第九十九話

「比丘尼様。この村にお戻りいただけたこと、心からお喜び申し上げます。本来、あなた様にお会い出来るのは羅衆、及び夜衆の筆頭のみでございますが、羅衆は現在筆頭不在、夜衆当主光はまだ若輩者ですゆえ、僭越ながらわたくし達、夜衆の長兄がお出迎えさせていただくことになりました。失礼をどうかお許しいただきたくお願い申し上げます」

老人は自らの指先に目を据えたまま、重々しく挨拶をした。未祥の目からは、地肌の透けて見える白髪の頭頂部と、隣に夜衆特有の赤い髪の頭頂部が見える。

まだ高校生の自分がこんな年配の方に深々と頭を下げられることに奇怪な思いを抱き、逃げ出したいほどの居心地の悪さを感じた。

未祥は戸惑って光を見上げた。光は未祥自身よりも今の事態が理解できないようで、口を開けたまま愕然と、父と祖父を見ているだけだった。

「田舎のことで、歓迎の宴も行き届かないとは存じますが、ささやかながら祝いの席を設けております。どうぞ、多聞家にお入り下さい。お召かえの準備も整っております」

告げてからようやく、老人は顔を上げた。しわの寄った堀の深い顔……。光の瞳より若干白みの強い目が、何の感情も表さず未祥を見据えている。

未祥は背筋に寒気が走った。純から聞いていたのと、ずいぶん雰囲気が違う気がする。村の様子も、出迎えの二人の様子も、歓迎というよりまるで葬式のような重苦しさだ。

「じいちゃん、やめてくれよ。なんでわざわざキモノなんぞ着なくちゃいけない? 未祥はただの高校生だ。まえの比丘尼たちとは違う生き方をしてきたんだよ。やっとこ多聞がいなくなったから、村に来てもらったんだぞ。それを今更……変な真似しないでくれよ」

「だまらっしゃい!」

稲妻のように、老人の声が走った。光は思わず身を引き、光の父正高は、身震いした後ギュッと目を閉じた。

「お前は何もわかっとらん。比丘尼様は、普通の人間とは違うんじゃ。慣例というものを、甘く見てはいかん。ずっと伝わって来たことを、破ることは認められん。比丘尼様には多聞家に入ってもらう。そうすれば村は禍から守られる」

光の祖父は厳しい表情で孫を睨みながら言った。正高は渋い顔で横に控えている。光は最初圧倒されたように祖父を見ていたが、その顔に見る見るうちに血が上った。

「禍だと? そもそもこの伝説事態が禍だろ? 狂ってるのは多聞の方だ。やっとあいつらがいなくなったんだぞ。もう村の言い伝えなど、守る必要はない!」

「必要はある。わしら鬼も普通の人間とは言えん。遺体を残さない限り、外の世界で死を迎えることは避けなければならん。わしらも、わしらの子孫も、ずっとこの村で生きていかなければならないんだ。この場所から逃れることが叶わん限り、言い伝えを守るしか生きるすべはない。それはお前にも分かるだろう?」

さっきの恫喝とは一転して、老人は諭すように光に話した。光がまた反論しようと口を開くと、「まぁまぁ」という声が横から入った。

「光さんもそんなにアツくならないでよ。要するにおじいちゃんたちは、比丘尼様に多聞家に入ってもらいたいだけなんだからさ。さ、光さんも着替えてきて。これからごちそうが食べられるよ。大宴会が開かれるんだ。比丘尼様のご帰還と、多聞家新当主のお祝いでね」

純がニコニコと笑いながら、腕を広げて光と祖父の間に立った。気勢をそがれて光が口を開けたまま純を見る。未祥はいつの間にかそばに来ていた純におびえた。志門がさりげなく未祥を後ろにかばう。

「多聞家──新当主だと……?」

「そうだよ。ああ、これもあった。羅衆新当主のお祝い。もちろん、あの可畏ってヤツのことじゃないよ。あの男は十七年前に村から逃走した覚羅聡の息子だ。そんな奴が筆頭になれるわけがないってことくらい分かるよね? 

今度の羅衆の親分は、可畏の従兄の拓己(たくみ)だよ。長兄の血じゃないけど、ちゃんと羅衆の一族だからね。僕は問題ないと判断したよ」

「……僕は? 純、お前何言って──」

その時、車の音が聞こえた。コンクリートの坂道を登るエンジン音が、こちらに向かって近づいてくる。その車は門を通り抜け、一同の前に姿を見せた。白い中古のワンボックスカーは、羅威のランクルの後ろに停車するとすぐにエンジンを止めた。ガチャ、と音を立ててドアが開く。

「さぁ、新羅衆筆頭のお出ましだ」

純の言葉と共に、その人物が車を降りた。背の高い痩せぎすの青年は、独特の青味を帯びた髪の色をしていた。未祥から見ると、可畏の髪より少し黒が濃い。二十代半ばくらいの男性は、人の良さそうな顔を不安気に歪めてこちらを見た。

「拓己さん、お疲れ様。ちゃんと手に入れてきてくれた?」

目をキラキラと輝かせ、純が青年に問いかける。拓己と呼ばれた青年は、眉を悲しげに下げた顔で一同を順番に見た後、最後に光に目を止めた。

「拓己……。お前、どうしたんだ? 何でここに来た」

「あ……光さん、オレ……」

「説明は後にしようよ。これからはたっぷり時間もあるんだし。さぁ早く、それを僕に渡してよ」

純から急かされて、拓己はジーンズのズボンのポケットに手を入れた。取り出したものをギュッと手に握っている。それから眉を下げた情けない顔のまま、未祥を見た。

蒼白の顔で見返す未祥を、拓己は痛々しい目で見つめる。弱々しい視線をさ迷わせた後、拓己は純に向かって懇願するように言った。

「──やっぱオレ、なんか違う気がする。こんなの……良くないよ」

「いいから渡しなさい!」

鋭い怒声が割って入った。地べたに座った老人が眼光鋭く拓己を見ている。拓己はよろけて一歩下がった。怒りに満ちた老人の気迫に押され、反論する言葉をなくしたように見える。

拓己はゆっくりと、納得できない様子で渋々手を前に出した。握った手のひらを上に向け、小刻みに震えるその手を開く。

握られていたのは、戟だった。