第九十八話

なだらかな山道を、二台の車は順調に登って行った。対向車とギリギリですれ違う幅しかないアスファルトの道を、車は一度登り、しばらくしてから下り始める。

志門は光の運転で硬直しながら前を見ていたが、すれ違う車は一台も見かけなかった。

一軒目の家が目に入ったのは、二十分ほど走った後だった。車が村の奥へと入るに連れて刀利村の家々は、徐々に数を増やしていく。山あいの村ということで、だんだん畑が広がっていると思っていた未祥だが、意外にも村の土地は平坦だった。学校で習った盆地≠ニいう言葉を思い出す。

戸建ての家々は、新聞広告に載っていそうな近代的な建物がいくつも見えた。確かに古い瓦屋根のものもあるが、未祥が想像していた閉鎖的な村≠フおどろおどろしい感じではなく、よくある普通の田舎の風景、という印象だった。

それでも未祥の重い気分を楽にするのに、大した効果は得られなかった。十七年前に逃走した比丘尼≠村人は本当に歓迎してくれるのだろうか。どんな顔をして村長さんとやらに会えばいいのだろう。

大体、何を話したらいいのかも分からない。「こんにちは、八百比丘尼の未祥です」って? それはどう考えても悪趣味な冗談にしか聞こえない。

未祥は窓から後ろに流れていく家々を眺めていたが、日曜日だというのに誰の姿も見かけなかった。すれ違う車も、自転車も、道を歩く人も、一切見えない。

気のせいかもしれないが、何軒かの家の窓のカーテンが、車が通り過ぎる時軽く揺れたような気がした。それは家の中から誰かがカーテンに隙間を開けて覗いていて、サッともとに戻したような感じだった。

あくまでも感じただけなので必ずそうとは言い切れないが、未祥にはなんとなく、村のみんなは外出せず、息をひそめてこちらを監視しているのではないかと思った。

車は広大な田園風景の真ん中に通されたアスファルトの一本道に入って行った。春の田植えを待つ冬の田んぼは、どろがゴロゴロかたまって黒茶けた空き地になっている。何羽かのカラスが、食べられるものなどなさそうな土を大きな嘴で突いていた。

車が近づいていくと、カラスたちが不意に顔を上げてこちらを見た。飛び立って逃げるのかと思ったのに、身じろぎもせずじっと車を注視している。

「オレのせいかも」と未祥の横から声が聞こえた。志門に目をやると彼も窓の外のカラスを見ていた。

「ほらオレって、カラスの大将みたいなもんだからさ」

そう言って志門はニッと笑った。未祥はその笑顔を見てホッとした。志門が家に帰らず一緒に来てくれて、本当に良かったと思う。もし可畏と別れて光と二人でここに来なければならなかったら、今頃震えが止まらなかっただろう。

「あれが鬼涙川だ」

光が運転席から二人に言った。前を見ると純の車が鉄で出来た橋に入っていくところだった。川は結構な幅があったが、水は少なめだった。田舎のせいかよどんだ水ではなく、透明度の高い綺麗な水だ。

川の両脇は厚く土が積まれた堤防が続いていて、これが刀利村の元々の言い伝えである、鬼が積んだ土嚢だと思われた。

橋を越えてゆるく左にカーブした道の先の高い木の向こうに、その建物は姿を現した。未祥はそれを見た瞬間、お城だと思った。白を基調にした、天守閣のある城郭といった風情だ。近づくにつれて、通常の日本の城ほどではないものの、高く積まれた石垣も見えてきた。

「多聞家が見えたぞ。最悪の趣味だろう」

光に言われて、未祥は呆然とした。よく考えればこんな場所に城などある訳がない。それでは、この城に似せた建物が多聞邸なのだ。強欲の多聞が建てた邸宅は、個人のものにしては明らかに大きすぎる。

白漆喰の外壁は白鳥城を思わせる美しさだが、比丘尼を閉じ込めたうえ、恵み≠ノよって得た富でこの城を築いたのだと思うと、背筋が寒くなるような不快感を覚えた。

多聞家に続く道は、途中からアスファルトではなく白いコンクリートになった。なだらかな登り坂になっているコンクリ道は一〇〇メートルほどの長さがあり、普段この邸宅に出入りする者は、もっぱら自動車を使用していたのだろう、と思わせた。

車はまたたく間に坂をのぼり、白い土塀に挟まれた木の門に近づいていく。門は左右に大きく開け放たれていて、純のフェラーリは止まることなく中に入っていった。光は渋い顔をしながら、「俺はここに入るのは初めてだ」と言った。

フェラーリのブレーキランプが赤く光ったので、光は車を減速させた。純の車は左に折れて白い玉砂利が敷かれた玄関前の広いスペースに入り、止まった。光はブレーキをしっかり踏みつけ、ポカンとした顔で前方を見ている。未祥も、志門も、光と同じく唖然とした。

フロントガラスの向こうには、男性二人が出迎えていた。未祥の見たところ、その二人は羽織袴と呼ばれる和服を着ていた。三人が驚いたのは、男性二人が土下座をしていたからだ。

家の玄関に続く階段の手前で、ひとりは地面に頭を擦り付けんばかりに深く下げ、もう一人はひざ上に手を置き前かがみになった状態で微動だにしない。

「……親父?」

光がつぶやいた。光はエンジンを切りサイドブレーキを引くと、ドアを開けて外に出た。未祥と志門も一瞬目を合わせた後、光の後に続いた。

「親父、それにじいちゃん! 何してんだ? その恰好はなんだ。それにこれはなんの真似だ!?」

玉砂利をまき散らしながら、光は二人に近寄った。軽めに頭を下げていた光の父親が、少しだけ頭を起こし、チラリと光を見た。その顔は口をへの字に曲げ、途方に暮れているような表情だった。

「正高(まさたか)!」

しわがれた老人の声で名前を呼ばれて、光の父親は慌てて頭を深く下げた。未祥と志門が光の横に並ぶと、息子を叱りつけた光の祖父は、地面につけていた額を少し上げて話し出した。