第九十五話

「志門も裕生も親に承諾をもらえたワケだな。じゃあ、今しばらく刀利村鬼伝説に付き合っていただこう。では、どんな風に動くか決めるか」

光に言われて、一同は一か所に集まった。絨毯の上で光に注目しながら車座になる。楓は目を覚まして指をしゃぶるらいらを、自分の横にバスタオルを敷いて寝かせた。

未祥は可畏の横に腰をおろして、不安な顔で光を見た。漠然とであるものの自分が刀利の比丘尼だという自覚は出来ていた。村のみんなに会わなければならないということも、分かっている。

それでも全く知らない人たちと顔を会わせると思うと、緊張のあまり胃が痛くなる。できれば今すぐ、可畏と暮らしている安アパートに戻りたかった。

「光、そういえば親父さんはどうした? ここに向かってるんじゃないのか?」

可畏が隣に座る未祥の手をしっかり握りながら、光に訊いた。

「親父にはさっきメールした。今から村に行くってな。俺たちが村はずれに到着したら、連絡を入れることになっている」

可畏は了解のしるしに頷いた。光は未祥に視線を移す。

「純の説明によると、まず最初に未祥が村に入ることになる。着物を着ろだのなんだの言っていたが、イヤなら断ってもかまわんぞ。今更しきたりがどうとか、ウザすぎてたまらんからな。未祥と一緒に行くのは裕生だから……戟を運ぶ役は俺か志門だな」

「ちょっと思いついたんですけど、いいですか?」

「なんだ? 裕生」

「戟ってものは、所有してる男性が未祥の夫≠ノなるんですよね? その上鬼を使役することが出来る。ということは、もし戟を志門が持てば、例え一時でも志門が未祥の夫≠ノなってしまうんですか?」

光はポカンとした様子で裕生を見た。他の面々も光の大同小異で裕生に注目する。裕生の言ったことは当たり前の事なのだが、今までそんなことを考えつかなかったという顔だ。

「別に未祥も可畏さんも、誰が戟を持とうと気にしない、というならいいんです。でもあたしならなんとなく、ヤなカンジがします。なんか──作りたての結婚指輪を夫以外の男につけさせるみたいな……凄くモヤモヤした気になります」

可畏と未祥は目を合わせた。言われてみれば確かに、気持ちのいいものではない。志門や光が戟を持ったとして、何かするとか、二人を裏切るとか、そんな疑いは微塵も抱いていない。それはあくまで気持ちの問題なのだ。特に戟はただの指輪と違い、いくつかの効力があるのだから尚更だ。

「やっぱりここは、男性ではなく女性が持った方がいいような気がします。そもそも戟を女が持てば、鬼への命令も出来ないのかもしれない」

「──なるほど、それは盲点だった。戟を女が持つ、か……」

光は腕を組んで感心しながら言った。今まで戟は男が持つもの、と決めつけてきた。でもそれは固定観念以外の何物でもない。凝り固まった思想を持つのは、光の一番嫌うところだ。光は自分の思慮の浅さに少なからず嫌気がさした。

「となると、裕生が戟を運ぶことにするか。それじゃ……未祥と一緒には村に入れないから──」

「良かったらあたしが戟を持って行きましょうか? 裕生ちゃんは未祥ちゃんと一緒に村に入って、その後あたしが戟を持って行けばスムーズでしょう」

楓が言ったが、それには可畏が首を振った。

「楓さんはまだ赤ちゃんが小さいし、あちこち動かない方がいいと思う。らいらを連れて行くにしても、村の外でどれくらい待つ羽目になるのか分からないんだ。楓さんは今日はここにいるか、ご自宅に帰られるか、どちらかがいいと思う」

「俺も可畏の意見に賛成だ。何しろ村では比丘尼と羅衆の当主が現れるってだけでも浮き足立ってるんだ。この上女鬼が産まれたことまで知ることになったら、ジイサン達は卒倒しちまうかもしれん。

楓さんとらいらには、後日改めて村に来て欲しいと思っている。羅衆筆頭の姪っ子で女速疾鬼が来るとなったら、またみんなでごちそうを作ることになるぞ」

光が言って微笑むと、楓はクリクリした目をパチリと開き、頬を赤らめて笑い返した。

「……歓迎してもらえるなら、嬉しいです。あたし、ずっとひとりでらいらを育てようと決めていたので……。今日は大人しくここにいます。お役にたてなくて、ごめんなさい」

楓が頭を下げると、全員が首を横に振った。可畏は楓がここに留まってくれると聞いてホッとした。なんとなく、今日はこの建物を独り≠ノするのが忍びなかった。

出来れば羅威を悼んで、もうしばらくここで落ち着きたい気持ちがある。でも物事が矢継ぎ早に起こってしまい、自分の力ではどうにもならなくなっている。楓さんとらいらがここにいてくれたら、羅威にとって何よりの鎮魂になるだろう、と可畏は思った。

相談した結果、最初に未祥と光と志門、次に裕生、最後に可畏の順番で村に入ることになった。最初の三人が村にいっている間、可畏と裕生が車の中で村はずれに待機する。

未祥と志門を村に残して、光が戟を持つ裕生を迎えに行く。光は村で裕生から戟を受け取り、神棚に納めた後、電話で可畏に連絡を入れ、可畏は車で村に入る、と決まった。

未祥は可畏の手を握る自分の手に、ギュウッと力を入れた。もし、このやり方が間違っていたら、可畏が村に入った瞬間に自分たちは消えてしまうのだろうか……。

そうしたら可畏に会えないまま、この世界から去ることになる。出来るならずっと一緒にいたい。可畏と離れなければならないのが、怖くて、不安で、堪らない。

未祥は震えながら、涙に滲んだ目を可畏に向けた。可畏も悲痛な表情で未祥を見ている。大丈夫だ、と余裕を見せて未祥を安心させてやればいいのに、そんな気遣いも虚勢も今は湧いてこない可畏だった。

理性を忘れて可畏は未祥を抱きしめた。未祥も可畏を抱きしめ返し、その首下に顔を埋める。そこで思い切り可畏の匂いを吸い込む。干した布団のような独特の香り。

この香りを村でまたかぐことが出来ますように、と祈る。今はそうして、祈ることしか術がなかった。