第九十二話

「烏川志門です。高校一年です」

とりあえず志門は自己紹介をした。純はニコニコしながら志門と光を見て、突然「分かった!」と言った。

「きみが比丘尼様の好きな人≠ネんだね。やっぱり比丘尼様はここにいるんだ」

興奮気味に言った後、純は志門の方へ身を乗り出した。

「比丘尼様とのH、心配してるなら大丈夫だよ。そういうことがしたい時は、村から出てホテルでも使えばいいんじゃないかって老人達は言ってたから。要は戟を持つ愛し合う夫≠ニ比丘尼様が村で一緒にならなければいいみたい。

普段、戟は神棚に預けておいて、必要になったら比丘尼様が戟を持って夫と村の外へ出るんだ。外で夫に戟を渡せば問題なくラブラブになれるってさ」

一気にまくし立てられて少し頭が混乱したが、純の言いたいことはすぐ呑み込めた。村では戟と夫を別にし、村の外でなら夫は戟を持ってかまわない、ということか。

光と志門は無言でお互いを見た。純が語った村の考えは、一応筋が通っている気もする。何しろ多聞≠ェ鬼に下す命令に関しても、耳で直接聞かなければ有効ではない≠ニいう無茶な作戦が効いたのだ。

突き詰めて考えれば、刀利村の伝説には一定の決まりごとがあるものの、それを上手に回避すれば、不可能と思えたことも通すことが出来るのかもしれない。

光は村の老人達もよく考えたものだな、と感心した。頭がガチガチの古い認識しかないと思っていたが、ここまで柔軟性のある方法を編み出したのなら、未祥の行く末もそれほど心配しなくてもいいと思って良さそうだ。光は念のため、純に確認した。

「じゃあ……村のご老体達は比丘尼を捕まえようとしている訳ではないんだな? 屋敷の奥深くに閉じ込めるようなことはしないと?」

「閉じ込める!? なんでそんな酷いことするのさ。もうあの多聞の鬼畜ジジイはいないんだよ? これからは比丘尼様も自由に外を歩いて、普通に生活すればいいって村長は言ってたよ」

両手を振り振り、あり得ないという顔で言う純を見て、光はストンと気が抜ける気分を味わった。逃げる逃げないの話をしていたのがバカバカしくなるほどだ。

光が今の話を可畏にも聞いてもらおうと、純に待つように言おうとしたところで、部屋のドアが開いた。ドアの前に寄りかかっていた裕生が慌てて横に移動する。出てきたのは可畏だった。

純は新たに登場した人物を、目を見開いて眺めた。独特の青灰色の髪と白い肌。揺らぐことなく真っ直ぐ人を見る灰色の瞳──。純がゴクリと喉を鳴らす音を志門は聞いた。

部屋のドアが閉まる前に、裕生がスルリと部屋の中に入るのが見えた。志門は一歩下がり、可畏が純と相対することが出来るように横に控えた。

「あ……、えーと……」

玄関のドアに向かって近づいてくる可畏を見て純がつぶやいた。今までの明るさが影をひそめて口ごもっている。光は眉を上げてそんな純を見下ろしたが、上がり框の端まで来て立ち止まった可畏を手の平で指した。

「純、分かると思うがこの人が羅威の兄貴だ。どうだ? そっくりだろう」

「……ああ、うん……でも、ずいぶん雰囲気が違うね。似てるけど──似てないカンジ」

純の奇妙な感想に可畏は少し眉を寄せた。羅威と似ていないとは意外な気がした。純は笑顔を消して上目使いで可畏を見ている。

その視線に、何かが可畏の頭をかすめた。
俺はこの視線を知っている気がする──。

「可畏、純が言うには村では比丘尼を歓迎する準備をしているらしいんだ。どうやら、思ったより緊迫感はないらしい」

「ああ、部屋で聞かせてもらった。きみ……純くん、だったね。さっきの話は本当なのか? 村では比丘尼を拘束するつもりはないということかい?」

じっと可畏を見つめていた純は、話しかけられてパッと表情を変えた。今までよりはぎこちないものの、笑みらしきものを口元に浮かべ可畏に答える。

「もちろん。誰も比丘尼様を閉じ込めようなんて言ってないよ」

「じゃあ、具体的にどうすればいい? 比丘尼が村に入るために、俺たちはどう動けばいいのか教えてくれないか?」

「やり方はちょっと面倒だけど、さほど難しくないよ。まず、僕が比丘尼様を連れて村の多聞家へ入る。これはじい様たちの絶対条件なんだ。比丘尼様は多聞家にいるべきだってね。比丘尼様の恋人は、村はずれで待機してもらう。そして次に戟を神棚にあげる。

この役目は誰でもいいけど、やっぱり夜衆か羅衆の筆頭が当たるべきだろうって言ってたよ。最後に、比丘尼様の恋人に村に入ってもらう。このときはちょっと緊張しちゃうけど、多分戟を持ってないから大丈夫だろうって」

「……どう思う?」

可畏は光に向かって訊いた。腕を組んで話を聞いていた光は、納得した顔で可畏を見かえした。

「いいんじゃないのか? まぁ、誰もやったことがないことだから不安がない訳じゃあないが、じいさん達が考え抜いた結果だろうからな。やってみる価値はあるだろう」

光はそう言ったが、可畏はどこかすっきりしなかった。何より、未祥と一時的にでも離れなければならないのは我慢出来ない気がした。

「戟を持ってさえいなければ、比丘尼は恋人と一緒に村に入っても大丈夫じゃないのか? 俺は二人を離す必要性があるとは思えないが」

「僕もそう思うけど、じいさん、ばあさん達は伝説の完成を何より恐れてるんだ。だから段階を踏んで試してみたいって言ってるんだよ。離れると言ってもホンの数十分だし、そこは我慢してもらうしかないかな」

言ってから純は志門をチラッと見た。志門は、完全に自分を比丘尼の恋人だと思っている純の視線にバツの悪い思いをした。それになんとなく、厭なものを感じた。

純の眼には、にこやかな表情の裏の、何かの想いが少しだけ見えている。
ある種の……嫉妬のようなものが──。