第九十七話

可畏はさっき用意していた羅威の車のカギを、光に渡した。光が裏の車庫から車を出してくる。現れたのはなんとランクルだった。

可畏の車とは色違いだが、兄弟して同じ車を買ったとはやっぱり双子だな、と志門は思った。

光の運転する車に、志門が乗り込んだ。可畏のランクルの助手席にも裕生が納まる。別れて村に向かわなければならない未祥と可畏は、駐車場で向かい合った。可畏を見上げる未祥の目から涙がこぼれる。

可畏は手を伸ばすと、未祥を抱きしめた。強い抱擁のあと、頬に手を当て、唇を重ねる。未祥は可畏の首に腕を回し、熱い口づけに応えた。

唇を離した可畏はまた未祥を胸に抱いたが、意を決したように自分から未祥をもぎ離した。未祥の両肩に手を置いて「必ず、村で会おう」と伝える。

未祥は唇をかみしめ、無言でうなずいた。可畏は微笑んで未祥の頬を撫でると、裕生の待つ車に向かう。未祥は肩を落として、羅威の車に足を向けた。

未祥は助手席ではなく、後部座席に座る志門の横に乗り込んだ。黄色のフェラーリが重いエンジンの音を響かせて先陣を切る。光の運転で羅威の車が後を追う。

志門はその時、寒気が走った。さっき前を通り過ぎたフェラーリの運転席の、純の顔を思い出す。未祥と可畏の口づけを終わるまでまっていた純の顔。一瞬だけ見えたその顔には、奇妙に猿めいた嘲笑が張り付いていた。



見逃しようがないほど、派手な黄色のスポーツカーを追いかけて光は車を進めた。

志門が後ろから光に「あの純さんって、どういう人なんですか?」と訊いた。

「純? ああ、あいつは刀利村で育ったいわゆるはえぬき≠チてやつだ。高校卒業してから酒造りの仕事をしている。だから今……二十歳かな。性格は明るいし、あの顔立ちだろ? 女からは結構モテるらしいぞ。羅威と同じで、仕事が休みの時はよく街まで遊びに行ってるな。まぁ、ああして明るくはしてるが、実はあいつも苦労人なんだ」

「──そうなんですか?」

「うん。純には親がいない。しかも産まれた時からいないんだ」

未祥はうつむいていた顔を上げて光を見た。生まれた時から親がいないのは、自分と同じだと思ったからだ。

「もちろん、純を産んだ母親はちゃんといるぞ。死んじまったけどな。自殺なんだ。十四歳で純を産んでいくらも経たない内に、出産した病院の屋上から飛び降りた。産後、三日かそこらだったと思う」

未祥と志門は息を飲んでお互いを見た。光がため息をついて続ける。

「純の父親のことは、最期まで誰だか言わんかったそうだ。大人しくて、可愛らしい子だったと俺のおふくろは言ってたよ。これが遊んで回ってるような軽い女だったら、間違って妊娠したのかと思うところだけどな。

純の母親はクラスの男子とも話せないくらい奥手な子だったんだ。だからあの当時は、誰かに襲われたんじゃないかって噂されたらしい。本人もあどけない女の子だったんで、自分の腹に子供が出来たなんて分からなかったんだろう。

気付いた時には、処置出来ないほど子供がデカくなってて、仕方ないから産むだけ産ませて養子に出そうとしていたらしい。それが本人が産んですぐ死んじまったんで、せめてもの形見にと、母親のご両親が純を育てたって話だ」

二人は息をつめたまま、快走する前方のフェラーリに目をやった。車と同じくらい明るい性格に見えた純に、暗い出生の秘密があったとは──。

「あいつは誰とでもすぐ打ち解けるし、友だちも多い。でもなぁ、他人には分からんだけで相当つらい思いをしてきたと思うぞ。生まれがハッキリしないっていうだけでも、あれこれウワサする奴は沢山いるだろうしな。ああいう閉鎖的な村では関係が濃密な分、そういうことも伝わりやすい。純の奴はよく頑張ってると思うよ」

光は感慨深い様子で言ったが、志門は素直に同情することが出来なかった。辛い思いをしてきた人間は、自分の人生に様々な形で折り合いをつけるものだ。

あの純という人が悔しさや苦しみを乗り越えて、明るい人生を歩もうとしているのなら、尊敬に値するほどすごい事だと思う。でももし、あの明るさが仮面だとしたら──。

志門は、どこか怖いという気持ちと、考え過ぎだという気持ちがせめぎ合っていた。フロントガラス越しに見えるスポーツカーは冬の日差しを反射し、柔らかに輝いている。そのまぶしさに目がくらんで、自分は肝心な何かをつかめないでいる。

車は志門のそんな懸念をよそに、ただひたすら、待つべき運命へとひた走っていた。



「刀利村」と書かれた標識は、何の変哲もないアスファルトの車道の横に、ポツンと立っていた。標識のすぐ手前に、枯れた草がひしゃげている砂利敷きの空き地がある。可畏がそこに駐車するのを、他の二台は道の左に車を寄せて待っていた。

停めた車から可畏と裕生が出てくる。光は助手席側の窓を開けると、「それじゃあ、お先に行ってくる。なるべく早くコトが終わるようにするから、待っててくれ」と言った。

未祥も窓を開けて、光に向かって手をあげる可畏を見た。可畏が未祥に近づくと、フェラーリがピッとクラクションを鳴らした。

純が発進してしまったので、光が後を追いかけてゆっくり車を出した。可畏は未祥の頬に軽く触れると、すぐに手を引いた。未祥を乗せた羅威の車が徐々に遠ざかっていく。

残された二人は、言葉もなくその後姿を見送った。可畏の指についた未祥の涙が、冷たい風に吹かれて氷のように温度を下げた。