った。光はまさに苦虫を噛み潰したという顔で純のそそぐ酒を受けた。でも口はつけない。拓己は華やかな着物を着せられた未祥をチラリと見た後は、ただ目の前にある刺身の盛り付けを見つめている。

未祥は正座して、手を腿にのせたまま動かなかった。未祥の前に置かれた盃に純は酒をつぎ、自分にも手酌でつぐと杯を上にあげる。

「それでは、村に富を与えてくれる美しい比丘尼様に乾杯。そして次に生まれる僕の≠ィひいさまにも天界の祝福がありますように」

純は微笑んでみんなを見ると、一息に盃を空けた。

「どうしたの? 食べようよ。光さん、ほら。好物の鯛の刺身があるよ。このマグロは大トロみたいだ。お酒に合うよ」

「お前は愚か者だ」

光は口をつけなかった盃を座卓の上に置いて言った。純は笑みを消して気分を害した顔で光を見る。

「この村であの伝説がよみがえるとしたら、また悲劇が繰り返されるんだぞ。比丘尼が呪われているように、多聞家も呪われているんだ。お前がこれから未祥を再生させたとしても、その次の比丘尼を奪うために、お前自身が息子に殺されることになるんだ。このサイクルが続く限り、呪いの連鎖は終わらない。お前はそれで構わんのか?」

純は目を細めて軽いため息をつく。そして頭の足りない人間に言い聞かせるような態度で光に言った。

「もちろん、それも分かってるよ。でも僕はね、有りがちな普通の人生を送るなんてまっぴらなんだ。こせこせ働いて、結婚して一人の女に縛られて、財布の中身を気にしながらチビチビ酒飲んで、気が付いたら病気持ちのジイサンになるなんてさ。

僕はねぇ、自由に生きたいんだ。もちろん仕事はするよ。自分で何か事業を立ち上げたいからね。もし失敗しても、比丘尼がいてくれれば金の心配はいらない。それにこの村にいれば、多聞様≠チてみんながあがめてくれる。

人間誰だって、面白おかしく過ごしたいと思ってるはずだよ。僕にはそのチャンスが巡ってきたんだ。楽しく、金の不安もなくやりたい放題やった後なら、自分の子供に殺されることくらい怖くないよ。だらだら生きてもしょうがないだろ? 太く、短く、愉快に生きるのが僕の夢だからね」

「──殺されるのが、怖くないだと?」

「うーん、そりゃあ、刺されるのは痛そうだけど……。ああ、それなら、こうすればいい。もういい加減楽しいことやりつくしたと思ったら、安楽死すればいいんだ。

そして子供と争うことなく、穏便に戟を渡して世代交代する。なかなかイイと思わない? やっぱりこの村の伝説も進化しなくちゃね」