第百三話

可畏は呆然として電話を耳から離した。
未祥……。未祥が再生する──

それをよけられたのは殆ど奇跡だった。考え事をして集中していた為周りに注意を払っていなかったが、父からしこまれた鬼術の勘で、後ろから振り下ろされたものを間一髪でかわした。

ヒュッと体の横を縦に風が走る。可畏は横に動き、素早く振り返った。身構えてから目に入ったのは、茶色の地味なジャンパーとグレイのズボンを穿いた中年の男性だった。男は木刀を両手に持ち、息荒く可畏を見ている。

その後ろには五人の男がいた。年齢は四十代から五十代くらいだろうか。可畏はすぐに、刀利村の人たちではないかと憶測した。髪の色は赤や青が混ざっておらず、普通の人間だと分かる。

さっきのチンピラと違って、みんな地味な格好をしていた。それぞれがバットやゴルフクラブなど、長い棒状のものを手にしている。

「北野さん、落ち着くんだ。いきなり殴っちゃ駄目だよ。一応、話をしなくちゃ」

男たちの中でも年かさの男性が、北野という木刀を持った男の前に出て、可畏と向き合った。

「あんたは覚羅可畏だね? おれ達は刀利村のもんだ。純くんの話によると、あんたが比丘尼様の想い人なんだろう? あんたには気の毒だけど、このまま帰ってくれんかね。

比丘尼様は村に必要なお方だ。これからは純……多聞様がまた比丘尼様を守って下さる。今夜にも比丘尼様は再生なさるんだ。怪我をしたくなかったら、このまま大人しく引き下がってくれ」

中年の男は立てたゴルフクラブのグリップの上に手を置いて、静かに話した。可畏は絶句して村の男たちを見返した。ひとりひとり、疲れた顔で可畏を見ている。

「あんたの親父さんが比丘尼様を連れだしたせいで、村に恵み≠ェなくなった。お蔭でおれ達は大事な職を失ったんだ。農業だけでは、かつかつの生活しか出来ない。

おれはもう一度鉱石の採掘がしたい。比丘尼様がそれを与えて下さる。比丘尼様は一人のものじゃない。村のものだ。あの方に、恋人なんかいらんのだよ」

話す男の目はうつろでありながら、きっかけさえあれば爆発しそうな張りつめたギラつきがあった。他のメンバーは可畏に向かって徐々に近づいてくる。手にした武器をいつでも振り回せるように構えていた。

可畏はジワジワと怒りが湧いてきた。この男たちにとって、未祥の気持ちなどどうでもいいのだ。自分達の生活が守られれば、どれだけ比丘尼が多聞に虐げられても目を逸らすことが出来る。

強欲の多聞から恵み≠フおこぼれをもらい、食いっぱぐれることのない仕事がある。必要なのはそれだけで、その裏で苦しむ人に思いを馳せることなどしない。あがめることで、頭を下げて直視しないことで、八百比丘尼という狂った現実から利益だけ得ようとしている──

可畏の手が震えだした。一番近くにいる男が、ゴルフクラブを持ち上げて構える。

「さぁ帰るんだ。何もかも忘れてしまいなさい。さもないと……」

言うと男は一歩可畏に迫った。後ろの五人もそれに倣う。

「……だ」

可畏が絞り出した言葉は、男たちには聞こえなかった。「なんだ?」と年かさの男が問う。

「お前らは、クズだ」

「……なんだと?」

「思考が停止して、腐った根性しかない腰抜けだ。採掘の仕事がしたいだと? やりたいことがあるなら、何故自分で探さない? 村から出て、自分の力で、どうしてそれを見つけない?」

「そ……そんな不安定なこと出来る訳ないだろうっ。何もかもお前の親父が悪いんだ。あいつが比丘尼を奪ったから、おれ達のやることがなくなったんだ!」

「ひとのせいか。悪いことは全部、誰かのせいにするのか? 餌を与えてくれるご主人様がいれば、そいつが裏で何をやろうと目をつぶって尻尾を振るのか」

「なんとでも言え。お前になどおれ達の気持ちは分からない。どうやら帰る気はなさそうだな。ではみんな、こいつを始末するぞ。どうせ霧散するから証拠は残らない。十七年間の恨みを思う存分晴らしてくれ」

男はまた一歩、可畏に近づいた。他の男たちも今では武器を大きく振りかざし迫ってきた。可畏は姿勢を正すと、冷たい視線で男達と対峙する。

胸の中心が熱い。あの印から……象の烙印から何かが吹き出ようとしている。可畏はその熱を鎮めようと息を吸った。内側から湧き出る熱さは、解き放つのが恐ろしいほどの強烈なエネルギーを発している。

可畏は鉄パイプを構えた。手前の男が可畏を目指して走りだし、ゴルフクラブを振り下ろした。チンピラから奪った鉄パイプが、ゴルフクラブを弾き返す。ガィンッという音が、暗さの増した山里にこだました。

ゴルフクラブの男は可畏の反撃にもんどりうって倒れた。すかさず木刀の男が可畏の前に出てくる。男が勢いよく振り回す木刀をするりとよけると、可畏は前方に走った。通りしな木刀の男にむけて鉄パイプを叩きつける。

パイプは男の二の腕に当たり、骨の折れる感触が可畏の手に届いた。「ぎゃあーっ」と叫んだ木刀の男はその場に座り込んだ。残りの四人は一斉に飛びかかってきた。可畏はバットをよけ切ることが出来ず、左肩に衝撃が来た。

一度身を低く屈め、目の前にある男の脚に体当たりする。背中にまた棒状のものが当たった。可畏は倒した男を踏みつけると、攻撃の輪から抜けた。そのまま道路を横切り、冬枯れの木々の中に走りこむ。

「追いかけろ!」

男たちの声が後ろから迫ってきた。鬼の目は人間よりも夜目が効く。可畏は枯れ枝の降り積もる木々の間の、通りやすい場所を選んで林の奥へと進む。無我夢中で走っているうちに、後ろの気配が遠くなってきた。

「未祥……」と低くつぶやくと、可畏は暗い林の中を、刀利村目指して突き進んだ。