第九十六話

光の携帯の着信音が鳴った。光が電話に出ると純の声が「まだですかー?」と聞いてくる。光はもう少し待つように純に伝え、電話を切った。そしてなるべく重くならないように可畏と未祥に声を掛ける。

「さぁ、サッサと面倒事を片付けに行こう。可畏、すまんが一度裕生に戟を渡してみてくれ。女性でも鬼を使役出来るのか、ちょっと興味があるんだ」

可畏は未祥の髪に一度唇を押し当てると、抱擁を解いた。それからジーンズのポケットを探り、戟を取り出す。

一同の集う空間に、キラキラした灯りがともった。楓は呆けた顔で口を開け、戟の不思議な輝きを見つめた。可畏は戟を裕生の方に差し出す。

「裕生ちゃん、頼むよ」

「は……、はい」

電池が入っているワケでもないのに発光している細い棒を見て、さしもの裕生も声がうわずった。裕生は手のひらを上にして戟に手を伸ばしたが、急にその手を止め、光と可畏を見た。

「あのう、あたし鬼さんが言うこと聞くと思ったら、調子に乗って変な事命令しそうです。例えば、腹踊りをやれ≠ニか」

この緊迫感の中で、良くぞそんなことを言えたもんだ、と志門はめまいがする思いがした。志門はクラリと来る額に手を当てて下を向く。未祥は目を真ん丸にして裕生を見ていたが、腹踊りをする可畏を想像したのか、今まで緊張のあまりキュッと閉じていた口元を笑いの形に弛ませた。

「腹踊りは飲み会での俺の十八番だ。最近ちょっと腹の筋肉が落ちて程よくダレてきたから見ものだぞ。俺はかまわんが可畏は……ダメそうだな」

可畏の白い肌は血の気がひいて青かった。裕生に差し出していた戟は危険回避の如く手の中に握られている。裕生は申し訳なさそうに頭を掻くと、「じゃあ、右手をあげろ、にします」と言った。

可畏はためらいを見せながらも裕生に戟を渡した。裕生は手のひらで戟を握り、鬼二人に「右手をあげろ」と命令する。

可畏と光は一瞬、硬い表情で姿勢を正したが、その手はあがらなかった。可畏は光と目を合わせ「どうだ?」と訊いた。

「特に何も感じないな。言うことを聞かなきゃ、という気持ちにもならん。やはり戟は男でしか使えんということか」

「そういうことだな。じゃあ戟は裕生ちゃんに持ってもらって大丈夫だな」

可畏はホッとした様子で言った。志門にはそれが、裕生には戟が使えないと知って心底安心しているように見えた。裕生の方はガッカリ感がにじみ出た顔をしている。裕生は戟を可畏に返した。受け取るのは、光と一緒に村に入る時になっている。

「では行くとしようか。楓さんは純に見つからないようにここにいてくれ。デカい建物で一人では心細いかもしれんが、留守番をしてもらえると助かる。夜は戸締りをしっかりな。食料は大丈夫か?」

光は立ち上がり、みんなとドアに向かいながら楓に訊いた。楓はらいらを抱っこして、五人の後ろで足を止めた。らいらはトロンとした目をして、眠そうな様子をしている。

「食べ物はまだたくさんあります。あたし一人なら十分です。らいらのオムツもひとパック持ってきたし、今日は出掛けなくても済みそうです」

「それなら良かった。ただもしかしたら、誰かここに戻ってくる可能性もあると思っててくれ。村に志門と裕生の泊まる場所が用意されてない場合、二人もここの方が気楽だろうからな」

「はい、わかりました」

言うと楓は一同に向かって手を振った。可畏が途中で引き返し、らいらの頬に手を触れる。らいらはもう目を閉じて寝息を立てていた。

「……上手くいくように祈ってて下さい」

可畏が楓に向かって言った。楓は痛ましい視線を可畏に向けたが、目に涙を溢れさせながらも、微笑んで頷いた。可畏は弟が楓を好きになった理由が分かった気がした。未祥もらいらのおでこを指で撫でると、楓になんとか笑顔を見せた。そして息を吸い込み振りかえって、ドアに向かう。

五人はそれぞれの想いを胸に、純の待つ駐車場へ歩いた。カントリー風のペンションは深い思惑をひた隠して、五人の後姿を静かに見送っていた。




「えーっ、比丘尼様は付き添いが二人もいるの? 別に僕ひとりでも大丈夫だよ。ただ村に連れて行くだけなんだからさ。光さんが後から戟を持って来てくれれば、それで問題ないよ」

せっかく決めた順番に対して、純がダメ出しをした。志門と裕生がついていくことに不満気な様子を見せている。早く村に行きたいのか、自分の黄色のスポーツカーから外に出ることもせず、窓から顔を出していた。

車を見て、これってフェラーリかな、と志門は思った。車高の低い車はピカピカに輝いていて、ひと目で新車だと分かる。この純という人はかなり若そうなのに、高い車に乗ってるんだな。

「まぁ、そう言うな。未祥は初めて村に入るんだ。緊張してるんだから友達がついていくくらい構わないだろう。戟は女には使えないことが分かったから、裕生に運んでもらうのが無難だと判断した。とりあえず村の近くまで行くから、準備が出来たら携帯に電話してくれ」

光が言うと、純は仕方なく受け入れた顔で返事した。

「準備はもう出来てると思うよ。じゃあ、僕の車に最初の三人が乗ってよ。このまま連れて行くから」

「俺はそんな平べったい車に乗るのはごめんだ。羅威の車があるから、二台に分かれて純の後を追いかける。俺と未祥と志門がそのまま村に入ろう。裕生と可畏は村の外で待機していてくれ。裕生は俺が迎えに行く」

「ふぅん、分かった。その方が流れ的にはいいかもね。ところで、その軽は誰の車? チャイルドシートがついてるけど、赤ちゃんでもいるの?」

「あ、いやこれは……」

楓の軽自動車が駐車場に停めてあることを忘れていた光は、突然ツッこまれて口ごもった。楓とらいらの存在を秘密にしようとしてたのに、証拠品を堂々と目の前に晒している。正直者の光はすぐに言い訳を思いつけなかった。そこで可畏が横から口をはさんだ。

「この車は昨日俺たちがここに着いた時からあったんだ。もしかしたら羅威が誰かから預かっているのかもしれない。もう本人には聞けないから何とも言えないけど」

最後の方の言葉は、演技ではなく消沈した声音で告げられたため、純もそれ以上追及しなかった。